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2021年のノーベル物理学賞は、日本出身で米国籍の気象学者、眞鍋淑郎氏が受賞した。眞鍋氏は米プリンストン大学の上席研究員で、地球温暖化理論の第一人者。1950年代から気象研究に取り組み、大気中の二酸化炭素が増えると地表の温度が上昇するということを世界で初めて数値で示した。
気候変動は今でこそホットなテーマだが、50年以上前にその重要性や意味を理解している人はごくわずかだっただろう。この受賞が日本で大きく反響を呼んだのは、その功績であることはもちろんだが、眞鍋氏の記者会見でのパンチある言葉ゆえだったと思う。
「調和の中で生きる能力がないから」
1931年に生まれた眞鍋氏は、現在90歳。東京大学大学院を修了した1958年に27歳で渡米し、1975年に米国市民権(国籍)を取得、キャリアのほとんどをアメリカで築いてきた。会見で、米国籍を選んだ理由について、眞鍋氏は、
「日本人は調和を重んじる。イエスがイエスを意味せず、常に相手を傷つけないよう、周りがどう考えるかを気にする。アメリカでは、他人にどう思われるかを気にせず好きなことができる。私は私のしたいことをしたい」
と述べ、
“I don’t want to go back to Japan.” “Because I am not able to live harmoniously.”
「私は日本に戻りたくない」「なぜなら調和の中で生きる能力がないから」
と答えた。
会場ではこれをジョークと解釈したのか和やかな笑いが起きたが、私は大真面目かつ率直な発言だと感じた。海外で生きている多くの日本人がこのひと言に共感したと思う。日本社会の持つ同調圧力、突出した人を抑圧し、異端を排除しようとするエネルギーは、いったん日本の外に出た人間の目から見るとかなり独特で、息苦しいものだ。とりわけ自我が強いタイプ、単刀直入にものを言うタイプの人は消耗する。
私自身アメリカで30年近く生きてきた。米社会にも「いつもポジティブでないといけない」「インテリは必ずリベラルでないといけない」というような、ある種の「同調圧力」はある。ただこの国では、ゼロから何かを始めた人のパイオニア精神を(結果的に失敗しても)尊敬し賞賛する文化がある。
眞鍋氏の指摘する周囲との調和を重んじ、他人にどう思われるかを常に気にしなくてはならない日本社会の性質は、研究界のカルチャーにも影響を及ぼすものだろう。特に自然科学やテクノロジー分野で、新たな発見や発明をするためには、既存のコンセンサスや先入観に縛られない自由な発想、突飛さ、失敗を恐れない冒険心が必要なはずだ。
異端児が沈黙させられ、常に周囲に気を使わなくてはならない社会は、path dependency(経路依存性)や groupthink (集団浅慮)に陥りやすい。異なるアイデアの衝突や摩擦がない分、常識を覆すような発想や大胆なイノベーションが生まれにくくなるのではないだろうか。
「妻の手料理が活力に」という見出し
ノーベル物理学賞受賞を受け、プリンストン大学で開かれた眞鍋氏の記者会見。1時間にわたる会見を、海外メディアは「好奇心」「驚き」といったキーワードとともに報道した。
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約1時間にわたるこの会見には、眞鍋氏の人柄、ユーモアのセンス、飾らなさがよく表れていた。眞鍋夫人についての質問も出て、いくつもの記事にもなっていた。アメリカでも、オスカー賞などの授賞式で家族のことが話題になるのはよくあることだし、受賞者も配偶者や子どもなどに感謝の言葉を述べる。でも、読売新聞の「ノーベル賞の真鍋さん、妻の手料理が活力に」という見出しを見た時は、「ああ、結局こうやってまとめてしまうのか……」と脱力した。
これは会見における日本のテレビ局記者の「夫人は教授の研究をよく支えられ、料理の腕も素晴らしいと聞いている。奥様についてお聞かせください」という質問が元になっている。この質問を聞いた時、なぜ今ここで「料理上手な妻」という切り口からアプローチするのかと思った。
確かに眞鍋氏の妻、信子さんは教えるくらい料理上手らしい。でも、この質問には「夫を支える良い妻=おいしい手料理を作る人」という古典的な「内助の功」の図式に当てはめた陳腐さ、安直さを感じた。夫婦のパートナーシップというのは、もっと多面的に斬り込めるはずだ。実際真鍋氏は、信子さんがあらゆる面で支えてくれたこと、研究についてもよき理解者であったことを、インタビューなどで述べている。
