窮地のアップルを救った1枚のマトリックス
今や世界一の時価総額を誇るアップル。しかし、その道のりは必ずしも順風満帆ではありませんでした。
創業者のスティーブ・ジョブズは、自分が三顧の礼で迎えたジョン・スカリーにアップルを追われてしまいました。12年後にようやく戻った古巣は、ビジョンもコンセプトも不明確で、いまいちパッとしない商品をいくつも抱える凡庸な会社になっていました。
これを見たジョブズは何をしたのか。凡庸な製品群を絞ることをしたのです。このときジョブズが使ったのが、こんなマトリックスでした。
横軸は一般消費者向け/プロ向けという顧客の属性。縦軸はデスクトップ/ポータブル(ノート)という形態でした。
こうして、当時あった多くの製品ランナップを上図のような4つの製品に絞り込み、経営資源(人・モノ・カネ)を集中投下したのです。
その結果どうなったかは、もうみなさんご存じですよね。1枚のマトリックスをきっかけにして、アップルは見事に息を吹き返すことができたのです。
マトリックスを使いこなせている人は意外に少ない
前回のこの連載で私は、「課題を分解できるようになると仕事を前に進めやすくなり、ひいてはチームでの仕事がしやすくなる」とお話ししました。
そうなのです。解決したい課題を上手に分解することができれば、驚くほど課題解決しやすくなります。
課題を適切に分解するうえで役に立つツールのひとつが、スティーブ・ジョブズも活用した「マトリックス」です。マトリックスとは2つの軸で整理することで、現状把握をしやすくした図のことです。
実際、マトリックスはビジネスのさまざまなシーンで応用されます。ビジネスパーソンならば、マトリックスを使った分析に出くわしたことは一度や二度ではないでしょう。
ただし、マトリックスの使いこなし方によって、結果には大きな差が生まれます。うまくすれば瀕死の会社を立て直すほどパワフルな武器になる半面、使い方を誤ると時間を空費したうえに課題は一向に解決されないという事態に陥ってしまうのです。
そこで今回と次回の2回にわたって、マトリックスを上手に使いこなして課題解決につなげる勘所についてお話ししたいと思います。
本稿では「基礎編」として、まず有名なマトリックスを6つご紹介します。半分以上知っていれば、ビジネスパーソンとしてはかなりイケてます。半分以下しか知らなかったら、これを機会にぜひ覚えてください。単に知識が増えるだけでなく、あなたの課題発見力が高まりますよ。
以降を読み進めながら、これらのマトリックスが2つの軸に何を置くことによって課題を分解しているのかにぜひ注目してみてください。
1. タスクの優先順位付けに活用したい「第二領域」
最初にご紹介するのは「第二領域」と呼ばれるものです。
これは世界で4000万部以上売れたベストセラー『7つの習慣』の、「第三の習慣」の中に登場するマトリックス。時間をどのように有効活用すればよいのかを考える際に重要な方向性を教えてくれます。
これを知っているかどうかで、中長期の生産性は大きく変わります。「頑張っているけれど成果が出ない、評価されない」と思っている方は、ぜひこのマトリックスを活用してみてください。
『7つの習慣』の「第三の習慣」では、私たちがやること・やるべきことを「緊急」と「重要」の2軸で次のように4つに分類します。
- 第一領域:緊急かつ重要
- 第二領域:緊急でないが重要
- 第三領域:緊急だが重要ではない
- 第四領域:緊急でもなく重要でもない
この4つに優先順位をつけるとしたら、あなたはどれを1番目にしますか?
