ペンギンに演技をさせようと試みるウォルト・ディズニー。短編アニメーション映画『「シリー・シンフォニー』(1934年)の製作風景。
Hulton Archive/Getty Images
- ウォルト・ディズニーはアメリカの歴史上最も愛される人物であると同時に物議を醸している人物でもある。
- 彼の人生には多くの噂や伝説が存在してきた。
- 例えば、多くの人がウォルト・ディズニーは自身を冷凍保存したと信じているが、それは事実ではない。
伝説その1:ディズニーランドの敷地内のどこかにウォルト・ディズニーの体が低温冷凍されている
この場所で唯一凍った人物はエルサとアナだけのはず。
Aurelie France/Shutterstock
この話はウォルト・ディズニー(Walt Disney)にまつわる都市伝説の中でも最も有名なものだろう。彼の全身が冷凍保存されているという説もあれば、頭部だけ冷凍保存されているという説もある。
それによると、ウォルト・ディズニーは1966年に死亡した後、蘇生が可能になる日まで冷凍保存されているという。葬儀は身内のみで行われ情報が公開されていなかったために都市伝説の格好のネタになっている。
しかし、これは事実ではない。ディズニーは肺がんで死亡した数日後に火葬され、遺灰はカリフォルニア州グレンデールに埋葬された(実際に彼の墓を見ることもできる)。
娘のダイアン(Diane)も1972年に出版された父の伝記の中で、「私の父、ウォルト・ディズニーが冷凍保存を望んでいたという噂はまったく事実ではない」と書いている。
伝説その2:ウォルト・ディズニー自身がミッキーマウスを創り出した
アニメーターのアブ・アイワークスがミッキーを描いた。
General Photographic Agency/Getty Images
ウォルト・ディズニーとミッキーマウス(Mickey Mouse)は、今や同義語だと言っても過言ではない。しかし、このキャラクターを生み出したのは彼ではない。あまり知られていないが、創業初期のウォルト・ディズニー・カンパニーでアニメーターとした活躍したアブ・アイワークス(Ub Iwerks)が描いたものだ。
ディズニーの最初のキャラクターである「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット(Oswald the Lucky Rabbit)」の権利を失ったディズニーは、アイワークスに新しいキャラクターの考案を依頼し、ミッキーマウスが誕生した。その後、自分の作品が十分に評価されていないと感じたアイワークスはディズニーを去った。その後、彼は復帰したが再びアニメーションの仕事をすることはなかった。
伝説その3:ウォルト・ディズニーは、ディズニーランドの「ホーンテッドマンション」の胸像として生きている
ホーンテッドマンション。
Kim Renfro/INSIDER
そのような隠れキャラがいたらいいのだが、残念ながらウォルト・ディズニーはホーンテッドマンション(Haunted Mansion)には一切登場しない。彼はこのアトラクションが完成する前に亡くなっている。
伝説その4:ウォルト・ディズニーはイリノイ州ロビンソンで誕生した
実際はシカゴ出身のウォルト・ディズニー。
Hulton Archive/Getty Images
イリノイ州ロビンソンの記者が、「ウォルト・ディズニーは自分の町で生まれた」と主張した。しかし、ウォルト・ディズニーの公式自叙伝には、彼について書かれた他のすべての文と同じように、彼はシカゴで誕生したと書かれている。彼の生家は今も残っている。
伝説その5:ウォルトは、ディズニーの幹部に自分の死後、何をすべきかを指示するビデオを残していた
ウォルト・ディズニーは指示をビデオに残していない。
AP Photo
未来に興味がある人にとっては彼がやりそうなことのように思えてしまうが、実際にはそのような証拠はない。
ディズニーは1966年に肺がんで亡くなったが、その死はどちらかと言えば突然のことだった。彼が亡くなった時、ディズニーワールド(Disney World)は建設中で、ディズニーの兄のロイ(Roy)は引退を先延ばしにして、その完成を自分の目で見守ることにした。