信子さんは表千家流の茶道を教え、かつてはプリンストン日本語学校の校長も務めていた、自分の世界やキャリアもしっかり持っている女性だ。インタビューに対する「家族のチームワークあってのことです」「それぞれが得意なことをやる」「二人三脚ですよ」というキッパリした口調には、きちんと自己主張ができる方という感じがした。夫妻の対等かつ互いへの尊敬に満ちたパートナーシップも垣間見えて清々しかった。
「アメリカ国籍を取得している日本人」
LEDの研究で2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏は、研究を続けるためにアメリカの市民権を取得した。
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毎年ノーベル賞の季節になると、「これまでノーベル賞を受賞した日本人は何人か」という話になる。これについては、以前にも記事に書いたことがある。
日本版ウィキペディアの「日本人のノーベル賞受賞者」にはこうある。
「日本は非欧米諸国の中で最も多い29名の受賞者を輩出しており、このうち4名が受賞時点で外国籍を取得していた」
受賞当時に米国籍を取得していた南部陽一郎氏、中村修二氏、眞鍋氏、英国籍のカズオ・イシグロ氏の4人を含めて29人、という数え方だ。NHKも、「日本人がノーベル賞を受賞するのはアメリカ国籍を取得した人を含めて28人目」(上記29人からカズオ・イシグロを除いている)と報じた。
この「アメリカ国籍を取得している日本人」という表現は不自然だ。「アメリカ国籍を取得している人」は、シンプルに「アメリカ人」で良いのではないか。眞鍋氏が国籍を変えたのも50年近く前のことだ。英語では、そういう人のことを「Japanese-born U.S. citizen」あるいは「Japanese-Amerian」と呼ぶ。これを日本語で言うなら「日本出身のアメリカ人」「日系アメリカ一世」だ。日本の多くのメディアが使う「アメリカ国籍を取得している日本人」という言い回しは、強引に「日本人」と言いたがっているようにも聞こえる。
日本の国籍法は原則として二重国籍を認めていないので、外国の国籍を取得すれば、日本の国籍を喪失する。このことが日本で話題になったのは、2008年に南部陽一郎氏が、2014年に中村修二氏がノーベル物理学賞を受賞した時だった。
中村氏の受賞の際には、米メディアは中村氏を「アメリカ人」と紹介した。例えばニューヨーク・タイムズは「1人のアメリカ人と2人の日本人がLEDについての研究でノーベル物理学賞を分け合った(American and 2 Japanese Physicists Share Nobel for Work on LED Lights)」という見出しだ。この「1人のアメリカ人」は、中村氏を指す。
中村氏は受賞後のインタビューで、アメリカの大学で研究を続けるにあたって必要だったから米国市民権を取得したと述べている。アメリカの大学では、教授は多額の研究費を自ら集めてこなくてはならない。中村氏曰く、その大半は米軍関係のものであり、機密の多い軍の研究費を用いるには市民権が必要だったという。
「アメリカ人以外のパスポートの人は全部排除されるんですよ、お金もでない、研究もできない。だから(米国で)大学教授として生きるためにはアメリカのシチズンシップもってないとダメなんですよ。取ってないと研究費も集まらないし、研究もできないから」
中村氏は米国籍を取得したときに日本国籍を捨てた自覚はなかったらしいが、日本の国籍法の下では、本人の意思とは関係なく、外国籍の取得時点で日本国籍を自動的に喪失したとみなされる。さらにこんなこともあったという。
「私はノーベル賞の際に米国の市民権を取ったことを話した。すると二重国籍は問題だと日本のパスポートは更新できなくなり、取り上げられた。同僚の在米ドイツ人研究者はノーベル賞受賞を機に特例で二つ目のパスポートが贈られた。ドイツも二重国籍を認めていない。日本の社会はノーベル賞に狂喜するが、日本の政府は官僚主義だ。この対応の差に同僚たちも驚いていた」
日本は今や先進国の中では少数派となった、重国籍を認めない国の一つだ。World Population Review によると、2019年時点で、重国籍を認めている国は約60カ国にのぼる。欧州、北米、南米が多いが、1990年代以降、容認する国は増える傾向にある。欧米で重国籍を認めている理由の一つは、国が強制力を持って国籍を捨てさせるのは人権侵害であるという考え方が強いためだ。
