撮影:今村拓馬
複業をしていますか?
複業とは、文字通り、複数の仕事を意味します。副業は、本業に対してサブ的な仕事という意味が想起されるのに対し、複業では、複数の仕事にどれも本業として向き合うという認識に立ちます。また複業には、キャリア形成のために取り組んでいることで経済的な報酬を伴わない行動も含まれます。
私はこれまで、働くこと=複業という考え方のもとキャリアを歩んできました。
アメリカでの在外研究員を終えて法政大学に着任する際には、駒澤大学と東洋大学の兼任講師を務めました。趣味で続けてきたテニスのコーチも民間のテニスクラブで始めました。つまり、着任初日から4つの仕事を掛け持ちしたのです。
それ以降も複業人生まっしぐら。本連載で取り上げているキャリア論の最新知見「プロティアン」をより多くの人に届けるために一般社団法人プロティアン・キャリア協会を立ち上げ、代表理事を務めています。その他にも、企業顧問をしています。
なぜこれほど複業をこなすのか。理由は明確です。
複業こそが、人生100年時代を心豊かに生きていくための行動戦略であると考えているからです。もちろん、一つの職場で目の前の仕事にフルコミットして、やりがいを感じながら働くことも否定はしません。それも素晴らしいことです。
ただ、組織の中でまっとうする業務量と、自らのキャリア形成の段階的成長とは、往々にしてズレをはらむものです。私がまさにそうでした。大学での業務をこなしながらも、余力を使って新たなチャレンジをしたいという気持ちが常にあります。見方を変えれば、複業をしているからこそ、大学での仕事にもやりがいを感じながら向き合うことができているとも言えます。
複業の恩恵は、経済的な報酬に加えて、心理的な報酬や社会関係資本の構築にも役立ちます。つまり、複業によって心理的幸福感が持続されるというわけです。
もしあなたが「複業なんて、私にはできない……」と感じているのなら、理由は2つの「できない」が考えられます。
1つは、本業がおろそかになるからできない。もう1つは、そもそも複業としてできることがない、というものです。
それぞれ見ていきましょう。
「本業がおろそかになる」というブレーキ
「複業がこれからのキャリア形成の鍵です」と私が伝えると、リアクションとして3割ぐらいは「複業をすると本業がおろそかになる」という声が返ってきます。
ここでのポイントは、タスクマネジメントを行い、業務の生産性を考えることです。
特に、コロナ禍でリモートワークやハイブリッドワークも浸透しました。会議中以外の動きは、同僚や上司からは見えないわけで、どのように生産性を高めて業務をこなすかも、これからは私たち1人ひとりに委ねられています。
業務というのは、常に改善によるアップデートをし続けるべきもの。生産性を高めて時間ができれば、新たなチャレンジをする余地も生まれます。「複業をすると本業がおろそかになる」と判断する前に、まずは本業の生産性をもっと高める努力をしましょう。
実際に複業をしてみると、自然とタスクマネジメントを考えるようになりますし、生産性を高めようという意識も働きます。目の前のタスクが増えることで、工夫をするようになるからです。
また、キャリア形成の観点から見ると、複業をすることでキャリア資産を蓄積できます。この点については、複業がどんな効果をもたらすのかを調査・分析した結果、複業をしていない人と比べてしている人のほうがキャリア資産が1.2倍になることが確認できています(下図)。
また、勤務先が副業を認めていないという声も聞かれます。しかしまず前提として、政府は副業・兼業を推奨し、ガイドラインも策定しています。本連載でも取り上げてきたように、組織内キャリアから自律型キャリアへと歴史的転換期を迎えている今、副業を禁止する企業には優秀な人材は定着しません。その傾向は今後ますます顕著になっていくでしょう。
この前提を踏まえれば、たとえ勤務先の会社が副業を禁止していても、複業をすることには問題はありません。国家公務員だけれど複業をしている方、趣味を複業にしている方など、複業も多様化してきています。
複業で本業がおろそかになることはありません。ブレーキ要因があるとすれば、それはこれまでの働き方の経験から形成される「思い込み」にすぎません。まず、このブレーキを外しましょう。
「そもそも複業できない」というブレーキ