1980年代には株価が下落したため、ディズニーはもう少しで買収されそうになった。この時代のディズニー映画の作品は「ブロンズ・エイジ(The Bronze Age)」と呼ばれおり、興行成績も振るわなかった。ディズニーが再び黄金期を迎えるのは1990年代であり、今その時代は 「ディズニー・ルネッサンス(The Disney Renaissance) 」と呼ばれている。
つまり、ディズニーは自分の死後、次のステップについて明確な指示を残していなかったと思われる。
伝説その6:ウォルト・ディズニーは反ユダヤ主義者だった
ウォルト・ディズニーの銅像。
Associated Press
ディズニーが反ユダヤ主義者だったという考えは、アニメ「ファミリー・ガイ(Family Guy)」のパロディーや2014年にメリル・ストリープ(Meryl Streep)のコメントなど、ポップカルチャーで取り上げられるほど広く浸透している。
しかし反ユダヤ主義だったということは証明されているわけではない。
ディズニーについて書かれた伝記『ウォルト・ディズニー:アメリカン・イマジネーションの勝利(Walt Disney: The Triumph of the American Imagination)』の中で、「(ディズニーで)働いていたユダヤ人の中で、ウォルトが反ユダヤ主義者だと思っていた人はいなかった」と著者のニール・ガブラー(Neal Gabler)は、述べている。
とはいえ、彼が設立メンバーでもあった、アメリカの理想を守るための映画同盟(The Motion Picture Alliance)という組織には、個人的には反ユダヤ主義のメンバーが多かったと言われている。
つまり、ディズニー自身が反ユダヤ主義者であったという証拠はないが、彼が所属していた団体から彼がそこに加担していたのではないかという見方があるということだ。
伝説その7:ウォルト・ディズニーは最初に妊娠に成功した男性のために財産を残している
ウォルト・ディズニー、妻、2人の娘、その他の家族の記念写真。
Evening Standard/Getty Images
これはこの記事の中で最もいい加減な都市伝説かもしれない。どこからこの噂が始まったのかは不明だが、根強い人気があるようだ。
実は彼の遺言は公開されている。遺産の45%を妻と娘たちに、45%をディズニー財団( Disney Foundation)に、そして最後の10%を姪、甥、妹に分け与えるとしている。
伝説その8:彼はスペインで非嫡出子として生まれた
ウォルト・ディズニーとミッキーマウス。
AP Photo
この話は、『ウォルト・ディズニー:ハリウッドの暗黒王子(Walt Disney: Hollywood's Dark Prince)』という信憑性のない伝記に由来している。この説では、ディズニーはスペイン南部でイザベル・サモラ(Isabelle Zamora)という女性の非嫡出子として生まれたとされている。この本には、彼は1890年に生まれ、後にディスニー夫妻の養子になったとも書かれている。
繰り返しになるが、ディズニーはエリアス(Elias)、フローラ(Flora)ディズニー夫妻の間の子どもとしてシカゴで生まれており、スペインでの出生を裏付ける証拠は存在しない。
伝説その9:ディズニーのロゴはウォルトの手書き文字だ
ウォルト・ディズニーのロゴ。
Disney
ディズニーのロゴはカルチャーの試金石になる。この文字は「ウォルトグラフ(Waltograph)」と呼ばれ、多くの人がディズニーの手書きだと信じているが、残念ながら、それは誤りだ。
彼の名前をサインする権限を持つ人はたくさんいたので、ウォルト・ディズニーの筆跡が実際にどのようなものだったのかを知るのは今となっては困難だ。実はこのロゴは彼の死からかなり経ったの1984年に初めて登場したものだ。基本的には彼のサインを元にデザインしたものだが、正確に写したものではない。
[原文:9 conspiracy theories about Walt Disney that have been proven false]
(翻訳:大場真由子、編集:Toshihiko Inoue)