日本の国籍法の規定は、兵役義務などの観点から重国籍を認めなかった明治憲法下の国籍法から引き継がれたものだという。しかし、明治時代から100年以上が経ち、これだけグローバル化が進み、人の移動が激しい時代に、一つの国籍しか認めない方針をとり続けることは国益にかなったことなのだろうか。「日本かアメリカかどちらか一つを選べ」と迫って、アメリカを選ばれたら、それが国の財産となるような優秀な人材だったら、日本にとっては損失ではないのだろうか。
なぜ頭脳が流出していくのか
日本出身の優秀な研究者が渡米を決める背景には、日本の大学の厳しい研究環境がある。
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ノーベル賞のたび受賞者の国籍が話題になりがちだが、むしろ注目されるべきは受賞対象となった研究がどこで行われたかということの方ではないだろうか。
眞鍋氏の受賞以来、日本では「頭脳流出」について熱心に語られているが、これは過去のノーベル賞受賞者たちも何度も問題提起している。
- 日本経済新聞:真鍋氏「頭脳流出」が警鐘 人材ひき付ける環境急務
米国籍こそ取得していないが、2010年にノーベル化学賞を受賞した根岸英一氏も、キャリアの大半をアメリカで築いている。根岸氏はペンシルバニア大学で博士号を取得後、日本の大学で働きたいと思っていたが、ポジションを見つけられず、大学院に行くまで勤めていた帝人の研究所を辞め、1966年にインディアナ州のパーデュー大学に迎えられた(2021年6月に亡くなるまで、50年以上アメリカを拠点にしていた)。
眞鍋氏はアメリカでの研究生活を振り返って、好奇心に従って自由に研究でき、研究資金の面で苦労したことがないと言い、
「人生で一度も研究計画書を書いたことがありませんでした。自分の使いたいコンピュータをすべて手に入れ、やりたいことを何でもできました」
と述べている。
今日の日本の科学技術分野はもちろん予算の問題もあると思うが、組織的構造の問題もあると思う。日本の大学教授は日々の瑣末な雑務に追われ、研究に専念できない、わずかな研究費のために膨大な申請書が必要だ、という話は大学で働く友人たちからもよく聞く。
読売新聞の記事は、真鍋氏から教えを受けた北海道大の山中康裕教授のこんな言葉を紹介している。
「日本では50~60歳になると組織の長を任されて研究ができなくなるが、米国は研究だけに専念できる。真鍋さんは研究が大好きな人で、米国の環境が合っていた」
2000年からカリフォルニア大学サンタバーバラ校を拠点に研究する前出の中村氏は、2017年のインタビューで、「日本は研究者から選ばれない。上意下達が過ぎる」「学術界も産業界も沈んでいく国」と辛辣に述べ、「工学系を目指す若者は、まず日本から出ること」と勧めている。
競争力を失う日本の研究環境
中国企業ByteDanceが運営するSNSアプリ、TikTokは、そのアルゴリズムの精度の高さにより、各国で若い世代を惹きつけている。
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2021年、中国が自然科学分野の論文の注目度の高さを示す指標で、アメリカを抜いて世界一になったことが注目を集めた。この夏には、将来のノーベル賞候補と目される藤嶋昭・東大特別栄誉教授が研究チームごと上海理工大学に移籍したこともニュースになった。
研究環境のクオリティを決定づける重要な要因は、資金、人的資本、インフラストラクチャー、研究界と産業界をつなぐエコシステム、政府の戦略などだと思うが、中国は、近年その経済力を背景に特に自然科学分野の研究環境整備、人的資本の開発を猛烈に加速させている。
8月にジョージタウン大学が発表したレポート「China is Fast Outpacing U.S. STEM PhD Growth(中国はアメリカよりも遥かに速いペースでSTEM分野の博士号取得者を生み出している)」は、中国が2000年代中盤以降、アメリカよりも多くのSTEM(科学、技術、工学、数学)分野の博士を生んでおり、その差は今後5年でますます広がるだろうと予測している。2025年には、中国の大学が7万7000人強のSTEMの博士号取得者を生み出すのに対し、アメリカの大学は約4万人にとどまるだろうと。
中国はこうした人的資本開発と同時に、いわゆる「海亀政策」と呼ばれる海外で教育を受けた人材の呼び戻しにも力を入れている。また藤嶋教授のように、今後研究室ごと中国の大学に移籍する研究者も増えていくかもしれない。そうなればゆくゆくは、中国での研究でノーベル賞を受賞する日本人を含む外国人研究者が出てきてもおかしくない。もちろん中国が真にアメリカに対抗できるようになるには透明性や自由な発想を促す文化といった部分は必要だと思うが。
