植物工場スタートアップ、Oishii Farmのロサンゼルスの工場長に就任した糟谷友里さん。
提供:糟谷さん
創業から4年で55億円を調達したOishii Farm(オイシイ ファーム)は、農業業界のパラダイムシフトを目指している。
アメリカ・ニューヨーク発のスタートアップは、これまで植物工場では難しいとされてきた実を食べる野菜や果物(果菜類)の生産に成功し、世界最大のイチゴの垂直農場を運営している。
植物工場の中でも垂直農場 (vertical farming)では、都市のビルや倉庫など、高さのある建物を活用する。平らに広がる畑やグリーンハウスのように、広い土地が必要ないため、都市部の限られた土地でも生産できる。都市部での農作物が生産できると、地産地消も可能になる。天候にも左右されず、無農薬で作物をつくれるため、注目が集まっている。
植物工場で生まれたひと箱50ドルのイチゴ
気候危機で農業業界は深刻な影響を受けているが、世界的な人口増加で食料需要は今後さらに高まる。
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農業は今、重大な局面を迎えている。気候変動により干ばつや洪水などの災害は増加し、気温上昇の影響で、病害虫や疾病の発生も増加している。日本も例外ではなく、農作物の生育障害や品質低下が既に起きている。
また世界的な人口増加により、2050年には食料需要が2010年比で1.7倍になることが予測されている。私たちの世代、その次の世代が今と変わらず、新鮮な野菜や果物を食べ続けるには、農業のあり方の変革が必要だ。
Oishii Farmは、葉物類を生産する植物工場が多い中、世界で初めて高品質のイチゴの量産化に成功した。
提供:Oishii Farm
2016年に設立されたOishii Farmは、「世界最大の植物工場を作る」ことをゴールとしている。代表は日本人の古賀大貴さん。アメリカではおいしくて新鮮な野菜や果物が手に入りづらいと感じた経験や、コンサルタント時代に見た植物工場の可能性が起業のアイデアへとつながった。
新鮮でおいしい野菜を植物工場で量産化することは、簡単ではない。自社で開発した自動気象管理システムは、気温、湿度、二酸化炭素、光質などの最適な組み合せの究明を可能にした。味を落とさずに収穫量を増加させる実験や、完全無農薬で栽培する方法も研究。さらに、どうすればこの技術を使って大規模な収穫を実現できるか、徹底的な研究に取り組んだ。
その結果、日本企業や大学と連携して独自に開発した栽培方法と受粉技術によって、世界で初めて植物工場で高品質のイチゴを安定的に量産することに成功。最初の看板商品「Omakase Berry」はひと箱50ドルという高価格にもかかわらず、マンハッタン中のシェフを虜にした。資金調達を終えた今は、より広く一般の消費者も購入できる商品の開発も進めている。
その重要な一歩として、新たな工場をロサンゼルスにオープンした。そして、その工場長に抜擢されたのが、糟谷友里さんだ。
渡米1カ月で降ってきた工場長のチャンス
何気ない連絡でつながったOishii FarmのCEOに、糟谷さんは自分を売り込んだ。
提供:Oishii Farm
2020年の春、コロナウイルスがニューヨークで猛威をふるっていた。東京でそのニュースを追っていた糟谷さんは、ニューヨークで暮らす友人を心配し、連絡をした。久しぶりにメッセージを交換していると、「そういえばうちの会社、今求人を出しているけど来ない?」と誘われた。その会社こそが、Oishii Farmだった。
糟谷さんは当時、都内の大手ITコンサルティング企業で働いていた。大学でたまたま受講した農業経済学の授業で農業の可能性に目覚め、大学院を経て、コンサルタントとして農業×IT分野でキャリアを築いていた。もっと農業分野にがっつりと身を置きたい、そう考えていたときの運命の誘いだった。「CEOにつないでほしい」——友人に頼んで、CEOの古賀さんに自分を売り込みにいった。
「それでもまさか、自分が新工場のトップを務めることになるとは思いませんでした。古賀さんとの会話がきっかけで、とんとん拍子に転職が決まって、数カ月の研修を経て、2021年の4月に渡米して。コロナ禍で、すごいスピード感でしたね。アメリカに行って1カ月も経たないときに、『ロサンゼルスの工場長をやってみない?』と聞かれたときは、うそでしょと思いました」
と、糟谷さんは振り返る。
