撮影:今村拓馬
モビリティテクノロジーズ会長の川鍋一朗は、社長の中島宏(43)を「iPS細胞と名付けたいくらい、臨機応変に何でも対処できるスマートな人」と評する。
DeNA創業社長・南場智子(現会長)が何度も慰留したことからも、「自ら働きかけ、挑戦的な仕事をする人」というイメージもあった。
しかし取材を進めていくと、そんな中島にも「ダメダメ社員時代」があったことを知る。27歳でDeNAに転職してすぐの頃。中島は、この時期を自らの「暗黒期」と呼ぶ。
DeNAに入社してすぐに南場と同じプロジェクトで働くことになった中島。でもその半年後には、南場に「もう、ナカジとは話したくない」と言われるほど、さじを投げられていた。
南場社長から「もう資料作らなくていい」
DeNAの創業社長だった南場智子と中島。DeNAでのキャリアの歩みは南場と切り離せない。
提供:モビリティテクノロジーズ
当時のDeNAは、日系メガバンクとジョイントベンチャーを立ち上げようとしていた。そこで、週に2回社内ミーティングをし、その資料を中島がまとめて先方に提出することになっていた。
ところが転職したばかりの中島は、会話の7割が理解できない。ほとんど外国語のようなものだ。とんちんかんな資料を作り、そのたびに南場やメンバーに「なんじゃこれ?」と言われ続けた。それを半年くり返していたら、ついに南場に「もう、資料を作らなくていい」と言われたのだ。
しかしその半年後、中島は南場に「辞めずにDeNAで面白いことやったら?」と慰留される人物になる。いったい何があったのかと聞くと、ひとこと、「開き直った」と言う。
「創業オーナーにここまで呆れられるなんて、自分、クビになるのか? とも思いました。でも、どうせ辞めなきゃいけないなら、開き直って『会議でみんなが何を話しているのか、全然分からない』と南場さんに伝えてみようと思って」
腹をくくった中島は、南場の社長室を訪ねる。
「いちいち質問して時間を取らせると悪いと思って、質問できませんでした。でもこれからは、分からないことがあったら、その場で聞きます。もう一度、僕に仕事をさせてください」
そう言った中島の言葉を、南場は静かに聞いていた。そして、しばらくの沈黙のあとに「いいよ、分かった」と答えた。
それからの中島は、なりふり構わなかった。客先の銀行とのミーティング中にも南場やメンバーに対して「それ、どういう意味ですか?」「取りまとめてって言われても、誰がやればいいんですか?」「ついていけないので、もう一度説明してください」と、聞くようになった。
ところが、この中島のなりふり構わない開き直りが、銀行側にずいぶん喜ばれた。「実は、僕たちも南場さんの話の展開が速すぎて、ついていくのに必死だったんだ。君が馬鹿なフリをしてくれたから、噛み砕いて説明してもらえるようになって助かった」と言われるまでになった。中島はその半年後に、ジョイントベンチャーの立役者として、社のMVPをもらうことになる。
中島は、暗黒期を抜けた。
やり始めたら楽しくなってしまう
中高時代の中島は剣道に明け暮れ、高校時代には日本四大大会のひとつでベスト16に入賞するほどの実力者だった(写真はイメージです)。
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入社当時劣等生だった中島を支えていたのは、「DeNAにいるのは、南場さんをはじめ優秀な人ばかりだ。この人たちの下で働けたら、自分は絶対に成長する。この山を登れば絶対に景色が広がるはず」という気持ちだった。そのポジティブさはどこで手に入れたのかと聞くと、中高・大学での部活動の経験だという。
中島は中高では剣道部に所属し、中学時代は区大会で団体・個人ともに優勝、高校時代は日本四大大会のひとつでベスト16に入賞している。大学ではワンダーフォーゲルのサークルに所属し、大学に10ほどあった山岳系サークルを取りまとめる総代表まで務めている。
なるほど、学生時代からやる気に満ちたリーダータイプだったのかと思いきや、どちらもなりゆきで始めることになっただけだ、という。
剣道を始めた動機も、小学時代先生も親も手を焼く悪ガキだったから、という理由だった。
「手をつけられない不良になっては困るから、中学では学校で一番怖い剣道部の先生に面倒を見てもらおうと大人たちが相談して、半ば強制的に剣道部に入部させられたんですよね」
ところが、嫌々ながら所属した剣道部が意外と水に合った。運動神経が高かったこともあり、中島はまんまと大人の思惑通り、部活三昧の3年間を過ごす。剣道の成績が良かったため、高校も推薦で入学できた。
高校入学後はもともと好きだったキャンプをして遊び倒したいと思っていたら、入学式で剣道部の強面の先輩に取り囲まれる。剣道の成績で内申点を稼いで受かったのだから、仕方ないか。観念した中島は、ここでも剣道部で3年間を過ごした。そしてここでも同じだった。やり始めたら、楽しくなってしまった。
大学でもやはり、剣道部のテントに引っ張って行かれそうになった。その手からなんとか逃れ、「キャンプができるサークルがいい」と入部希望を出したサークルが、ガチガチの山岳系サークルだった。
「夏なんて、30〜40キロの荷物を担いで1週間山に入り浸るんですよ。思い描いていた『楽しいキャンプ』とは全然違いますよね。でも、結局、やってみると楽しくなるというパターンで」
視座が高くなればやりたいことが見える
撮影:今村拓馬
よくも悪くも、環境に流される。流されると楽しくなってしまう。この性格が、社会人になってからも生きたのかもしれないと、中島は自己分析する。
「『とりあえず、この人の言うことは騙されたと思ってやってみよう』と思うんです。意識高い人や頭のいい人は、やる前にいろいろ考えてしまうのだろうけれど、僕はそのへん、ちょっとアホっぽいんです。考えるのは、やってからでもいいかなと思って」
そして、“やりたいこと”は、“実際にやり始めて”から見つかるものだとも言う。
「やりたいことが見つからないとか、モチベーションが上がらないのは、自分にまだその楽しさが分からないからだと考えるようにしています。だから、『ちょっとここまで、やってみなさいよ』と言われたら、まずやってみる。山登りと同じで、何かを始めると、スキルもステータスも上がって、登れる山が高くなるから、視座も高くなる。視座が高くなると視野も広がって自然とやりたいことも見えるようになる」
若い人たちにも、こう伝えている。
「10代、20代でやりたいことが見つかっている人の方がレアだよ。今すぐやりたいことが見つからなくても焦る必要はない。見える景色が広くなれば、そのうち面白いことが見つかるよ」
(敬称略・完)
(文・佐藤友美、写真・今村拓馬)