かたや日本は近年、科学研究力の低迷の話ばかりが聞こえてくる。文部科学省科学技術・学術政策研究所が8月に発表した「科学技術指標 2021」では、下記のような分析がなされている:
- 日本の大学部門や公的機関部門の研究開発費の伸びは他の主要国と比べて小さい。
- 米国の大学部門の研究開発費は主要国の中で1番の規模を維持し、中国は 2012 年に日本 (OECD 推計)を上回った。
- 中国の公的機関部門の研究開発費は 2013 年に米国を上回り、2019 年では 主要国の中で1番の規模である。
- 2019年の日本の研究開発費は18兆円、アメリカの68兆円のわずか4分の1、中国(54.5兆円)の3分の1。
- 日本の博士号取得者数は減少傾向にある。現在、博士号取得者数が最も多いのは米国(9.2 万人)であり、中国(6.1 万人)、ドイツ(2.8 万人)。日本はドイツの約半分にあたる 1.5 万人で、 2006 年度をピークに減少傾向にある。
- 「世界で注目される質の高い論文数」ランキングで、中国が初めて米国を抜いて1位に。日本の論文数は横ばいであり、他国・地域の増加により、順位を下げている。
- Top10%補正論文数で日本の順位低下が顕著。中国は Top10%補正論文数でも、世界第1位。1990年代後半には米英独に続いて4位だった日本は、昨年よりさらに1位落ち、インドより下の10位になった。
日本は現在多くの指標で米中、あるいは中米に続く3位となっているが、この報告書を読むと、「かろうじて」という言葉が浮かぶ。各指標における日本の伸び率は低迷しており、アグレッシブな上位2国との差は広がっている。また、追い上げてきている欧州やアジア新興国に抜かれるのも時間の問題ではないかと思われる分野もある。
「長くアメリカにいた私は適役ではない」
感染症の専門家であるアンソニー・ファウチ氏は、HIV/AIDSや新型コロナウィルスなどへの対策について、歴代アメリカ大統領に助言をしてきた。
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大学卒業後のキャリアのほとんどをアメリカで築いてきた眞鍋氏は、4年間だけ日本で働いていたことがある。1997年に科学技術庁地球フロンティア研究システム地球温暖化予測研究領域長に就任したが、2001年に辞任し、アメリカに戻った。
2001年当時の朝日新聞の報道には「日本の縦割り行政の中で、研究所などが協力して(地球シミュレータを)使いこなす体制をつくるのは並大抵のことではない」「長くアメリカにいた私は適役ではない」と報じられ、日経新聞には、「所管が違う様々な研究機関との間の忍耐がいる調整業務、研究スタッフの不足、本音を率直に話さない日本独特の習慣—— 。米国では考えられなかった本来の研究以外の苦労が重くのしかかっていたことが言葉の端々からうかがえた」とある。
プリンストン大学での記者会見で、「日本の大学や研究機関に対するアドバイスは?」と訊かれた眞鍋氏は、こう問題提起した。
「日本では、科学者が意思決定者に助言する方法、科学者と政策決定者の間のチャンネルというものについては、双方がコミュニケーションを取っていないと思います。アメリカでは、国立科学アカデミーが政府に非常に効果的な形でアドバイスをしており、はるかにうまくいっていると思います。政策決定者と研究者がどのようにコミュニケーションをとるのか、もっと考えるべきではないかと思います」
朝日新聞とのインタビューでも、「アメリカに対して文句を言おうと思えばいくらでもあるけれども、日本よりもはるかに多様な意見が、学者から政策決定者に上がっていると思う」と述べている。
●朝日新聞:真鍋さんが言葉を濁す「日本へのメッセージ」記者が感じた切なる願い
専門家の意見が政策に取り込まれづらい構造、科学と政治の断絶、縦割り行政の弊害は、新型コロナウィルス危機での日本の対応でも繰り返し明らかになった。今のような状況が続けば、自分の専門知識を政策に活かしたいと望む研究者たちは、日本で働くことを諦め、海外で活躍することを選ぶようになってしまうのではないだろうか。
「日本で夢を叶えるのは難しい」
オスカー「メイクアップ・ヘアスタイリング賞」を2度受賞したカズ・ヒロ氏は、日本に対しての率直な思いを語り、バッシングの対象になることもあった。
