【声優・緒方恵美のいる時代】時代が求めた、類まれなる“表現者”の歩みと「平成」のアニメ史

緒方恵美さんの自伝エッセイ『再生(仮)』

緒方恵美さんの自伝エッセイ『再生(仮)』

撮影:吉川慧

2022年にデビュー30年を迎えるのを前に、声優の緒方恵美さんが初の自伝本『再生(仮)』(KADOKAWA)を出版しました。生い立ち、表現の世界に惹かれ、挫折しながらも、やがて声優やライブ活動に邁進——これまでの人生を、自らの私生活や仕事での困難・葛藤も合わせて赤裸々につづっています。

「声優・緒方恵美」の魅力とは——。『再生(仮)』の構成に携わったアニメ文化ジャーナリストの渡辺由美子さんが、平成〜令和のアニメーション史、声優史や社会的・ビジネス的な背景とともに緒方さんの表現者としての魅力を分析します。


「時代の要請」が生んだ稀代の表現者

緒方恵美(56)という声優を考えたとき、“時代の要請”で登場した存在だと思わずにはいられない。

緒方は、1990年代にデビューし、現在もアニメーションのアフレコや声の芝居にとどまらず、音楽活動、ライブステージ、ラジオ、配信番組等々をこなす。

そのあり方は、現在の若手声優と同様であるが、緒方の同世代の女性声優の中では類い希な存在と言える。

緒方が長く支持されている理由の核には、当然のことながら「芝居」があるが、今回は、90年代を軸にして「業界とファンが声優・緒方恵美に何を求めてきたか」にフォーカスしてみたいと思う。

90年代と第3次声優ブームの始まり

90年代初頭は、現在ビジネス面でも注目されている声優のマルチ活動が活発化した起点の時期にあたる。92年3月には『美少女戦士セーラームーン』が、同年10月には『幽☆遊☆白書』といった歴史に残るビッグタイトルが放送開始。

そして、新人だった緒方が『幽☆遊☆白書』の人気キャラクター・蔵馬役に抜擢され、一躍人気声優として名前が広まった時期にあたる。

緒方恵美を語る時に外せないのが、「第3次声優ブーム」だ。

1990年代にアニメ誌で声優記事を担当した私の視点から、自己紹介をかねて当時の声優ブームの熱気をお伝えしたい。

私は大学を卒業して間もない92年にアニメ誌のライターになり、「声優記事」を担当することになった。 折しも読者の声優への注目度が高まっていた時期だ。私が担当する声優紹介コーナーにも、取り上げて欲しい声優の名前を書いたリクエストはがきが月に何百通と届いていた。

私は94年に声優志望者に向けて、声優になるには何をすれば良いかをレポートした書籍(『声優になりたいあなたへ』(94年3月/徳間書店))を書いた。

その反響が大きかったこともあり、同年には声優誌『ボイスアニメージュ』(94年12月/徳間書店)が創刊され、記事作成に協力することになった。

インターネットがない時代、声優の「画面から聴こえる声」”以外の活動”を報じる専門メディアができたことは、声優のあり方に少なからず影響を与えたと言えるだろう。

声優雑誌の誕生と、人気若手声優・緒方恵美の飛躍時期は、ほぼ同時期にあたる。緒方や当時の若手声優、たとえば林原めぐみや三石琴乃らは、メディアの申し子第一号だとも言える。

男女を自在に行き来する特異な存在

『幽☆遊☆白書』蔵馬役の翌年には『美少女戦士セーラームーンS』(94年)天王はるか役と、続けざまに人気キャラクターを演じた緒方。

緒方恵美の特異性は、異なる性を行き来するところにある。蔵馬役では、若手女性が男子高校生役という低音域の「青年」を演じたことが、90年代アニメというジャンルにおいてはエポックな出来事だった。

緒方が蔵馬役を男性声優に混じって演じるために声帯の専門医に相談したところ、「日本人離れした長さを持つ声帯」の持ち主だとわかったという。声域も広く、「3オクターブ強」だという。