『7つの習慣』を初めて読んだ大半のビジネスパーソンは、「第一領域(緊急かつ重要)」を選びます。この領域に含まれるのは、重要顧客からのクレーム対応や締め切りが近いタスクなど、すぐに実行しなければ大きな損失が生じるもの。たしかに、これこそが最優先だと考える気持ちは理解できます。
ところが『7つの習慣』は、第一領域ではなく第二領域(緊急でないが重要)こそを最優先にするべきだと説きます。
第二領域に属するのは、例えば事前の準備や対策、自分磨き、社内外の人との人間関係の強化など。つまり、第二領域をやっておくことでそもそも第一領域が発生しないようにし、第三、第四の領域は断固としてやらないと決めることが大事だとアドバイスしているのです。
たくさんのタスクがあって優先順位がつけられない場合には、このマトリックスで整理することで優先順位(つまり課題)がはっきりします。
2. 複数の製品の扱いを決めるなら「金のなる木」を知っておくと便利
2つめにご紹介したいのは「金のなる木」。これは、ボストン コンサルティング グループが開発したフレームワーク「PPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)」で使われる言葉です。
PPMは、複数の製品をどのように取り扱えばよいのかを考える際に役立つマトリックスです。
PPMでは、製品・サービスを「相対マーケットシェア」と「市場成長率」の2軸で次のように4つに分類します。
- 花形(Star):相対マーケットシェアも高く(これが属している)市場成長率も高い
- 金のなる木(Cash Cow):相対マーケットシェアは高いが、市場成長率が低い
- 問題児(Problem Child):相対マーケットシェアは低いが、市場成長率は高い
- 負け犬(Dog):相対マーケットシェアも市場成長率も低い
「花形」に属する製品・サービスは、属している市場が成長中かつシェアも高いので、これからに期待が持てます。投資をすればさらに伸ばせるでしょう。
一方、「金のなる木」に含まれる製品・サービスは、シェアは高いものの市場の成長率が低いもの。つまり、将来に陰りがあるということです。そうなると判断は2つです。再び成長軌道に乗れる戦略を実行できるか、あきらめて可能な限り経営資源を減らし、利益を生み出す製品・サービスと位置付けるか。
「金のなる木」に位置する製品・サービスは、かつては「花形」だったかもしれません。その時はおそらく、経営資源を投資されていたでしょう。しかし、ひとたび「金のなる木」へと位置づけが変わったのなら、経営判断を間違えて投資をし続けないことです。投資が回収できなくなってしまいますから。
なお、「問題児」は、低シェアながら市場成長率が高いもの。大半の新製品はここに属します。市場成長率は高いわけですから、経営資源を投資するか、あきらめるのかの判断が必要です。
「負け犬」はおそらく負け戦になるため、撤退する方向に行くのが通常です。
複数の製品・サービスがある場合は、このようにPPMで整理することで、経営資源を投資する優先順位(つまり課題)がはっきりします。
3. 新しい挑戦への意欲も分かる「アンゾフの成長マトリックス」
3つめにご紹介するのは、戦略的経営の父として知られるイゴール・アンゾフが考案した「アンゾフの成長マトリックス」です。
これも前項でご紹介したPPMと同様、あなたが関与している製品・サービスに対して会社がどのように考えているのかを知るのに役立つマトリックスです。両者の違いは、PPMが現在の製品・サービスの現状を整理するのに向いているのに対し、アンゾフの成長マトリックスは今後の戦略を考える際に力を発揮するという点です。
「アンゾフの成長マトリックス」では、製品・サービス軸と市場(顧客)軸の2つを置いて戦略を次の4つに分類します。
- 市場浸透戦略:既存市場に対して既存製品を拡販し、売上の拡大を目指す戦略。今までやってきたことなので、どうやればうまくいくのか分かっている分リスクは低く済みます。しかし時間が経つにつれてリターンも低下してくるため、リターンが大きいうちに新しい展開を考える必要があります。
- 新製品開発戦略:既存市場に対して新商品を投入し、売上の拡大を目指す戦略。「既存製品を改良する能力」と「新製品を開発する能力」は異なるため、試行錯誤と多くの失敗を経験する必要があります。
- 新市場開拓戦略:新市場(エリアや顧客セグメント)に既存製品を展開し、売上の拡大を目指す戦略。一般的に、新規顧客の営業は既存顧客に比べて営業の手間は3倍以上かかり、当初売上は3分の1以下になると言われています。つまり、既存顧客への営業と比較すると生産性は10分の1以下になることを覚悟する必要があります。
- 多角化戦略:新市場に新製品を展開し、売上の拡大を目指す戦略。市場も製品も新しい能力が必要になるため、4つの戦略の選択肢のうち成功確率は最も低くなります。
これらの中で最もリスクが低いのは市場浸透戦略です。だから日本企業は、ついついこればかりをやりがちです。結果、この戦略で成果を挙げた人たちが会社の要職を務めるようになるのですが、彼らが成果を出した戦略が未来永劫続くわけではありません。
やがて市場浸透戦略以外の3つの戦略に着手する必要に迫られるものの、要職に就いている彼らは、新規事業を立ち上げる困難さを経験していないので勘所が分かりません。
結果、3つの戦略を必死にやっている若手に無駄なアドバイスをし、やる気を削いでしまうのです。過去の栄光にすがってやる気のある若手の邪魔をすることほど組織にとって害になるものはありません。