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眞鍋氏の言葉を読みながら、もう一人、アメリカを拠点に活躍し、米国籍を選んで話題になった日本人の発言を思い出した。2017年公開の映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(原題:Darkest Hour』、2019年公開の映画『スキャンダル(原題:Bombshell)』でオスカーの「メイクアップ・ヘアスタイリング賞」を受賞したカズ・ヒロ氏だ。
彼は一度目のオスカー受賞の際には辻一弘という名前だったが、その後2019年に米国籍を取得し改名した。その理由として、受賞時に日本のメディアが「日本人はすごい」と大騒ぎしたことがあるという。「日本を代表して」「日本人として初の」というような言われ方をされるのが、あまり心地よくなかったと。
1回目のオスカー受賞後、Cinema Today とのインタビューで、若者には絶対に一度は海外に出て、外から日本を見ろと勧めていると話していた。外の世界を経験することよって、日本のありがたみも欠点も分かるようになるからだと。そして世界はものすごいスピードで変化しており、それぞれが敷かれたレールではなく、自分に合った生き方を見つけ、切り拓いていかなくてはならない時代になっているとも述べている。
そして2020年、二度目のオスカーを受賞した時、記者会見での発言が、下記のような見出しとなって駆けめぐった。「日本の文化が嫌に」カズ・ヒロさん、再びアカデミー賞(朝日新聞)。
記事は彼の答えをこう訳している。
「こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って、米国人になった」と返答。「(日本の)文化が嫌になってしまったし、(日本で)夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」
これは日本の記者からの「日本での経験が受賞に生きたか」と問われた際の答えを元にした記事なのだが、翻訳に問題があると思う。ちょっと悪意を感じるくらいだ。発言の原文はこうだ。
"Sorry to say but I left Japan, and I became American because I got tired of this culture, too submissive, and so hard to make a dream come true. So that's why I'm living here. Sorry".
私ならこう訳す。
「こんな風に言うのは残念ですが、私は、日本を去り、アメリカ人になることを選んだ人間です。周囲に合わせる過度な従順さを求められる(日本の)文化の中で疲弊してしまい、そういう環境で夢をかなえるのはとても難しいと感じた。だから私は今アメリカに住んでいるのです。(良い答えでなくて)すみません。」
Got tired of は、「疲れた」「飽き飽きした」というニュアンスのある言い回しだが、ここで彼が言っているのは、文脈から考えて、疲弊感だと感じる。
そして上記の朝日新聞の訳には、抜けている部分がある。too submissiveという言葉だ。この言葉が、実は重要だと思う。直訳するなら、「服従的すぎる」ということだが、彼がここで言いたかったのは、上下関係・師弟関係を重視し、権威やルールに従順に従い、「わきまえる」ことを求める同調圧力の強さだと思う。眞鍋氏の発言と通じるものがある。
2020年、二度目の受賞後には、インタビューでこのようにも話している。
「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろんあるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと」
これらの言葉は、会見での発言と相まって「辻一弘は日本嫌い」「反日」というような解釈を招き、特にネット上ではバッシングの対象にもなった。日本の、特に若者にとっての重要な示唆に満ちた説得力ある言葉だと思うが、彼のメッセージを「日本文化を貶した」「日本嫌い」というふうにしか受け取れない人々がいるのは残念だ。
才能を引き寄せ、吸収するアメリカ
バイデン大統領は、トランプ政権下での厳しい移民政策を改革することを約束し、広い支持を得た。
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1901年から2021年の間に、ノーベル賞は943人の個人、25の組織に与えられた(複数回受賞している人や組織もあるので、それらを数えると975の個人・組織となる)。
