REUTERS/Athit Perawongmetha
この数年、日本でも「多様性(ダイバーシティ)」という言葉を耳にする機会が増えた。この原稿を読んでいるあなたは、多様性という言葉に何を感じるだろうか?
アメリカでは長いこと、ダイバーシティといえば文化や人種についての文脈で使われる言葉だった。白人の入植者が作った国がさまざまな場所からやってきた移民によって多民族化するなか、白人が支配してきた政治や経済の世界も多様化するべきだというプッシュが、特に公民権運動以降、起きてきた。
このダイバーシティの議論にジェンダーが含まれるようになったのは、アメリカでも近年のことだ。特に、ドナルド・トランプが大統領に立候補したことで、彼の過去のセクハラが追及され、その流れからハーヴェイ・ワインスタインをはじめとする、それぞれの世界で圧倒的な権力を持つ男たちによる数々のハラスメントや性的暴行が世に知られることになった。
2006年に黒人女性のアクティビスト、タラナ・バークが、MySpaceという当時主流だったSNSのプラットフォームに作った性的犯罪の被害者の会で、エンパシーと連帯の表現として使われたフレーズ「Me Too」が、2017年にハッシュタグとしてムーブメント化したことをきっかけに、職場における性的ハラスメントや犯罪が次々と可視化された。その流れで、構造上のジェンダー不均衡についての議論が再燃し、女性たちが格差や不均等の是正を要求する声が強くなったのだ。
日本社会を支配するスーツ姿の男性
2017年11月、ハリウッドで行われたMeToo運動のデモでは、参加者らは性的ハラスメントが映画産業だけでなく、コミュニティ全体の問題であることを強調した。
REUTERS/Lucy Nicholson
多様性が主に人種と結び付けられる言葉だった時代が長かったことから、人種的多様性の低い日本では多様性が自分ごととして理解されるにはずいぶん時間がかかった。今も自分ごととして受け止められている人がどれだけいるのだろうか。
日本で政界や企業の経営陣、あるいはカンファレンスのスピーカー陣や大学の教授陣を見たときに、そこにはスーツの男性の姿しかない、ということがいまだによくある。ところが、私たちが生きる社会という場所に、スーツの男性しかいないかというとそうではない。
空から日本にいる人の塊をシャベルで1000人すくったら、そこには約半数の女性、老人、子ども、外国人、トランスジェンダー、障害者が入ってくるはずだ。けれどこの社会の決め事は、男性たちによってなされる。決定のプロセスがこの国のマジョリティである男性たちに占領されている結果、その声が反映されない人々がずいぶんいる、ということになる。
冒頭の質問に戻ると、多様性、という言葉を聞いて、他人事だという人がいたら、それは、あなたが特権的な立場にあるということだろう。
人間は、人種以外にも、さまざまなアイデンティティでできている。国籍、宗教、ジェンダー、性的指向、身体的な特徴、社会的階級、学歴、身体や精神の状態といったさまざまな要因が人間を作っている。
マジョリティ、マイノリティという言葉は、これまで主に数の上での多数派、少数派という意味で使われてきたが、近年は、与えられている権力や特権も含む支配層、被抑圧層の意でも使われるようになった。
この考え方でいうと、日本において圧倒的な特権を持つ「マジョリティ」とみなされるのは、生まれたときに男性という性別を割り当てられたヘテロセクシュアルで高学歴、障害を持たないいわゆる健常者の日本人、ということになる。そして、日本社会のトップは、この圧倒的マジョリティが支配している。
一方で、多くの人がマジョリティ性とマイノリティ性を併せ持っている。男性でも、高学歴を持つ人より、そうでない人のほうが数の上では多いし、日本におけるすべてのマジョリティ性を持つ男性だって、他国に行けばマイノリティになる。
多様性が「自分ごと」になった大統領選
トランプ元大統領は、2016年大統領選挙のキャンペーン時から公然と差別を繰り返し、セクハラの告発も複数回受けている。大統領就任時は、大規模な抗議デモが行われた。
REUTERS/Carlo Allegri
私の場合は、日本に生まれた日本人で、不自由なく教育を受けることができたし、大学院まで行かせてもらった。同時に女性で、バイセクシュアルである。アメリカに行けば、アジア人であること、移民であることが加わり、必然的に属する階層も下がる。
恥ずかしながら私自身も、こうしたことを「自分ごと」として真剣に考えるようになったのは、ドナルド・トランプという人が大統領候補に躍り出て、公然と女性やアジア人、その他の属性のマイノリティを攻撃するようになってからかもしれない。
日本では女子校育ちだったし、共学の大学に行ったが、就職戦線に参加せずにアメリカに留学した。卒業後しばらくは会社員生活を送ったけれど、そこでも「やっていけない」と感じて、どこにも属さないフリーランス生活に入った。
もちろん人種差別やセクシズム、セクハラなどには遭った体験はあったけれど、自分が属する社会にはある程度の多様性があったし、競争相手の少ないニッチな仕事だったために、より広い社会に存在するさまざまな不均衡には無頓着だったかもしれない。
2008年には、バラク・オバマという黒人初の大統領が誕生し、アメリカの多様性が順調に進歩しているのだと幻想を抱いてしまった感がある。トランプ以降の社会で、人種、ジェンダーにまつわる差別や不均衡に気がついたことで、自分が体験してきたことが、より広い社会で起きてきたこととリンクしていることが初めて明確に理解できたと思う。
