「このプロジェクト、やる意味あるんだっけ……」
2020年の冬、NTT西日本でヘルスケア関連の新規事業の立ち上げに奔走していた新田一樹さん(35)は、プロジェクトが思うように進まない日々と、成果に結び付かないもどかしさに、気力を失いかけていた。
それでも、新田さんを踏みとどまらせたのは、あるベンチャー企業でのビジネス立ち上げの濃密な体験があったからだ。
いま、大企業からベンチャーに、転職ではなくレンタル移籍の形で「留職」する若手が増えている。
企業間レンタル移籍事業を手がけるローンディールは、これまでにパナソニックやサントリーホールディングスなど55社以上から、のべ170人以上をレンタル移籍の形で気鋭のベンチャーに送り込んできた。
新田さんもそのうちの一人だ。
NTT PARAVITAでサービス開発責任者を務める新田一樹さん。2007年に技術職としてNTT西日本入社、2017年から約1年間、トリプル・ダブリュー・ジャパンにレンタル移籍。帰任後、2021年7月にパラマウントベッドとの合弁会社NTT PARAVITAの設立にかかわる。
提供:新田さん
「やる意味あるんだっけ……」の発言から約半年後の2021年7月、NTT西日本はパラマウントベッドと共同出資し、睡眠データを活用したヘルスケアサービスを提供する新会社NTT PARAVITAを設立した。
NTT PARAVITAでは、パラマウントベッドの睡眠センサーを活用し、未病領域を中心に事業を展開する予定だ。9月には患者の睡眠状況の可視化などを目的とした調剤薬局向けサービス「ねむりの窓口」をリリースしたほか、自治体と連携して高齢者を対象とした介護予防事業の実証実験にも取り組んでいる。
新田さんがレンタル移籍から帰任して、新規事業が形になるまで約3年。
心が折れることなく、そして燃え尽き(バーンアウト)ることもなく、やりきれた理由は? と聞くと、新田さんはこう答える。
「レンタル移籍で得た最大の武器は胆力かもしれませんね」
今でこそ、大組織のなかで立ち回りつつ、困難なプロジェクトも諦めず「やりきる」中堅社員に見えるが、自身のマインドセットを変えるきっかけは、レンタル移籍だったと振り返る。
どんな経緯でNTT西日本からベンチャーに移籍し、そこで得た学びとは何だったか?
異動でも転職でもない「レンタル移籍」
高専時代の新田さん(右から2人目)。研究室メンバーと徹夜で論文を執筆した際、担当教官がみかんを差し入れてくれた。
提供:新田さん
新田さんは1986年、福岡県の最南端にある海に面した街・大牟田市で生まれた。幼いころから科学実験や図画工作に興味を持って育った。
中学卒業後、地元にある有明工業高等専門学校(有明高専)に入学。将来は研究職に対する漠然とした憧れは持ちつつも、何となく「スーツを着て仕事をするのはかっこいいな」と思い、学校推薦でNTT西日本に就職した。20歳のころだった。
最初の約8年間は、インターネット接続サービス「フレッツ光」のインフラ構築エンジニアや、茨城県つくば市にあるNTTの研究所でインフラ基盤の研究開発などに従事した。
広島の新興住宅街エリアでフレッツ光の工事を実施したときの様子。
提供:新田さん
転機が訪れたのは2016年末。人材育成の一環として、外部での実践的なビジネス経験を社員に積ませることを目的に、「レンタル移籍」する第一期生の社内公募をはじめたという案内をみつけ、手を挙げたことがきっかけだった。
移籍先候補となるいくつかのベンチャーと面談した中で、新田さんが興味を持ったのが、排泄予測デバイス「DFree」を開発するトリプル・ダブリュー・ジャパン(2015年設立)だった。
異なる社風、「自信」を取り戻した気づきとは……
大人用のおむつをはき、開発中であるサービスの超音波センサーの動作などを自らテストした。
提供:新田さん
「ベンチャーというと、キラキラしたイメージがありましたが、トリプル・ダブリュー・ジャパンは(当時設立2年ながら)落ち着きがあり、みんなが黙々と働いていました。ベンチャーっぽくない感じが気に入りました」
2017年の移籍当時を振り返って、新田さんは懐かしそうに言う。
DFreeは、デバイスに内蔵した超音波センサーによって、膀胱(ぼうこう)の膨らみをリアルタイムで計測し、尿のたまり具合に応じて、状態を通知するサービスだ。介護業界の課題を解決する技術として、J-Startup企業にも選ばれるなど注目を集めていた。
当時、DFreeは法人向けのみの展開だったが、事業領域を広げるべく「個人向けサービス」の検討を始めていた。その立ち上げが、新田さんに課せられたミッションだった。
全く知らない介護業界、慣れない仕事のスタイルなどのカルチャーフィットには当初、苦心した。何より、NTT西日本とまるで異なる社風に度肝を抜かれた、と新田さんは言う。
会議では社員全員がフラットな立場で議論し、中西敦士社長に対しても物おじせずに反対意見を述べる。新田さんが今まで見てきた会議は、ここまで自由な雰囲気ではなく、発言はメインの担当者が中心だった。それが“社会の常識”だとも思っていた。
移籍して4カ月が経ったころ、ようやく自分の意見を発言できるようになった。個人向けの事業開発のなかで、ユーザーと触れ合うことで自信をつけたからだ。