「日本人の受賞者」の数え方が統一されていないように、国ごとのメダルの数をどう数えるかはさまざまだ。複数の国籍を持つ人もいるし、国籍ではなく受賞時の所属機関、居住地で数えるという方法もある。ただどういう数え方であれ、国ごとの受賞者の数でアメリカの地位は揺るがない。受賞者の数は432というものもあれば、 311というものもあったが、どのランキングでも、アメリカがダントツで1位、イギリス2位、ドイツ3位は変わりないようだ。
受賞者のうち移民が占める割合の高さもアメリカの特徴となっている。
2021年に発表された受賞者13人のうち8人がアメリカ国籍だったが、うち5人(眞鍋氏も含め)が外国生まれの移民一世だ。
経済学賞は歴代アメリカが強い分野として知られ、2021年の受賞者3人も全員アメリカで研究する米国籍者だった。ただし、グイド・インベンスはオランダ生まれ(現スタンフォード大学)、デビッド・カードはカナダ生まれ(現カリフォルニア大学バークレー校)、ヨシュア・アングリストはアメリカ生まれでイスラエルとの二重国籍(現マサチューセッツ工科大学)だ。
医学賞受賞者の1人であるアーデム・パタプティアンも移民だ。レバノン育ちのアルメニア系アメリカ人である彼は18歳の時、内戦下のレバノンから逃げてカリフォルニアにやってきた。UCLAに入学できたことが、人生を切り開くきっかけになったという。受賞後の会見で、「この国が私に与えてくれた機会に本当に感謝している」と述べ、特に学士号および博士号取得後の研究の拠点としてきたカリフォルニア大学システム(UC system)への感謝を強調していた。10大学からなるカリフォルニア大学システムはアメリカ合衆国で最大規模の州立大学群で、これまでに単独で70人もの教職員がノーベル賞を受賞している。
ジョージ・メイソン大学の調査によれば、1901年から2021年までにノーベル賞受賞時に米国を拠点にしていた研究者のうち、34%にあたる148人が外国生まれの移民一世(または米国籍はとっていないが、受賞時に米国の研究機関に在籍した外国出身者)だという。
このように自国以外の出身でも、力さえあれば才能を伸ばす場を与えてくれるのがアメリカだ。移民が研究者として成功すれば、それが次の世代を励まし、さらに新たな才能がアメリカの研究機関を目指すという循環構造がある。
同時にアメリカでは、若くても、実力があれば機会が与えられる。これも海外からの才能を引き寄せる一つの魅力だろう。MITの物理学名誉教授であるマーク・カストナーは、アメリカの大学が比較的若い研究者でも、優秀ならば研究室を与える伝統をもっていること、それが欧州や日本のような年功序列型の組織との違いの一つであることを指摘している。
さらに大学を取り巻くエコシステムだ。研究者にとっては、大学内での研究職の道のみならず、産業界、政府、その他の分野で活躍できる機会があるかどうかが、研究拠点を選ぶ上で一つの決め手になると思うが、そういった機会の多様さという意味でも、アメリカはダイナミックだ。
これら全てが、アメリカのソフトパワーそのものだ。そしてこれは、研究以外の世界にも通じる。メジャーリーグはじめ各種スポーツからブロードウェイ、ハリウッド、シリコンバレーまで、世界中の優れた人材を引き寄せ、取り込んでしまうオープンさ、吸収力が、結果的にアメリカの強さと豊かさになっている。
とはいえ、アメリカ社会にも明確なヒエラルキーがある。依然として白人男性が牛耳る社会であり、アングロサクソン(金融や医療や法律などの分野ではユダヤ系も多い)が頂点を占める。アメリカ人は結局誰もが移民の子どもだが、同じ移民でも欧州系白人移民と非白人とでは、「アメリカ人」として受け入れられる容易さに明らかな差があるし、差別はさまざな形で存在する。
でも誰であれ、我こそはと思う者はとりあえず勝負に参加させてはもらえるし、力を証明しさえすれば認めてくれるというフェアさとプラグマティズム(実利主義)がある。裏返せば、近年顕著になっている白人至上主義、排外主義、ナショナリズム、人種差別といった動きがいかにアメリカという国のブランドを傷つけ、貴重なソフトパワーを損なっているかという話でもある。
今日の世界には、複数のパスポートを持ち、複数の言語で仕事できる人たちが増え、人生のステージやプライオリティの変化に合わせて、国境を跨ぎながらキャリアを築くことが当たり前になっている。国が人を選ぶのではなく、国が人に「選ばれる」時代になっているのだ。グローバルな人材獲得競争は、今後も激しくなる一方だろう。そんな中、魅力的な人材に選んでもらえる国になるためには何が必要かということを考え、日本もアメリカや中国に負けず、戦略的に動くべきなのではないだろうか。
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny