岸田内閣発足から10日あまり。新政権の「カーボンニュートラル(脱炭素)」戦略の輪郭が明らかになってきた。
キーワードは「原子力」だ。
自民党幹事長に就任した甘利明氏は日本経済新聞(10月12日付)の取材に応じ、耐用年数が近づいている原子力発電所について、「開発中の小型モジュール炉(SMR)を実用化して建て替えるべき」と強調した。
また、2030年度に温室効果ガスの排出量を13年度比で46%削減すると決めた政府目標について、「原子力を何基動かしてこの数字になるかを明示しなければならない」(甘利氏)と述べ、既存原発の再稼働や建て替えを視野に入れていることを明らかにした。
甘利氏は、自民党のエネルギー戦略合同部会会長を務めるなど「経産族」として知られ、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣(経済再生担当)も歴任。
2021年4月に発足した自民党の「脱炭素社会実現と国力維持・向上のための最新型原子力リプレース推進議員連盟」では、安倍晋三元首相らとともに顧問を務めている。
今回、与党の実力者・甘利氏が踏み込んだ発言をしたことで、10月末に行われる衆議院選挙の結果次第では、エネルギー政策が新たな局面を迎える可能性が出てきた。
2021年10月5日公開の記事では、岸田政権の成立で「原発再稼働が既定路線に」と報じたが、早くもその動きが可視化されたとも言える。
ここから、あらためて同政権のスタンスを確認しておきたい(以下、再掲)。
河野氏の敗北に官僚たちは胸をなでおろした
自民党総裁選直前の9月18日に日本記者クラブで開催された公開討論会にて、河野太郎氏と岸田文雄氏。同29日には岸田氏が新総裁に選ばれた。
Eugene Hoshiko/Pool via REUTERS
「河野太郎氏が選ばれず、資源エネルギー庁と産業界はホッとしていることでしょう」
自民党総裁選の結果を受け、国際大学副学長の橘川武郎教授はそう語る。
橘川教授は、日本のエネルギー基本計画をまとめる経済産業省資源エネルギー庁(以下、エネ庁)の基本政策分科会の委員として、長年にわたって日本のエネルギー政策の策定に関わってきたひとりだ。
「河野タスクフォース」とエネ庁分科会の対立
エネ庁と産業界が「ホッとしている」と橘川教授が表現したのは、河野太郎前規制改革担当相とエネ庁の対立が収束する見通しがついたからだ。
菅義偉前首相が「2050年カーボンニュートラル」宣言(2020年10月)を打ち出してから、その具体的な政策内容をめぐって、河野氏とエネ庁は火花を散らしてきた。
どれほど激しい対立だったのか。その一端は「パワハラ音声」として話題になった週刊文春の報道からうかがい知ることができる。
さらに、両者の対立が「官僚」対「政治家」にとどまらず、それぞれが率いる「有識者会議」にまで飛び火していたことはほとんど報じられていない。
エネ庁の基本政策分科会と、河野氏直轄の有識者会議(「再生可能エネルギー等に関する規制等の総点検タスクフォース」、以下タスクフォース)の対立がそれだ。その経緯は、ごく大雑把に言えば次のようなものだ。
エネ庁の基本政策分科会がまとめた新たなエネルギー基本計画の素案について、河野氏のタスクフォースは既存の電力会社に有利な現状を改め、「再エネ最優先の原則」に沿った具体的な政策を盛り込むよう分科会に求めた。
そうした要求に対して、エネ庁分科会の委員からは意見や質問が相次ぎ、その発言内容が侮辱的だとして、河野氏のタスクフォースが分科会委員宛てに抗議文(8月10日付)を出すまでに至った。
その後、エネ庁はタスクフォース側の指摘を事実上退け、新たなエネルギー基本計画をほぼ素案通りにまとめている。
エネ庁からしてみれば、このタイミングで河野氏が自民党総裁になってしまったら、「せっかくまとめたエネルギー基本計画が水の泡になりかねない」(エネルギー企業関係者)。それを回避できた安堵感が広がっているというわけだ。
「経産省内閣」と呼ばれた安倍政権のスタンスを踏襲