アンゾフの成長マトリックスは、戦略に加えて、新しいことをしない自分の傾向にも気づけるマトリックスでもあります。
4. 能力開発に使える「ジョハリの窓」
次にご紹介する「ジョハリの窓」は、心理学者ジョセフ・ルフトとハリ・インガムが発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」が、のちにこう呼ばれるようになったものです。
「ジョハリの窓」は、能力開発に使えるマトリックスです。職場の人事考課で使われる360度評価などは、実はこの「ジョハリの窓」を活用した手法と言えます。
「ジョハリの窓」では、自分が知っている/知らないという軸と、他人が知っている/知らないという軸で、次のように分類します。
- 公開の窓:私について、自分も他人も知っている特性
- 盲点の窓:私について、自分は知らないが、他人は知っている特性
- 秘密の窓:私について、自分は知っているが、他人は知らない特性
- 未知の窓:私について、自分も他人も知らない特性
例えば盲点の窓は、「私について、自分は知らないが、他人は知っている特性」です。これを他人が伝えてくれたら、それはいわゆるフィードバックです。
仮にある上司が若手から「無駄なアドバイスでやる気を削ぐ」などのフィードバックをもらったとしましょう。こうした他人からのフィードバックを真摯に受け止め、強みを伸ばして弱みを改善できれば、能力開発のきっかけになります。
同様に秘密の窓についても、他人からのフィードバックをきっかけに「自己開示」することで、秘密の窓を小さくするわけです。例えば、先の幹部社員が「実は新規事業については経験が少なく自信がなかったが、立場上何かを言わないといけないと考えていた。申し訳ない。これからは一緒に学んでいきたい」と自己開示できれば、若手との関係も大幅にカイゼンするかもしれません。
5. 使い方を間違えている人も多い「SWOT」
次に紹介する「SWOT」は、経営学者ヘンリー・ミンツバーグが考案したマトリックスで、内部要因としての自社の強み(Strength)と弱み(Weakness)と外部要因としての機会(Opportunity)と脅威(Threat)の4つのキーワードの頭文字からなるマトリックスです。
実はこれ、SWOTという言葉をご存知の方は多いのですが、使い方を間違えている人も少なくない残念なマトリックスでもあります。本来は軸なのに、単に内部要因としての自社の強み/弱み、外部要因としての機会/脅威をリストアアップしただけの人が少なくありません。下図の、間違った使い方と正しい使い方を見比べてみてください。
正しいSWOTでは、以下のように2つの軸で次のように4つに分類します。
- 自社の強み×機会:強みを活かして機会を捉える戦略
- 自社の弱み×機会:弱みを克服して機会に挑戦する戦略
- 自社の強み×脅威:強みを活かして脅威を避けるための戦略
- 自社の弱み×脅威:弱みを克服して脅威を避けるための戦略
これらにより自社の現状把握をするのが正しいSWOTの使い方です。正しく使えば、戦略を検討する際の出発点として、かなり有効に活用できます。
6. 適切な「マネジメントスタイル」を知るマトリックス
最後にご紹介するのは、上司がメンバーのミッションとどのように関わるかを決める際に役立つマトリックスです。
マネジメントスタイルを決定する際の軸はスキル(コンピタンス・能力)軸とモチベーション(やる気)軸です。
一般的に、マネジメントスタイルには「権限移譲」「コーチング」「援助」「指示命令」という4つの方法があります。ここで重要なポイントは、「人ごと」にマネジメントスタイルを変えるのではなく、「人×ミッション」ごとにマネジメントスタイルを変えるということです。これを知らない人は意外に多いですね。
「経験豊富なベテラン社員だから何でも権限移譲して大丈夫」ではなくて、ベテラン社員だとしても複数のミッションを担っているわけですから、ミッションAは「権限移譲」、ミッションBは「コーチング」、ミッションCは「援助」、ミッションDは「指示命令」……という具合に、仕事内容に応じて適切なマネジメントスタイルを選ぶことが大切です。
詳しくは、Business Insider Japanに寄稿した「部下のマネジメントに悩んだら:ボタンの掛け違いはこの3ステップで解決できる」をご参照ください。
以上見てきたように、マトリックスで整理すると課題が分かりやすくなることがお分かりいただけたと思います。
ただし冒頭でもお話ししたとおり、マトリックスは使い方を誤ると課題解決にはなんの役にも立たない代物になってしまいます。マトリックスを描けばそれでなんとなく課題が整理できた気にはなるものの、「……で、どうすればいいの?」と、次のアクションに結びつかないのです。
こうなってしまう場合はたいてい、2つの軸のとり方がイケてないことが原因です。
そこで次回では「応用編」として、あなた自身がさまざまな課題に応じて、自由に適切な2軸を設定できるようになるための考え方のコツをお話ししたいと思います。
※次回は、11月12日(金)を予定しています。
(連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。株式会社「旅工房」社外取締役、株式会社「LIFULL」社外取締役、「LiNKX」株式会社非常勤監査役、株式会社博報堂DYホールディングス フェローも兼任。新著に『自分で考えて動く社員が育つOJTマネジメント』がある。