撮影:今村拓馬
日本の交通業界でDX(デジタルトランスフォーメーション)を進めるモビリティテクノロジーズの社長、中島宏(43)。学生時代から、意欲的に働きかける性格だったのかと思いきや、「自分は全く意識の高い学生ではなかった」という。
新卒で就職活動していたときはやりたいことがまったく見つからなかったし、行きたい会社もなかった。だったら自分がやりたくなる仕事ができるように、起業しよう。その前に、起業の勉強ができる場所で働こうと考え、コンサルティング会社に入社した。
2年修行したら起業しようと考えていた中島は、当時トレンドになりつつあったインターネット業界での事業プランを考え、出資を受ける直前まで話を進めたのだが、いかんせん、心の底からやりたいと思う事業ではない気がした。
そこで中島は、モラトリアム期間を延長することにする。⑴インターネット業界で、⑵優秀な人たちがいて、⑶実際に新規事業を立ち上げる経験をしたい。この3条件で転職エージェントに相談したら、DeNAを勧められた。
交通と自動車こそネットの力必要
DeNA時代、「MOV」を率いていた頃の中島。社会的に意義のある事業をやりたいという思いが高まっていたと語る。
提供:モビリティテクノロジーズ
当時のDeNAの社員数は90人程度。「数年で辞めるつもりです」と言った中島に、創業社長だった南場智子は「まあ、いいよ」という答えだった。
中島は、1年目から南場のチームに入って、日系メガバンクとジョイントベンチャーを立ち上げることになる。その後、当時マネタイズの中心だった広告領域に異動を希望し、3年目には新規事業のリーダーを任されるようになった。
「最初の5年間、毎年1度は辞めたいと伝えていたのですが、その都度『じゃあ、何をやりたい?』と引き止められ、5年目には執行役員を引き受けることになりました。その時、南場さんがにやりと笑って『もう簡単には辞められないぞ』と言ったのを覚えています」
その後、モバゲー時代に突然増えた国内外の採用を支えるべく人事制度の開発を3年。さらに人事で3年間働いてほしいと言われ、「さすがに、新規事業開発に戻りたい」と伝えたら、「じゃあ、新領域を開拓して」と命じられた。
2014年頃のDeNAでは、南場が医療領域を、守安功がメディア領域で新規事業を立ち上げていた。中島は別の領域で、今後の会社の主軸となる新規事業を創ってほしいと言われる。
長く新規事業開発に携わってきた自分が、今から燃えることができる領域があるとしたら、それは社会の課題解決ができる分野だろうと考えた。
「産業単位で課題が大きく、DeNAのようなインターネット企業の強みが生きる。その掛け算で考えました。農業やセキュリティなどの領域も課題が大きいと思いましたが、『これからインターネットの力が必要となる』という意味で考えると、圧倒的に『交通』と『自動車』ではないかと思ったんです」
高齢化進む交通業界は日本の縮図
全国ハイヤー・タクシー連合会によると、2021年、全国のタクシー運転手の平均年齢は59.5歳。高齢化が進んでいる。
REUTERS/Issei Kato
交通業界が抱える社会課題は、日本の縮図だ。最も顕著な課題は、少子高齢化による「需給のバランス」が崩れていること。
「日本の交通業界は、他の国ではありえないほどドライバーの高齢化が進んでいます。今はコロナで一時的に事情が変わっているけれど、どこに行っても人材不足が悩みの種。中でもタクシー業界は、乗務員が不足する一方で、乗客とのマッチ率は非常に低い。ここはテクノロジーが解決できる余地が大きいのではないかと考えました」
例えば朝の出勤時間帯の2時間は、圧倒的にタクシーの供給が足りない。一方で昼間は需要がなくタクシーが余る。
これまでは、ドライバー自身の経験値で一生懸命マッチングしてきた部分をデータ化し、テクノロジーを入れていけば、この課題を解決できるのではないか。繁忙期はマッチングを強化して回転率をあげ、閑散期は相乗りを駆使して価格バランスを調整するなど、もっと需給のバランスをよくする手立てはあるはずだと中島は考えた。
また、都市部に人口が集中するメガシティ化もやはり、日本全体の課題であり、交通業界の大きな課題だ。
都市化と過疎化の問題はコインの表と裏と言える。人口が増える都市部のマイカーをどう減らし、人口が減る地方の交通手段をどう確保し続けるか。ここでもやはり、タクシー業界のDXが課題解決の糸口になりそうだった。
襲ってきた虚無感。起業は手段でしかない
中島があえてそのような課題の宝庫である領域を選ぼうと思ったのは、DeNAの中で、多くの新規事業を立ち上げてきたからでもある。
執行役員になり、スタートアップ界隈の人脈もたくさんできた。必然的に視座もあがり、世の中をある程度見渡せるようになって、中島は、自分の起業に対する考えが大きく変わっていることに気づいた。
「学生時代は、起業して社長になれればいいやと思っていた。でも今は、当たり前だけれど『起業ってただの手段だよね』と思うようになったんです」
事業が成功する。売り上げが上がる。利益が増える。世の中から「気鋭の社長」と呼ばれる。でも、それらで得られる快感は、ほんの一瞬だ。数日で虚無感に襲われることが何度もあった。
「意識の高い人は、『起業は手段でしかない』と早くに気づいているんでしょうね。でも僕は、実際にやってみて初めて気づいた。それからは、どうせ何年もかけて事業を立ち上げるのなら、社会的意義のあるところに人生を懸けたいと思うようになったのです」
ここから中島は、「安心安全への取り組みや地域への貢献をないがしろにする人たち」vs.「そういうものはすごく重要だと思っているけれど、テクノロジーに弱い人たち」の新旧の間に立たされることになる。
モビリティテクノロジーズ会長の川鍋一朗(写真左)と中島。元ライバルも、今では強力なバディだ。
提供:モビリティテクノロジーズ
それでも、中島はどちらかを敗者にするようなやり方はしない。モビリティテクノロジーズ会長の川鍋一朗も中島のそんなところに好感を持っている。
「反対意見の人を説得するのがとても上手で、そこに労を惜しまない。『言葉の魔術師』でもあるんだけど、最初は器用な印象が先行してしまって、その言葉が本心なのか分からないなぁと思っていた。でも本当に裏表の無い人だし、なるべく多くの人を救って、傷つけずに進んでいく人」(川鍋)
中島が後者の立ち位置で、日本のタクシー業界を守ろうと、JapanTaxiと提携し、DXを進めることとなったことは前章で説明した通りだ。
志を同じくする人たちをまとめあげ、より大きな目標達成のために邁進する。中島のリーダーシップは、いつ、どのように培われたのだろうか。
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(文・佐藤友美、写真・今村拓馬)