緒方は『美少女戦士セーラームーンS』の天王はるか役では「男装の麗人」的な役どころを演じた。相方である海王みちるとは、「夫婦のようなあり方で」というディレクションを受けたという。「天王はるか」は「みちるの旦那的ポジション」で、女性を守る騎士のような役割として演じることになった(緒方恵美 自伝『再生(仮)』より)。

天王はるかの変身後の「セーラーウラヌス」は、セーラー戦士のコスチュームを身にまとい、女性的な魅力を見せる。女性という性別を持ちながらも、「どこか中性的で、男装の麗人的な役柄」という特異なポジションであった。

演じた緒方自身もまた、女性ファンからは「男装の麗人」的な立ち位置で見られることになった。

第3次声優ブームと、若手女性声優のアイドル活動ブーム

さて、当時の声優の活動と、メディアでの取り上げ方はどんなものだったか。後年「第3次声優ブーム」として取り上げられる際、多く語られているのは「若手女性声優」になると思う。

男性声優も、アフレコインタビュー、ラジオ、アニメ作品のイベント出演などの活動は多かったが、より個人のパーソナリティに近い活動――アルバムリリース、ライブ等の音楽活動、グラビア掲載といった「アイドル」的な活動は、女性声優が中心となった。

男性声優も、アニメ『スラムダンク』や『新機動戦記ガンダムW』といった作品で、女性ファンから大きな支持を得ていた。

また、女性ファンが多い「ドラマCD」、ボイスがつき始めた「ゲーム」と、男性声優の活躍の場は多くあったが、メディアが取り上げるような「アイドル」的活動となると、女性声優よりも活動の幅が限定されたものだったと言えるだろう。

ファンからの声優へのニーズや熱気には男女差はなかったが、送り手やメディアからの“供給”には大きな差があった。

それには理由がある。ひとつは、男性声優にはまだ、「ステージで歌って写真を撮られる」という活動に抵抗のある人が多かったことだ。

さらに大きな理由としては、アニメソフトのマネタイズが関わっている。

80年代後半から00年代初頭まで、具体的には「PlayStation2」によりDVDが普及する10年以上に渡って、アニメにお金を払ってくれる顧客は主に社会人男性だった。高額なレーザーディスクの主な購買層は、まだ限られていたのだ。

アニメのマネタイズは、若手女性声優がヒロインを演じるOVAから始まった。

女性声優が主題歌を歌い、イベントに出演する。その際、若手女性声優は“ソフト販促のアイコン”として求められたのだった。80年代後半から、ソフトメーカーが販促として女性声優を起用し、イベントを仕掛け、女性声優がアイドル的な活動をする、という流れができていた。

女性ファンは、ソフトを購入する「ユーザー」ではなかったため、彼女たちが支持する男性声優には、アイドル的なルートが未整備だったのだ。

メディアとの親和性の高さ

「エヴァンゲリオン」シリーズのグッズ

「エヴァンゲリオン」シリーズのグッズ

撮影:吉川慧

「第3次声優ブーム」の牽引者が女性声優だと言われている背景には、女性声優の「メディアとの親和性」が高かったことも要因だろう。

私が在籍した90年代半ばの声優誌では、毎月、表紙やグラビアページで取り上げる声優探しに頭を悩ませていた。

読者に人気がある声優の中で、できれば若手で、売れっ子かつ、メーカーや事務所から表紙撮影のOKが出る人で、グラビア撮影にも対応可能な人……というハードルがあり、声優ブームの初期にはアイドル的な活動をする若手声優は数が限られており、なかなかに難航した。

インタビューページで困ることはまったくなかった。芝居への情熱を語ってくれる声優は男女問わず数多くいて、「グラビアページを削ってでも、この人にもっと語って欲しい」と思うこともあった。

それでもグラビアページを削らなかったのは、そもそも声優誌のニーズが、読者の「声優さんのキャラクターではない素顔が見たい」というところに即して生まれたものであったからだ。

声優は、かつては舞台役者の副業的に発生した職業ではあったが、60年代の洋画吹き替えブーム、70年代のラジオパーソナリティブーム、70年代後半から80年代前半にかけて起こったアニメブームを経て、「声優」という独立した職業として確立していた。