「サービス開発に向けた調査などで、毎日のように介護現場などを回って、声を聞いていました。これによって、(単に)自分の意見ではなく、ユーザーの代弁者として、説得力のある意見を言えるようになったことが大きいです」(新田さん)
同時に、ユーザーに寄り添ったサービスを開発する上で、現場のリアルな声をできるだけ多く集める大切さも学ぶこととなった。
すべて「自分で決めろ」の流儀
新田さんがレンタル移籍先で学んだことは大きく2つある。「スピードの価値」と「意思決定の覚悟」だ。
まずはスピードについて。
NTT西日本における商品・サービス開発は、完全なものを作り上げてからサービスインするというのが基本的な考え方だ。これはこれで、1つの理想ではある。
一方、トリプル・ダブリュー・ジャパンでは、サービスイン後も一定期間でアップデートし、完成度を高めていくことが念頭にある。今時のアプリやWebサービスもこうしたスタイルが多いだろう。
DFreeのサービス開発を通してこの経験ができたのは、新田さんにとって非常に大きかったと言う。
もう一つは意思決定の覚悟だ。
会社の命運を決めるような決断を、中堅社員の立場の新田さんがしたことは今までなかった。けれども、トリプル・ダブリュー・ジャパンでは「(個人向けサービスの仕様は)自分で決めるんだよ」と、中西社長に言われたことが衝撃的だった。
個人向け新サービスにおけるハードウェアの改良や、料金体系、販売方法など、あらゆる仕様決定が新田さんに委ねられた。
「ものすごい重圧でしたよ。自分のせいで新規事業がこけたらどうしようと不安でいっぱいでした」
と新田さんは回想する。
頭を抱えるほど悩んだが、ここでも求められるのはスピード。
まったく新しいマーケットに向けたサービスであるため、自分たちが基準を作ることになる。最初から正解は誰にもわからない。
もしユーザーのニーズとズレていれば、すぐ変えていけばいい、最初から「完全」である必要はない……走りながら考えることは、ベンチャーのモノづくりで学んだことの1つだ。
「逆カルチャーショック」経て、新会社の創立メンバーに
移籍期間終了が差し迫る2018年7月、目標だった個人向けサービスを無事にローンチした。新田さんは3カ月後の2018年10月、NTT西日本へと帰任した。
実に1年3カ月が経っていた。
NTT西日本で新たに任されたのは「ヘルスケア関連の新規事業」の立ち上げ。ポジションは事業開発のリーダーだ。
DFreeの開発を通して、ベンチャーの空気に触れた新田さんにとって、久々の大企業の空気には、一種の「逆カルチャーショック」があったという。
大組織特有の根回しや意思決定のスピード、チーム内の情報共有の粒度に代表される「風通し」には文化の違いがある。
実際、NTT西日本に戻ってからの新規事業は、さまざまなハードルに翻弄された。
新規事業部門の上司が交代したことを契機に、当初は共同開発パートナーの企業からサービス発表する予定だったものが一転、「新会社設立」へと大幅に方針変更されたりもした。新田さんも部署の方針には納得の上とはいえ、ベンチャーに比べると、もどかしさを感じることも少なくなかった。
これが、冒頭の2020年冬「このプロジェクト、やる意味あるんだっけ……」の発言につながっている。
新田さんの口ぶりからは、以前の自分なら、このハードルやプロジェクトの困難を乗り越えることは難しかったのではないか、という印象を受ける。
実際、新田さんは筆者に、諦めずに取り組んだ理由をこう語っている。
「何よりも“自分のプロジェクトだ”という自負や責任感がありました。(NTT西日本社内の優秀な)メンバーもたくさん集まってくれています。
(率直なところ)今までは言い訳をしたり、他人のせいにしがちだったり、ということもありました。(短期間で)こう考えられるようになったのは、ベンチャーでの経験が大きいです」
「個人から組織を変える人に」
今、新田さんは新会社NTT PARAVITAのサービス開発責任者として、ビジネスの種を蒔き、育てていく毎日を送っている。
会社の風通しは良く、スピード感を持って次につながる「失敗」を積極的にやっていこうとする雰囲気がある、と新田さんは言う。
こうした雰囲気づくりにも、新田さんはベンチャーの事業開発の現場で体験した「空気感」を持ち込もうとしている。
トリプル・ダブリュー・ジャパンからNTT西日本へ帰任する際、ローンディールのメンターに言われたことを新田さんは今もたびたび思い出す。
「会社に戻ってから、組織に影響を与える、個人から組織を変える。そんな人になってください」
新規プロジェクトについては、メンバーの意識や業務の進め方などに変化をもたらすことができたという自信はある。ただし、組織を動かすほどの大きな変革については、まだまだ約束を果たせていない、と感じている。
ローンディールによると、新田さんのような個人のマインドセットの変化や、社員自身の成長の手応えは、レンタル移籍を導入した他社でも見られるという。
「大手企業の看板を外して、正解も分からない中を手探りで進むような経験をすると、最初は戸惑い、苦労もします。しかし、結果的に不確実な状況の中でも考えながら走れるようになったり、仕事の主体性が身に付いたりするのです」(ローンディール・原田未来代表)
不確実な時代に、事業開発の体力を鍛える近道は、「組織の外」にある……そんなことを感じさせる事例の1つではないだろうか。
(文・伏見学)