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シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今回は大学教員の方からのお悩みです。さっそくお便りを読んでいきましょう。
私は大学で教員をしており基礎研究分野にいます。そして転職を考えています。というのも、私が博士号を取得するあたりから、大学の雰囲気や研究者・大学教員のあり方が変わってきたからです。
私が学部生の頃、教授たちはのんびりと、学問について、時にはこれからの人生について本質的な考察に付き合ってくれました。私はこの本質的な問いをたてる力に憧れて、研究者の道を目指しました。
しかし、大学での研究はどんどん資本主義的になっているように感じます。大学経営部は、建前では“基礎研究”と名のつく分野を重視しながら、集客力やその教員がいったい何本の論文を書いているのか、インパクトファクターがいくつなのか、プレスリリースを出せるのか、外部研究費はいくら取ってこられるのか……そういった点ばかりで評価しているようです。そしてそれは学生も同じです。
以前の記事で、ウェーバーが学問を職業にすることについて「専門を極める作業的な要素と、重要な問題を思いつくインスピレーションの両方が不可欠」とありましたが、もうこの資本主義的な研究競争に疲れ、インスピレーションなどとうの昔に忘れた感覚になってしまいました。そしてそれを理由に学問を職にすることは辞めるつもりです。
しかしこれから飛び出す民間企業など、資本主義そのものだと思います。私はやっていけるのか、転職は漠然と不安です。何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。
(まるさん、30代後半、大学教員、女性)
“ポスドク”は年収200万円もざら
シマオ:まるさん、お便りありがとうございます! 研究を職業とすることの難しさということですね。僕の友人にも大学の非常勤講師を続けている人がいますが、とても大変そうです。
佐藤さん:その方はどれくらいの収入がありそうですか?
シマオ:明確に聞いたことはないのですが、おそらく僕よりも全然低いみたいです。
佐藤さん:そうでしょうね。非常勤講師なら1コマ90分の授業をして、大学にもよりますが1~2万円程度。今は有期雇用を5年以上続けると無期雇用に転換しなければいけなくなってきていますから、逆に長く働くことも難しくなっています。大学院で博士号を取得して、年収200万円なんて人もざらにいます。
シマオ:に、にひゃく……。博士号まで取るような頭の良い人たちがそんな待遇じゃやってられませんよ!
佐藤さん:多くの人は予備校の講師などを掛け持ちして、なんとかやりくりしています。
シマオ:でも、どうしてそんな状況なんでしょうか?
佐藤さん:大きな要因は、90年代以降、国が主導して博士号取得者を増やしてきたからです。そもそも日本は先進国の中では人口当たりの博士号取得者数が少ない国なんです。欧米だと官僚でも博士号取得者がたくさんいます。そういう意味でも、日本は「低学歴国」なんですよ。
シマオ:そうなんですか!? だとしたら、博士号を持った人が増えてどんどん活躍していった方がいいですよね?
佐藤さん:そこが日本の問題です。博士号取得者が増えたのはいいけれど、就職先は増えませんでした。少子化もあって大学におけるポストは増えるどころかむしろ減っていますし、その席には50代以上の教授たちが座っていてなかなか空きません。さらに「特任教授」なんてポストが新設されて、学位を持たない有名人が採用されたりもする。必然的に、職にあぶれる博士が増えたんです。
大学は資本主義化したのか
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シマオ:でも、先日ノーベル物理学賞を取った眞鍋淑郎さんをはじめ、過去のノーベル賞受賞者も口をそろえて「基礎研究が大事だ」と言っていますよね。まるさんがおっしゃるように、大学が資本主義化して、基礎研究がないがしろにされるのは日本にとってよくないのではないでしょうか。
佐藤さん:もちろん、基礎研究は大切です。しかし、研究にはお金がかかるのも事実ですから、無尽蔵に基礎研究者を増やす訳にもいきません。そういう意味では今の大学は「資本主義化」したというよりは「新自由主義化」しているのは間違いありません。ただ、それは元々そういう世界なのです。
シマオ:激しい競争に勝たなければ生き残れない?