コロナ禍で浮き彫りになった特権
新型コロナウイルスはすべての人に同じような影響を与えたわけではない。より感染リスクや経済的打撃が多い人がいることは、繰り返し指摘されている。
REUTERS/Issei Kato
コロナ禍がやってきたことで、新たに気がついた「特権」もある。ウイルス感染の恐怖がニューヨークを襲ったとき、自分には外に出ない、という選択肢があった。リモートで仕事を続けることができ、収入を得続けることができた。撮影や取材などの現場の仕事を中止しようと決定できる立場にあった。
私たちの基本的な生活を支えるために、医療、交通、小売、流通の世界の労働者「エッセンシャル・ワーカー」たちが働きに出てくれた。だから、家を出られないということを除けば、普段どおりに食事をすることができたし、荷物を受け取ることもできた。
コロナの影響を最も大きく受けたのは、人種マイノリティだったし、医療従事者の圧倒的多数は女性だった。パンデミックのさなかに黒人に対する警察による度重なる暴力への抗議が#BlackLivesMatterのムーブメントとして大きくなり、アジア人へのヘイトクライムが相次いで#StopAsianHateが生まれるとともに、マイノリティの正当なリプレゼンテーション(代表)を要求する声が大きくなった。
現実の社会に存在する多様性を、政治や経済産業界のトップに反映させるためには、権力を持つ側のマジョリティによる、マイノリティのインクルージョン(取り込むこと)が必要なのである。
意思決定に参加できないマイノリティ
政治や大企業など、日本社会のルールを決めるプロセスから、女性を含むマイノリティは排除されている。
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
日本社会の多様性の欠如は、さまざまな問題につながっている。
まず、この社会に存在するサービスを受ける人たちの姿は多様なはずなのに、その仕組みやルールを決めているのはマイノリティ当事者の事情を理解し得ない支配層の男性たちで、当事者が意思決定過程に「インクルード」されていないことがあまりにも多い。だからこそ、日本はジェンダーギャップ指数で順位を落としてきたし、男女の賃金格差はOECD諸国で、下から2番目という不名誉な順位に置かれている。
結婚したいと思ったときにカップル2人のうち1人が苗字を変更しないといけないルールがあるのは世界でも日本だけだが、うち96%のケースで、女性が名前を変え、発生する不利益を負担している。同性でも結婚できる国は、世界の約20%程度だが、主要7カ国(G7)で同性婚を認めていないのは日本だけだ。
日本国憲法は、基本的人権をすべての人に認め、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と明記しているにもかかわらず、それが実践されていない。現実社会の中で、不平等による不利益を被っている市民がいる状況が変わらないのは、マジョリティが圧倒的な決定権を持っているからである。
多様性が持つ経済的メリット
多様性が経済的な利益にもつながることは、さまざまな研究で実証されている。
fizkes / Shutterstock.com
再び冒頭の疑問に戻ろう。
多様性という言葉を聞いたときに、自分には関係がないと感じた人は、マジョリティに属する人だろう。そういう人に、多様性の必要性を説得するのは簡単なことではない。なぜならマジョリティにいる側は、不利益を被っていないし、多様性の必要性を感じないからだ。
だから例えば男性の写真だけが並ぶカンファレンスに苦言を呈す声が挙がると、「多様性ファシズムだ」などと言い出す人が出てくる。なぜ多様性が必要なのかの理由が共有されていないのだ。属性によって不利益を被っている人がいる、現実世界の多様性を反映していない、だけでも十分だと思うけれど、国際的な潮流に取り残されている、先進国として恥ずかしいということは言うまでもない。
それでも説得されない人もいるかもしれない。その場合は、多様性を取り入れることによって、何が得られるかを考えてほしい。
2020年にマッキンゼー&カンパニーが行った調査によると、幹部の30%以上が女性である企業の収益性は女性幹部の割合がそれ未満の会社よりも、最大で48%も上回る。また、最も多様性に富む企業25%と多様でない会社25%との間には利益率に30%以上の差があることも判明している。
人間の体のバクテリアは多様であるほど強くなるが、組織も同様、さまざまなバックグラウンドやアイデンティティの人が参加すればするほど、マジョリティには見えない視点や考え方を取り込むことができるから、組織としても強くなる。
スーツの男性だけをターゲットにしているのでない限り、サービスや商品を提供する顧客層にはジェンダーや性的指向、身体特徴などの多様性があるだろう。それなら、ターゲットの視点を持つ人が内部にいたほうが、顧客に寄り添う商品を作ることができるのは当然のことである。相手の視点を理解できないまま作った商品やCMが炎上するリスクも減らすことができる。価値観のアップデートができない時代遅れな存在だと思われる必要もない。
多様性の欠如による不利益と、多様性を取り込むことによる恩恵について、改めて考えなければならない時機が来ている。
(文・佐久間裕美子)
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や「SakumagZine」の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。