Nadezda Murmakova / Shutterstock.com
10月5日、スウェーデンの王立科学アカデミーは、2021年のノーベル物理学賞を真鍋淑郎氏ら3氏に授与すると発表しました。地球温暖化を確実に予測する気候モデルを開発したことが高く評価されての快挙です。
今回のノーベル物理学賞にこのテーマが選ばれたことが象徴しているように、温暖化とそれに伴う気候変動は、今まさに人類と地球が直面している喫緊の課題です。実際、世界経済フォーラムが発行した2021年の『グローバルリスク報告書』でも、「発生の可能性が高いリスク」「影響が大きいリスク」の双方で気候変動が上位にランキング入りしています(図表1)。
このように、気候変動リスクはビジネスにおいても脅威となりますが、一方でこれを「機会」と捉える企業もあります。その代表格がテスラモーターズ(以下、テスラ)です。
テスラといえばイーロン・マスクが創業したEV(電気自動車)メーカー。創業は2003年と若い会社ながら、今やトヨタの2.8倍の時価総額を誇るほどに成長しています(図表2)。
(出所)2021年10月12日時点の株価をもとに各社の時価総額を筆者算出。
それどころか、私たち日本人にも馴染みの深い国内・アメリカ・ヨーロッパの伝統的な主要自動車メーカー時価総額上位7社を束にしても、テスラ1社に敵わないのです(図表3)。
(注)ステランティスはPSAとフィアット・クライスラー・オートモービルズが合併して生まれた多国籍自動車メーカー。
(出所)2021年10月12日時点の株価をもとに各社の時価総額を筆者算出。
テスラはなぜこれほどまでにマーケットから評価されているのでしょうか?
そこで今回は前後編の2回にわたり、ファイナンスと会計の視点からテスラのビジネスモデルについて考察をしていくことにします。
自動車メーカーというより「成長著しいテック企業」
テスラがトヨタの時価総額を超えたのは2020年7月のこと。同年12月期には、テスラは創業以来初めて通期の当期純利益レベルで黒字を達成しました。
(出所)Tesla, Inc., “Quaterly Disclosure”をもとに筆者作成。
「トヨタの時価総額を超えた」とはいえ、テスラとトヨタの売上高と当期純利益をそれぞれの2020年度の数字で比較すると、どちらもトヨタのほうが7倍以上上回っています。この数字だけを見れば、テスラはトヨタの相手にならないほど、まだまだ大きく水を開けられています(図表5)。
(出所)Tesla, Inc.のFORM 10-Kおよびトヨタの有価証券報告書より筆者作成。
売上高や利益で見ればトヨタがテスラを圧倒しているのに、なぜ時価総額ではテスラがこれほど抜きん出ているのでしょうか?
「時価総額=株価×発行済株式総数」ですから、テスラの株価推移を見れば答えは一目瞭然です。同社は近年、他の自動車メーカーとは比べ物にならないくらい大幅な株価上昇を実現しています。図表6は、2015年12月を100として、テスラ、ナスダック総合指数、そしてテスラと同じ分類に位置づけられる上場企業という3つの株価成長を比較したものです。
ナスダックや他の自動車メーカーの株価はこの5年間で約2倍の成長にとどまっていますが、テスラの株価はこの間に14倍にもなっています。特に2020年は、たった1年でなんと8倍以上(※1)も株価が上昇しているのです。
他の指標で見ても、テスラの強さは圧巻です。PER(Price Earnings Ratio:株価収益率)は実に1084倍(2021年10月12日時点の株価をもとに算出)。これは1000年分以上の利益が時価総額として現れていることを意味します。ハイテク企業で構成されるNASDAQのPERが約30倍、トヨタのPERが本稿執筆時点で約12倍ですから、テスラのPERがいかに高いかがお分かりいただけるでしょう。この水準はもはや、自動車メーカーというより成長著しいテック企業並みです。
テスラの評価はなぜこれほど高いのか?
テスラが株式市場で非常に高く評価されているのは分かりましたが、なぜそれほど高く評価されているのでしょうか?
テスラの2020年の新車販売台数は約50万台。EVにしてはかなり売れている方ではありますが、トヨタの年間の新車販売台数は約1000万台もあり、テスラはそのわずか5%にすぎません。2020年の世界全体での新車販売台数7797万台と比較すると、テスラの占める割合は1%にも満たないのです。
ここでのポイントは、過去を見るのではなく、どこまで未来の予測を織り込むかということです。売上高や利益は、あくまで会計的な視点で見た過去の結果に過ぎません。これに対して時価総額とは、未来の予測が織り込まれたマーケットの評価。いわばファイナンス的な視点です。
確かに、現在のテスラの販売台数は自動車マーケットにおいてはまだ大きくはありません。ですが株式市場は、今後テスラはもっと伸びていくだろうという予測を織り込んでいるのです。
「それにしても、ここまでの株価上昇はさすがに高すぎない?」と思った方もいるかもしれません。その感覚は当然ですよね、わずか1年のうちに株価が8倍以上に膨らむのですから。
ここで、図表7をご覧ください。これは、アンドリュー・マカフィーとエリック・ブリニョルフソンの『プラットフォームの経済学』の内容をもとに、アメリカの1990年〜2000年初頭の産業の様子が、その20年後にどう変化したかをまとめたものです。
20年前と現在とを比べると、私たちの生活それ自体が大きく変わったわけではありません。相変わらず電話を使い、ラジオを聴き、ニュースを読んで、音楽を聴いたり写真をとったりショッピングを楽しんだりしています。
けれど固定電話は携帯電話に置き換わり、ラジオはPodcastに、新聞紙はネットに、CDはストリーミングに……という具合に、手段や決済のしくみは一変しました。それに伴って、かつて栄華を極めた企業は衰退し、新興企業がそれに取って代わるという地殻変動が、多くの業界で起きているのです。
そしてその地殻変動が、いよいよ自動車業界でも起ころうとしている——。そのことをいち早く予見した株式市場の期待が、テスラの株価をこれほどまでに押し上げているというわけです。
では、これから自動車業界に起こるであろう地殻変動とは、具体的にどのようなものなのでしょうか? そして、テスラの優位性はどんなところにあるのでしょうか?
