撮影:今村拓馬
Luup社長の岡井大輝(28)が「起業」という選択肢を考え始めたのは、東京大学に入学した頃だった。
高校まで「将来設計は白紙」。ただ、人生の時間を費やすなら人類の中心課題に挑みたいというマインドは持っていた。
「多くの人が『やるべき』と信じられるような大義を掲げて突き進むのが好きなんです」
しかし、なぜそんな性格になったのかは自分でも分からない。特に突出した何かを備えた子どもではなかったと振り返る。「10代で経験した特別な何かが起業につながったとは思わない」と淡々としている。
「そもそも子ども時代に得意なことなんて、大した差にはならないことの方が多いと思うんですよね」
今につながる過去の成功体験についても「特にないと思う」と飄々と、こだわりがない。
話を聞くうちに、岡井の言葉には終始、自分の特技や能力を生かして社会に役立てようとか、自分だけが突出しようという“我欲”が見られないのだと気づいた。
代わりに何度も口にするのは「意味」や「大義」といった言葉だ。やるべき意味を見出せるかどうかが、岡井を突き動かすエンジンなのだろう。
研究者ではなく起業向きと直感
東京大学に入学した岡井だったが、一つのことを突き詰めていく研究は性格的に向いていないと気づく(写真はイメージです)。
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東大の農学部に進んだのも、「人類に関わる課題は生物生態系のテーマにありそう」と考えたからだ。
しかし、実際に生物素材系の研究室に入ってみると、優秀な研究者たちの能力の高さに圧倒された。
「東大には、研究者として自分よりも遥かに成果を出せそうな性格の人たちが何人もいて、自分の出る幕はないと感じました。
研究者の道は向いていないと気づいたときに、起業という選択肢が浮かんだんです。自分が知る限り一番自由なゲームが起業で、自分に合っていると直感した。だから選んだくらいの気持ちでした」
たかが80年、100年しかない人生。自分という有限な資源を使って、最大の価値を生めそうなカードにベットしたい—— 。
同じ大学に通う仲間たちといくつかの事業を構想するも、資本が大きく集まらないこともあり「インフラと呼べるものになり得ない」と判断し断念した。しかし、岡井は諦めていなかった。
再結集約束し、3年後に起業
撮影:今村拓馬
「足りないのは経験。ならば、起業に必要なスキルと経験を身につけてから再結集しよう」と仲間と約束し、岡井はコンサルティングファームに就職。
他のメンバーも、外資系金融、スタートアップの営業、エンジニアなど、それぞれに起業に必要なピースを埋めるように散らばり、力を蓄えた。かくして約束から3年後、5人のうちまずは3人でLuupを設立した。続けて2021年には、もう1人も加わった。
約束を交わし合った仲間の一人である同社CTO(最高技術責任者)の岡田直道(26)によると、実は当初の計画では「30歳くらいで起業しよう」という話だったという。起業に必要な経験やスキルを身につけるのに7〜8年の時間は必要だろうという見積もりだった。
大幅に前倒しになった理由は、「始めない理由はない、と気づいたから」(岡田)。
週に1回、岡井の部屋に集まって起業の構想について語り合ううち、「チャレンジしたいテーマもあって、一緒にやりたい仲間もいる。ならば“周到な準備”を待たなくてもできるんじゃないか。そう思えたんです」。そう振り返る岡田は工学系の大学院に進み研究を続けながら、友人が経営するスタートアップ企業でアプリ開発をひととおり経験した。
岡井が代表になることは「ごく自然に」決まったという。
「彼のリーダーシップを一言で表すなら“突破力”。ゴールに向かって柔軟に手段を選択し、とにかく突き進む。学生時代からそういうところはありました」(岡田)
人口減少社会という不可逆的な社会課題を解決するという大義は、当初からブレたことはない。
しかしながら、“まだ誰も見たことのない風景”にたどり着くには想像以上の壁が立ちはだかった。それも何度も。
最初にぶつかったのは、「誰にも相手にしてもらえない」という壁。
しかし、岡井は驚くほど地道な方法でその壁を乗り越えていった。
(▼敬称略、第3回に続く)
(▼第1回はこちら)
(文・宮本恵理子、写真・今村拓馬)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。