さて、そうやってエネ庁と産業界を「安堵」させた岸田文雄新総裁の誕生だが、菅前首相が打ち出した「2050年カーボンニュートラル」政策にどんな影響をもたらすのか。
「日本政府が国際的に公約したことですから、基本的には変わらないと思います」(橘川教授)
菅前首相は2021年4月、アメリカ主催の気候変動サミットで「2030年の温室効果ガスの排出を、2013年度比で46%削減する」と宣言している。首相が交代したからといって、公約を引っ込めたり、大幅に変更したりするわけには当然いかない。
紆余曲折を経てエネ庁がまとめたエネルギー基本計画についても、橘川教授は「そのまま進めていくことになるだろう」とみる。
問題は、「無理難題すぎる」との声も多い公約の「46%削減目標」を、岸田首相が具体的にどう実現していくのかだ。
「河野氏が総裁になっていれば再生可能エネルギーを重視していたでしょう。しかし、岸田氏は原子力発電の再稼働を進めていくのではないか。すでにその方向で走り出していると思います」
そう分析するのは、りそなアセットマネジメントのチーフ・ストラテジスト、黒瀬浩一氏だ。
「岸田氏は、総裁選に立候補するにあたり独自に経済政策を打ち出しました。それをつくったと言われているのが、安倍晋三元首相の側近で経済産業省出身の今井尚哉氏です」(黒瀬氏)
安倍政権は“経済産業省内閣”と揶揄(やゆ)されるほど、経産省の政策を重視した。その柱とも言えるのが、経産省出身の今井氏だ。
今井氏は安倍政権の秘書官や補佐官として、東南アジア諸国連合(ASEAN)などに対する石炭火力発電所の輸出支援をはじめ、数々の重要政策を立案・推進。東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後、原発の再稼働に奔走した人物としても知られる。
続く菅前政権では、経産官僚が次々と遠ざけられるなかで、今井氏は「エネルギー政策等」を担当する内閣官房参与として官邸に残った。
「今回の総裁選では、河野首相誕生を阻止したい安倍元首相が、岸田氏に勝たせるために『岸田陣営の経済政策プランを作れ』と今井氏に命じたと言われています」(黒瀬氏)
岸田氏は出馬前に経済団体連合会(経団連)を訪問し、この経済政策について十倉雅和会長から全面的な支援を取りつけていた。
「狙いは政策の連続性。安倍政権と同じく経産省主導の政策を進めることです。
これまでタブー視されてきた原発再稼働に向けて本腰を入れる方向で自民党内は決着がつき、『岸田総裁』誕生に向けて舵を切ったのではないかと見ています」(黒瀬氏)
「人工太陽」の国家戦略を策定
さらに、黒瀬氏は岸田総裁の経済政策に記載された「ある部分」に注目する。
「『ITER(イーター、人類初の核融合実験炉)について、国家戦略を策定』という文言です」(黒瀬氏)
核融合炉は「人工太陽」とも言われる。
同じ核エネルギーに関わる技術でも、原子核の「分裂」によってエネルギーを生み出す原発と、原子核を「融合」、簡単に言えば「くっつける」ことによってエネルギーを生み出す融合炉の原理は、まったく逆。
太陽の内部ではこの核融合反応が絶えず起き、その反応から生まれる熱と光が約1億5000万キロも離れた地球を照らし、温めている。
その太陽を人工的に作って発電しようというのが、核融合による発電だ。燃料として海水に無尽蔵に含まれる原子(水素同位体)を用い、高レベル放射性廃棄物も二酸化炭素も排出しない。
究極のエネルギーとして長らく期待され、日本も30年以上前から欧米・ロシア・中国との共同開発を進めてきたが、「まだ夢物語の域を出ていない」とする見方も強い。
しかし、近年になって、グーグル、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツらが相次いで核融合関連ベンチャーに投資。中国やアメリカで実用化に向けた画期的な実験結果が得られたと報道されるなど、かつてないほどの注目を集めている。
もちろん、核融合発電はすぐに実現できる段階にない。ただ、欧米・中国に遅れを取った日本が、再エネで巻き返しを図るには相当な覚悟が必要だ。