以降では「脱炭素化」と「コネクテッド」という2つのキーワードに注目したいと思います。実はテスラは、この2つのいずれに対しても、他の自動車メーカーを圧倒する先行者利益を築いているのです。
第1の地殻変動:脱炭素化でEV市場は今後11倍に?
2015年にパリで開催された気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP)において、すべての国が参加する新たな国際枠組みとして「パリ協定」が採択されました。各国が協力し、「産業革命前からの平均気温の上昇を2℃より十分下方に保持」し、可能なかぎり「1.5℃に抑える努力を追求」しようというものです(図表8)。
この目的を実現するために必要なのが、このところ産業界でもよく耳にするようになった「脱炭素化」です。
脱炭素とは、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの「排出量」から、植林、森林管理などによる「吸収量」を差し引いて、合計を実質ゼロにするということです(※2)。日本でも2020年10月、菅義偉前首相が所信表明演説で「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、脱炭素社会の実現を目指す」と宣言しました。
脱炭素化社会の実現には、自動車産業も大きく関わってきます。というのも、例えば2019年度における日本のCO2排出量(11億800万トン)のうち、運輸部門からの排出量は実に18.6%、2億600万トンにも及ぶからです。
脱炭素を目指すためには、ガソリン車を減らし、電気自動車(EV)や水素自動車を普及させることが欠かせません。
実際EUでは、2050年のカーボンニュートラル目標に向けて、自動車領域でのCO2の排出量を2030年までに2021年比55%削減、2035年までに100%削減するという提案がなされました。仮にこの提案が通れば、2035年以降EUではハイブリッド車を含むガソリン車やディーゼル車を販売できなくなるわけですから、自動車業界にとっては凄まじいインパクトです。
市場調査会社の富士経済は、2020年には世界全体で220万台だったEV市場が、2035年には2418万台にまで伸びると予測していますが(※3)、上記のことを踏まえれば今後15年の間にEV市場が11倍に成長したとしても驚くにはあたりません。そしてその追い風に乗って、テスラは売上高を着実に伸ばしているのです。
排出量取引で1700億円以上の収入
実は、テスラの収入源として見逃せないものがEV車販売のほかにもう一つあります。それが「排出量取引」です。
排出量取引とは、政府が個々の企業に温室効果ガスの排出量の上限を割り当て、この排出枠を企業間で売買するしくみのことです。
割り当てられた枠を超えてCO2を排出する企業は、お金を払って他社から排出枠を購入しなければいけません。逆に、温室効果ガスの排出枠に余裕がある企業は、排出枠を超えそうな企業に排出枠を売ることもできます。
こうすることで、市場の原理を生かしつつ、企業間取引によって生じる温室効果ガスの排出量をコントロールできるようになるわけです(図表11)。
また、アメリカには「ZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)規制」というものがあります。ZEVとは、EVのように走行時に二酸化炭素などを排出しないゼロエミッション車のこと。アメリカの自動車メーカーはこの規制によって、ZEVを一定の割合で販売することが義務付けられています。
仮にZEVの販売が規定数に達しなければ、違反金を支払うか、他のメーカーから排出枠とも言うべき規制クレジット(以下、クレジット)を購入しなければいけません(※4)。
テスラが生産する車はすべてZEVですから、同社は相当量のクレジットを確保しています。実はテスラは、このクレジットをGMやフィアット・クライスラー(現ステランティス)など他社に販売することで多くの利益を得ているのです(図表12)。
(出所)Tesla, Inc., “Quaterly Disclosure”をもとに筆者作成。
テスラが2020年度に販売したクレジットは、15.8億ドル(約1700億円)にも及びます。先の図表4で見てきたように、2020年度に初の黒字化を達成したテスラの営業利益は19.9億ドルですから、実にその78%はクレジットの貢献によるものと考えられます(※5)。
今後は他社もEVへと販売をシフトさせていくであろうことを考えれば、テスラのクレジット収入は長期的には減っていくでしょう。しかし、クレジットから得られた収益をまるまる次の投資に回せることを考えれば、その優位性は計り知れません。
ここまでで、自動車業界に起こるであろう第1の地殻変動、「脱炭素化」によって、テスラが他の自動車メーカーの追随を許さない先行者利益を得ていることがお分かりいただけたと思います。
次回は、これと並ぶ第2の地殻変動、つまり「コネクテッド」というキーワードに象徴される変化によってテスラにどんな追い風が吹いているのかを検証していくことにします。さらに、PER 1084倍という驚異的な市場の評価は果たしてどれほど合理的と言えるのかについても、掘り下げて考えていくことにしましょう。
※1 テスラの株価は、2020年1月初取引日の始値が84.90ドル、12月最終取引日の終値が705.67ドルと、1年間で8.3倍になりました。
※2 環境省「カーボンニュートラルとは」(環境省 脱炭素ポータル)を参照。
※3 富士経済「HV、PHV、EV の世界市場を調査」2021年7月9日。
※4 石原順、マクネリ「米テスラ、ここへきて『脱・自動車メーカー』で株価急騰しているワケ」マネー現代、2020年2月1日。
※5 クレジットの販売には、原価や費用は発生しません。つまり、販売した分がそのまま利益になります。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。