佐藤さん:はい。眞鍋さんは戦後すぐ大学を出た世代ですから、そもそも時代が異なります。と言っても、その時代にも競争に敗れて去っていった研究者はいたでしょう。今は単純に参入障壁が下がった分、プレーヤーが増えただけとも言えます。
シマオ:その結果、大学のポストに就けない人も増えた、と。
佐藤さん:厳しい意見に聞こえるかもしれませんが、まるさんも感じておられるように、自分自身で選んでそういう競争の世界に入ってしまった結果ですから、そこは受け入れるしかありません。
シマオ:厳しいですね……。
佐藤さん:学部生や修士時代は本質的な議論ができたとおっしゃっていますが、それも余裕があったからこそです。博士課程になれば、教職に就いたり、研究所に就職したりして研究を続けられる人が一握りであることも分かってくる。だから、どうしてもギクシャクしてしまう。
シマオ:そんなに狭き門なんですか?
佐藤さん:令和2年(2020年)の学校基本統計によれば、理学や工学系の博士課程を修了して大学教員になったのは14%です。これは非正規も含むでしょうから、正規雇用のポストでしかも基礎研究分野となれば、その確率はさらに低くなるでしょう。
セカンドキャリアを幸せに過ごすには
シマオ:まるさんは、研究職をあきらめて民間企業に就職を考えているようですが、アドバイスをいただけますか。
佐藤さん:あえて厳しいことを言いましたが、まるさんが勉強や研究を通して身につけてきたことは決して無駄ではありません。専門の分野をそのまま使うことはできなくても、中小企業の技術職などで、その知見を活かすことはできるはずです。
シマオ:企業の研究職などもありますものね。
佐藤さん:正直なところ、大企業の研究所などはやはり年齢を考えると厳しいと言わざるを得ません。日本の大企業はまだまだ年功序列が残っていて、途中から入るのは難しいからです。
シマオ:だから中小企業のほうがチャンスがある、ということですね。
佐藤さん:長い目で見てみれば、こうした挫折は珍しいことではありません。小説家や詩人になることを目指したけれど、それは叶わずにライターとして原稿を書いて生計を立てている人もいます。美術大学や音楽大学を出たとしても、絵や演奏だけで食べていける人はほんの一握りでしょう。とはいえ、希望の職でなくても立派な仕事であることに変わりはありません。挫折も含めて、自分の選択の結果を受け入れて進んでいくことが大切です。
シマオ:自分の選択の結果……たしかにそのとおりです。
佐藤さん:もし教えることが好きなのであれば、塾講師などの道も考えられます。この社会が資本主義的であることは、民間でも大学でも同様です。その中で、どうしたら自分が幸せに暮らせるかを考えてみてください。
シマオ:幸せに暮らすには、どうすればいいんでしょうか……。
佐藤さん:それは人それぞれなのですが、まるさんには『日日是好日』という映画をおすすめしておきます。いとこである典子と美智子という2人の女性が、お茶を習いにいくという話です。
シマオ:見たことあります! 黒木華さんと多部未華子さんが出演していて、お茶の先生が樹木希林さんでしたね。
佐藤さん:はい。多部未華子さん演じる美智子は大学を出て、念願の商社に就職してバリバリと働きますが、あるところで天井が見えてしまう。その結果、地元に戻って結婚します。一方の黒木華さん演じる典子は目指していた出版社への就職に失敗して、バイトをしながらお茶を続けます。いつしか30歳になって結婚しようかと思うけれど、彼氏の浮気が発覚してそれもだめになり、また1年が巡ってくる……というあらすじになります。
シマオ:お茶をたしなむことで、同じような毎日でありながら、一日一日は違って見えてくるというような感じでしたよね。
佐藤さん:はい。幸せというのもそれと同じで、思わぬところから見えてきます。資本主義社会は厳しいものですが、研究の厳しい世界でやってきたまるさんなら大丈夫でしょう。目の前の毎日を受け入れて、一生懸命に過ごすことでしか人生は開けません。
シマオ:なるほど……という訳で、まるさん、厳しいことも申し上げましたが、ご参考にしていただければ嬉しいです。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は11月17日(水)に公開予定です。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・野田翔)