「経産省は、欧米といまさら同じ土俵で戦っても勝ち目がないと見て、違う方向性も視野に入れてカーボンニュートラルにつなげる戦略を描いているはず。
それが、岸田氏の打ち出した『核融合エネルギーの国家戦略策定』、さらに『科学技術立国』に向けて年度内に10兆円ファンドを創設するという経済政策から透けて見えます」(黒瀬氏)
岸田氏が総裁選に際して打ち出した政策「『成長と分配の好循環』による新たな日本型資本主義〜新自由主義からの転換〜」から、エネルギーに関する部分を以下に抜粋しておこう。
- 我が国の地理的条件、製造業立地の条件確保、デジタル化による大幅需要増とのバランス等を踏まえつつ、2050 年カーボンニュートラルの実現に向けて、人類の未来がかかる地球温暖化対策を成長につなげる「クリーン・エネルギー戦略」を策定、強力に推進
- 再生可能エネルギーの最大限の導入は当然のこととして、蓄電池、新型の小型原子炉、ITER、水素融合、自動車の電動化の推進、カーボンリサイクルなど新たなクリーン・エネルギーへの投資を積極的に後押し
- 特に、ITERについて、国家戦略を策定
- グリーンボンド市場、トランジショナル市場の創設などにより環境投資を促進
経産省が打ち出した「新機軸」
岸田氏の経済政策を読み解くカギとして、黒瀬氏は、2021年6月に経産省が打ち出した政策「経済産業政策の新機軸」の存在を指摘する。
日本は戦後、補助金投入をはじめとする国主導の産業振興政策で高度経済成長を実現した。ところが、日本の成長を脅威ととらえたアメリカは国主導の政策のあり方を批判。日米貿易摩擦が起こり、日本はそれまでの産業振興政策をほぼ手放さざるを得なかった。
そして現在、アメリカの貿易摩擦の相手は中国に移った。日本と異なるのは、中国はアメリカの批判・制裁を物ともせず、独自路線で成長を続けていることだ。
「中国に対抗するためにアメリカは方針転換し、自らも国主導の産業政策を推し進める方向に舵を切ったのです」(黒瀬氏)
バイデン政権は、新型コロナウイルス対策としての約1.9兆ドル(約210兆円)に加え、2021年3月には、インフラと研究開発に10年間で約2.2兆ドル(約240兆円)を投資する「アメリカ雇用計画(The American Jobs Plan)」を発表した。
「すでに半導体分野の振興策に関する法律が成立し、足もとでは再生可能エネルギーや鉄道などについても議会で議論が行われているところです」(黒瀬氏)
アメリカだけではない。EUもコロナ禍からの「EU復興パッケージ」として、約1.8兆ユーロ(約230兆円)の産業振興政策を発表している。
そうした世界の潮流をくんで経産省が打ち出したのが、先述の「経済産業政策の新機軸」というわけだ。
経産省はスティグリッツら世界的に著名な経済学者たちが「経済的・社会的合理性を主張している」として、産業政策の必要性を訴えている。
出所:経済産業省産業構造審議会「経済産業政策の新機軸~新たな産業政策への挑戦~」
2030年の削減目標達成はハードル高く
10月4日、首相のバトンは菅氏から岸田氏に引き継がれた。「2050年カーボンニュートラル」公約も同様だ。
日本は果たして2030年までに温室効果ガス46%削減(2013年比)という目標を達成できるのだろうか。
冒頭でも触れたように、経産省がまとめたエネルギー基本計画の内容は非現実的で、数字のつじつま合わせに終わったという批判も少なくない。
エネ庁基本政策分科会の委員でただひとり、「肝心なところが曖昧(あいまい)だ」として基本計画に反対の意見を述べた、前出の橘川教授はこう指摘する。
「2015年のパリ協定以降、欧米各国は脱炭素に向けて動き始めていました。にもかかわらず、エネ庁は2018年のエネルギー基本計画でも再エネの位置づけを明確にしなかった。あのときにもっとしっかりした計画を立てていれば、今回のような数字のつじつま合わせをせずに済んだはずです。
過去の失政をくつがえし、削減目標を達成するようなインパクトのある政策の実行は、現実的には難しいでしょう」(橘川教授)
(取材・文:湯田陽子)