次に、「複業なんてできない」とためらうもう1つのケースを考えてみましょう。「そもそも複業できるスキルがない」という声です。
これも大きな誤解です。まず、これまで業務で取り組んできた内容をしっかりと棚卸ししてみましょう。誰もが何らかのビジネス資本と社会関係資本を蓄積しています。まずはそれを自覚することが大切です。
私の例をお話しします。他大学の兼任講師の複業をすることは、本業で培ったキャリア資本の直接的な利用です。しかし、テニスコーチの複業はまったく異なるキャリア資本です。長年やってきたことと学生時代のアルバイト経験を活かして複業にしているのです。
テニスコーチの複業に関しては正直なところ、経済的報酬が目的ではありません(実際、時給交渉もしたことがありません)。報酬以上に、定期的にテニスを教えることでこちらが気づきを得たり、身体を動かすことに重きを置いています。
このように考えれば、あなたのこれまでのキャリア資本も、複業の機会創出になることがお分かりいただけるでしょう。英語、デザイン、プログラミング、音楽、写真、動画、編集……なんでも複業のコンテンツになり得ます。教える側や提供する側に回ることで、経済的報酬以上のリターンが得られるものです。
それでも最初の一歩の踏み出し方が分からないなら、複業クラウドを一度覗いてみてください。皆さんがこれまで本業で培ってきたキャリア資本を活用してどんな複業に挑戦できそうか、見当がつくはずです。
複業クラウドを運営しているAnother worksの社長、大林尚朝さんは、キャリア形成における複業の意味をこう語ります。
「複業は、大きく自分の環境を変えることなく、本来やりたかったことに挑戦できるキャリア形成の味方と言えます。例えば、平日の日中は本業に集中し、平日の朝夜や土日に複業先に関わる、といったキャリアデザインを描くことができます。
ここでポイントなのが、今の環境を大きく変えずに挑戦できる点です。複業としてライトな形で転職候補先にジョインしてみたり、独立する前の腕試しとして企業の案件を受けてみたり、複業をキャリアチェンジの『中間点』だと認識するといいかもしれません。
転職においては、受け入れる側の企業も『まずは複業で』仲間になってもらい、カルチャーに馴染んだ上で正式に参画してもらった方が採用ミスマッチのリスクも軽減します。独立においても、『まずは複業で』プレ独立した方が案件獲得の方法を学べたり、自身の市場価値を認識できたりとプラスに働くことがあります。
このように、今までの転職活動や独立準備の中に「複業」という選択肢を入れてみると、一気に心理的なハードルが下がると思います」
組織内キャリアから自律型キャリア=プロティアン・キャリアへの最初の一歩として、複業を活かしてみてください。複業を意識するようになると、これまで聞き流していた情報に不思議と目が向くようにもなります。そうやって身近なところから行動に移してみるといいでしょう。
そうそう、私にとっては、みなさんに言葉を届けているこの連載も「複業」です。
それではまた次回。
この連載について
物事が加速度的に変化するニューノーマル。この変化の時代を生きる私たちは、組織に依らず、自律的にキャリアを形成していく必要があります。この連載では、キャリア論が専門の田中研之輔教授と一緒に、ニューノーマル時代に自分らしく働き続けるための思考術を磨いていきます。
連載名にもなっている「プロティアン」の語源は、ギリシア神話に出てくる神プロテウス。変幻自在に姿を変えるプロテウスのように、どんな環境の変化にも適応できる力を身につけましょう。
なお本連載は、田中研之輔著『プロティアン——70歳まで第一線で働き続けるキャリア資本術』を理論的支柱とします。全体像を理解したい方は、読んでみてください。
田中研之輔(たなか・けんのすけ):法政大学教授。専門はキャリア論、組織論。社外取締役・社外顧問を23社歴任。一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事、UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員(SPD東京大学)。著書は『プロティアン』『ビジトレ』等25冊。「日経ビジネス」「日経STYLE」他メディア連載多数。〈経営と社会〉に関する組織エスノグラフィーに取り組む。