撮影:柳原久子
10年以上も内戦が続くシリア。安全な土地を求めて近隣諸国に逃れた難民は、何年も避難生活を送っている。そのシリア難民が多いヨルダンで、雇用を創出するべく立ち上がったのが大橋希さん。国際政治を学び、ボランティアやソーシャルビジネスの事業運営などの経験を経てたどり着いた使命。なぜ、大橋さんはヨルダンで難民問題に取り組むのか。
中東のヨルダンにて女性の難民を雇用する事業を起業中。イギリスの大学院で開発学の修士号を取得後、ソーシャルビジネスの会社、ボーダレス・ジャパンに入社。グアテマラの女性雇用事業(iloitoo)に1年、 日本国内の難民を雇用する事業(ピープルポート)に2年所属。主にセールス・マーケティングを担当。
高校の留学で格差や難民の問題を知り、強い衝撃を受ける
高校1年生の時にフランスへ留学した大橋さん。パリの街並みにイメージされるキラキラした風景を思い描いていたが、現実は違った。移民が多く暮らし滞在先のホストファミリーの父親はアルジェリア出身のイスラム教徒だった。
移民が集まって住む地域は、割れた窓ガラスや落書きされた塀などが目につき、見るからに他の地域とは雰囲気が違っていた。
「先進国だと思っていたフランスにもこんなに格差があるのだと愕然としました。一方で、私自身には家族も友人もいて、経済的にも恵まれています。生まれた環境で格差があることに理不尽さを覚えました」
社会や格差に対する興味が芽生え大学での専攻は政治学を選んだ。国際協力や環境問題を扱う団体のボランティアなどに積極的に参加し、大学4年生の時にヨルダンへ。2カ月ほどの滞在中、シリア難民が暮らす難民キャンプにも訪れた。
「失った家族のことを聞いたり、爆破された家の写真を見せてもらったりし、強い衝撃を受けました。そんな状態になってもなお、自分の足で歩いて異国まで逃げてくる強さにも感銘を受けたんです。そんな中、彼らが避難先のヨルダンで仕事を探すのに苦労しているという実情を知りました」
難民問題に携わりたいという思いを抱え、国や政治から改善していく可能性を探りたかった大橋さんはイギリスの大学院へ進む。ところが、政治へのアプローチとなると自分はアドバイザーといった外部からの形でしか関わることができない。また、もし実現しても、独裁下になればすべてが台無しになる可能性もあった。
ソーシャルビジネスで、事業として社会問題を解決する
撮影:柳原久子
「政治側からより、市民側から社会課題に取り組みたい」。そう思った大橋さんは、大学院卒業後、ソーシャルビジネスを扱うボーダレス・ジャパンに入社する。社会問題を解決するために、さまざまな新規事業を立ち上げ、軌道に乗せていく会社だ。ところが、1年目は思ったように仕事を進められなかったという。
「今思えば、自分にフィットしない役割を求められていて、それに自分を合わせようとしていました。本来は、解決すべき社会問題に向かわなくてはならないのに、『自分の良さや強みってなんだろう』と自分を見つめるばかりになってしまいました」
また、スピード感と結果を求められるあまり、一つ一つの仕事が雑になっていることも気になり始めた。人間関係などを犠牲にしている部分に気づき、 もっと丁寧な仕事を心がけることにした。
2~3年目は自由に動ける事業に変わり、事業全体に目を配る余裕も出てきたという。
「一方で、『当たる』戦略や事業になかなかたどり着けなくて苦しい思いもしました。そこで学んだのは、『最初から当たる事業なんてない』という現実。運よく2回目で当たるかもしれないし30回目で当たるかもしれない。でも、解決すべき社会問題に取り組んでいる以上、あきらめないで続けることが必要」
満を持して独立。ヨルダンで雇用を生む
撮影:柳原久子
「いつかは、自分で何かをやりたい」。そう思っていた大橋さんは、入社から3年目となる 2021年4月、ボーダレス・ジャパンを退社する。
「大学4年生の時に出会ったシリア難民の人たちに雇用を提供する——それが一番しっくりくるんじゃないかとは思っていました。もう一度ヨルダンに足を運び、自分の心を確かめたかった。現地に行ってみるとやはり仕事が足りないし、仕事を作るプレイヤーも足りないと実感したんです。そこで『自分がやろう』と決意しました」
一言に難民の人たちと言っても、境遇はさまざま。話を聞いた中で特に印象に残ったのは、専業主婦が一般的な地域で、夫が亡くなったり負傷したことにより稼ぎ頭がいなくなった境遇にある女性たち。
「英語もできずパソコンも使えず、働いたことがなくてスキルがあるわけでもない。でも、彼女たちはものづくりが得意だと分かったんですね。そこで、ものづくりでビジネスができないかと考えました」
ヨルダンにある資源を使えないかと調査してみたところ、国土の農耕面積の7割をオリーブの木が占めていると知る。オリーブの実は活用されてるが木材は余っているという。大橋さんは、難民の女性たちを雇用する事業をつくるために、オリーブの木で食器を作ろうと思い立った。
木材の流通量を調べ、確保できることを確認した。さらに、技術者や機械の購入先も見つけた。これなら生産ができる。
大橋さんは資金集めのためにクラウドファンディングにチャレンジし、たくさんの人脈に助けられて350万円を達成。これから事業をスタートし、ヨーロッパなどで販売しようと考えている。
「怒り」に突き動かされている
撮影:柳原久子
そこまで大橋さんを突き動かすものは何なのか。原動力は「怒り」だという。
「生まれた環境でこんなにも人生が違うのはおかしいし、理不尽だと思っています。『誰かが変えていなくてはいけない』という義務感に突き動かされていますね。自分がやったほうがいいという判断で取り組んでいます」
さまざまな社会問題を知るたびに状況や構造に対して怒りを覚えるという大橋さん。誰かが悪いと考えるのではなく、いびつさが生まれた理由や解決策を探していく。
「たくさんある社会問題のすべてに取り掛かることはできないので、まずは難民問題を勉強してできるところから解決しようと考えています」
事業が立ち上がるまではヨルダンに住むという大橋さん。製造、販売と本番はこれからで、さまざまな困難が待ち受けているに違いない。それでも、強い思いと諦めない精神で難民の人たちを着実に救っていくことだろう。
MASHING UPより転載(2021年8月23日公開)
(文・栃尾江美)
栃尾江美:外資系IT企業にエンジニアとして勤めた後、ハワイへ短期留学し、その後ライターへ。雑誌や書籍、Webサイトを問わず、ビジネス、デジタル、子育て、コラムなどを執筆。現在は「女性と仕事」「働き方」などのジャンルに力を入れている。個人サイトはhttp://emitochio.net