マイクロソフトによるチャーリー・ベルの引き抜きは、クラウド業界に衝撃を与えた。アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)で長きにわたり幹部を務めてきたベルが、最大の競合相手に突然、移籍したのだ。
ベルはマイクロソフトで、セキュリティ、コンプライアンス、アイデンティティ、マネジメントの領域をカバーする新設のエンジニア部門を率いると見られている。
マイクロソフトのパートナー企業の中には、ベルを引き抜いたのは単なるPRにとどまらない、と見る向きもある。これによりマイクロソフトは、サイバーセキュリティをクラウド戦略の中心に、さらにはAWSに対する「秘密兵器」として、据えることができるというのだ。
クラウド・サービス向けの大手ITソリューション業者であるクエスト・ソフトウェアのプロダクト・マネジメント部門でシニア・ディレクターを務めるポール・ロビショーも、ベルの移籍を重く受け止める。
カイフ・リー(李開復)のグーグル・チャイナ退陣(これによりグーグルが中国に抱いていた野心が大きく打ち砕かれた)や、マイクロソフト Azure(アジュール)のマーケティング責任者ジュリア・ホワイトのSAP移籍に例えるほどだ。
同時に、「これだけの経歴を持った人物の引き抜きは、マイクロソフトにとって大きなシグナル発信となります」と話す。
ベルの採用からは、マイクロソフトがサイバーセキュリティを真剣に捉えている姿勢がうかがえる。ベル採用前のマイクロソフトを巡っては、業界全体が眉をひそめる出来事があったばかりだったからだ。
ソフトウェア企業ソーラーウインズのネットワーク管理ツールを導入していた1万8000もの企業や政府組織が大規模なハッキング被害を受け、Office365などもハッキングに使用されたことが明らかになった。だが、マイクロソフトは否定的なコメントをし、情報共有をしなかったことで批判を浴びていた。
今後5年でセキュリティ製品に2兆円投資
しかしパートナー企業に言わせると、今回新たにセキュリティにフォーカスするのは、抜け目ないビジネス上の戦略でもあるという。これによりマイクロソフトは、クライアントがクラウドを利用する際の最大の懸念——具体的には、セキュリティ違反——からクライアントを守るという説得力が増すうえ、より高額なセキュリティ機能を売ることができる。
「私たちはいまだに、マイクロソフトを金の亡者だと揶揄したり、同社のセキュリティは役立たずだと言ったりするのがかっこいいとされる世界に住んでいます。しかし現実にはマイクロソフトはこれまで、同社が持つ全てのプラットフォームにおいて、セキュリティに大規模な投資を行ってきました。これは、同社の優先事項が何であるかを強烈に示しています」とロビショーは話す。
実際、マイクロソフトは近年、年間10億ドル(約1100億円)もの額をサイバーセキュリティに投じており、こうした投資は今後も加速するとみられる。マイクロソフトは2021年8月、サイバーセキュリティ・プロダクトの開発に今後5年で200億ドル(約2兆2200億円)を投じると公言。時を同じくしてサティア・ナデラCEOは、アメリカの技術インフラを保護する重要性を協議するため、ジョー・バイデン米大統領と会談している。
マイクロソフトが強力に進めてきた戦略は、すでに実を結んでいる。例えば、クラウド上の脅威を特定して対応できる「Azure Sentinel」のような主力製品や、企業のソフトウェアを使用する従業員をランサムウェアの攻撃から守る「Microsoft Defender for Endpoint」のような、Office365とバンドルされた製品などの提供開始だ。
成長する新たな競合への対抗策にも
パートナー企業は、マイクロソフトを次のレベルに引き上げるリーダーとして、ベルは適任だという。同社がサイバーセキュリティ関連製品に投資している姿勢を、クライアントや競合などに示すことになるためだ。
「ベルは、バリュープロポジション(価値提案)を作成してクライアントに売り込み、セキュリティ関連の予算を引き出せることを証明してきました」と話すのは、IT契約の交渉を専門とするコンサルティング会社アッパーエッジ(UpperEdge)のプラクティス・リード(実施担当)、アダム・マンズフィールドだ。
「こうした実績のあるベルをマイクロソフトが引き抜いたのは偶然ではありません」
マンズフィールドは、マイクロソフトが2022年3月からOffice365を値上げすると発表したことにも触れている。一部のセキュリティ機能がない低額商品の価格は最も大きく(最大25%)引き上げられる一方で、セキュリティ機能が満載の高額製品は9~10%の値上げにとどまる。
数十億ドル規模のセキュリティへの投資と、ベルのような世界レベルのクラウド部門幹部を採用したことを考え合わせれば、この値上げは、マイクロソフトがセキュリティ製品をさらに強力にアピールする手段になるとマンズフィールドは見ている。
サイバープルーフ(CyberProof)のCEOであり、その親会社であるUST(マイクロソフト製品向けのセキュリティ・ツールを構築。マイクロソフト・インテリジェント・セキュリティ・アソシエーションのメンバーでもある)の最高情報セキュリティ責任者トニー・ベレカも同じ見方をしている。
「Defender for Endpoint」のようにOffice365にバンドルされたセキュリティ製品の販売に力を入れることにより、マイクロソフトはクラウドストライク(CrowdStrike)のようなニッチな事業者に流れている予算も取りにいくことができるという。
価格付けやエンドポイント保護ツールへの力の入れ方から、マイクロソフトがクラウドストライクとの競争にとりわけ関心を抱いていることが分かる、とベレカは話す。クラウドストライクは、コロナ禍で働き手が分散した場所から業務にあたる際に、ランサムウェアなどの脅威から従業員を守る目的で企業に採用されたことで成長した。
しかしマイクロソフトほどの投資をしても、ベレカは同社がまだ、新たなセキュリティ製品が市場にどの程度受け入れられるのかを学んでいるフェーズだと見ている。
「『適正な価格はいくらなのか? そもそもどこをベンチマークにすればいいんだ?』と言っているマイクロソフトは、まだまだ勉強中と言えます」とベレカは指摘する。
「特に今同社が重要視しているのは、こうした問題をどう解決するかということでしょうね」
(翻訳・松丸さとみ、編集・野田翔)