「声の芝居のプロ」である彼らに、声優業以外のパフォーマンスを求めるのは申し訳ない気持ちになりつつも、パフォーマンス力に優れた声優は、やはり読者人気も高かったのである。

声優誌の創刊時期には、そうした背景と葛藤がありつつ、アニメ誌も声優誌も、ブームで注目の存在となった若手人気女性声優に「撮影アリ」の取材が殺到していた。緒方恵美もその一人だった。

当時、メディアにいた者の視点から見た緒方は、人気キャラクターを演じている上に、若手で、女性ファンにも男性ファンにも支持が高い。95年『新世紀エヴァンゲリオン』シンジ役以降は、さらなる人気を獲得していた。

緒方の表紙起用には、雑誌側から「女性読者へのアプローチ」という側面もあったように思う。

当時の声優誌等のメディアでは、男性声優を表紙にすると、男性ファンに購入してもらいにくいという事情があった。だが緒方の場合は、女性ファンが多い声優でありながらも、女性声優ということで男性読者にも受け入れてもらえる。

雑誌側としては、たとえ女性ファンが「アニメソフトのユーザー」ではなくとも、「(手ごろな価格で買える)本を買ってくれるお客様」であることは間違いない。女性読者が見込めることもあり、緒方の表紙起用の増加に繋がっていったように思う。

「声」以外のパフォーマンス力の高さ

そうした時代の要請とは離れても、緒方には、声だけではない卓越した「パフォーマンス力」が備わっていた。

緒方は自伝『再生(仮)』で、音楽一家に育ち、幼少期からバレエや舞踊のレッスンをして、ミュージカル女優としてキャリアをスタートさせたと語っているが、これは、私たちのようなメディア関係者から見た場合、「人前に出ることを意識した職業にいた」ことを意味する。

もちろん舞台出身の声優は数多くいたが、緒方の場合、ミュージカルという「歌とダンス」中心であったことが、アニメキャラクターという世界観や、のちに声優に求められるステージパフォーマンスと繋がっていると感じられた。

緒方の自伝『再生(仮)』には、『幽☆遊☆白書』イベントでの初ステージで、キャラクターソングを歌う際に、自身で考えた振りつきで踊ったエピソードもある。

90年代半ば、私は自分が連載していた声優記事で、緒方にオファーをしたことがある。すると緒方は、撮影場所として、ミュージカル時代に使っていた稽古場を提案してくれた。

撮影中、レッスンバーや鏡の前で様々なポーズを取る緒方に、カメラマンも私も「声優」という枠を超えるパフォーマンスに驚いたのだった。

パフォーマンス力の高さは、その後の緒方のキャリア形成においても、様々な形で機能していく。

94年、『アニメージュ』が主催した第17回「アニメグランプリ」で、緒方は「作品」部門、「キャラクター」部門、「声優」部門においてそれぞれ第1位を獲得する。自身が「ブーム」となったと言えるだろう。

95年からは『新世紀エヴァンゲリオン』碇シンジ役で、TVメディアを通じて一般層にも名前が浸透していくことになった。

90年代「第3次声優ブーム」は、若手女性の「アイドル」ブームでもあった。次々に若い女性がデビューする競争の激しい業界で、「アイドル」として見られた女性声優たちは、どのような変化をしていくことになったのだろうか。

ここでもまた、現在に至るまでタレント活動をし続けている緒方の特異性が見えることになる。

<後編に続く>

渡辺由美子:アニメ文化ジャーナリスト。94年業界初の声優誌『ボイスアニメージュ』に参加。アニメ誌、新聞、週刊誌を経て日経ビジネスオンライン等で執筆。現在は朝日新聞(大阪本社版)「アニメ現在形」、ASCII.jp「誰がためにアニメは生まれる」等を連載中。緒方恵美『再生(仮)』では構成を担当。

(文・渡辺由美子、編集・吉川慧)

<UPDATE:作品名を修正しました(2021/10/26 9:52)>

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