最初は断る理由ばかりが思い浮かんだ。大学院で農業を専攻していたものの、植物工場のエキスパートではない。会社のことも、まだよくわからない。英語もネイティブ・スピーカーでない。さらにロサンゼルスのチームはまだ誰もおらず、これから自分がチームをつくっていくのだと知った。それでも最後に「イエス」と言ったのには、過去の悔しい経験があった。
過去の悔しい経験を乗り越える
前職のITコンサルティング企業では、プロジェクト案件ごとにチームがつくられ、マネージャーが一緒に働く人を社内公募をするスタイルだった。若手は自ら手を挙げて、実績やスキルをアピールし、ニーズが合えばチームに入れる。
糟谷さんは入社2年目で、経営層のビジネス戦略をサポートする難易度の高いプロジェクトの公募を目にした。興味はあったが、人気が高い少人数のプロジェクトだと分かっていたので、自分には無理だろうと応募をしなかった。すると同レベルの実力を持つ男性の同期が応募して、チームに入っていった。
なぜ、自分は手を挙げなかったのだろう。最初から諦めて、スタートラインにすら立たなかった自分の行動を悔やんだ。
その後、アメリカ本社の女性役員の講演に参加すると、女性は男性と比べ、必要以上に自己評価を下げてしまう傾向があると知った。自分の過去の行動には、何かしらジェンダーの影響があったかもしれない——、そう考えるきっかけとなった。
実際数々の研究で、自己評価のジェンダー・ギャップは明らかになっている。同様の実力を持つ男女のセルフ・プロモーションを比較したアメリカの研究では、自己評価が採用や給与に結び付くと知らされても、女性の自己評価は男性に比べて低いことが示されている。経済的なインセンティブがあっても、自己評価が低かった要因に社会の慣習が挙げられている。
2年前に参加した農林水産省の講演会でも、自営農業に従事している約145万人のうち、約4割が女性にもかかわらず、経営主・農業委員・農協役員の女性の割合はいずれも1割程度だと知った。女性役員や管理職の比率が多い企業の方が、経営指標が良い傾向にあることも記憶に残っていた。
「工場長になる機会をもらったとき、いろいろ迷いはありました。でもCEOからは、マネージャーの視点で仕事をしたらどのポジションも理解できるし、マネジメントはいい経験になると言われました。何か可能性を感じたから声をかけてくれているはず。これまで悔しい思いや経験があったので、推薦してくれている人たちの言葉を信じて、やってみようと決めました」
新たな地での生活とマネジメント
初めての長期の海外生活、生活再建をしながらスタートアップで事業を進めた。
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決断をすると、怒涛の日々が待っていた。社内で工場長に手を挙げた人は他にもいた。マネージャーの研修や試験には、オペレーションの知識を問うものや機材搬入の実務など、幅広い業務が含まれていた。最終的には特に責任感が評価され、糟谷さんは晴れてロサンゼルスの工場長に抜擢された。
新しい地での事業のスタートと同時に、生活の立ち上げも猛スピードで進めた。
「アメリカに住んだことがないので、クレジットスコアがなくて、自分の名前でアパートすら借りられないんです。周りに助けを求めながら、まずはなんとか生活の基盤をつくりました。さすがに引っ越して3日で中古車を購入したことは、周りにびっくりされましたけど」(糟谷さん)
チームメンバーの採用、栽培データ収集、オペレーションの標準化、トラブル対応、営業と、業務は多岐に渡る。植物工場とはいえ、相手は自然。育てている作物の株の状況を見て、温度や湿度等を調整しながらケアの仕方を決め、収穫と出荷まで見届けるなど、細かい作業も多い。工場の拡大を見据えて、今のチームメンバーをマネージャーへと育てるべく、週1は個別でミーティングをし、キャリアの相談にも応じる。
夢見ることができるならば実現できる
環境に良い方法で、より安価で栄養価の高いものを植物工場が生産できる未来を描く。
提供:Oishii Farm
糟谷さんの好きな言葉は、ウォルト・ディズニーの「それを夢見ることができるならば、あなたはそれを実現できる(If you can dream it, you can do it)」だという。植物工場の未来も、想像ができれば実現できると信じて、日々取り組んでいる。
「多くの競合他社が葉物野菜を生産する中、私たちは実をつける野菜、果菜類の生産に成功しています。今はどうすればもっと環境に優しい方法で工場を運営して、手頃な価格で販売できるか模索しています。カリフォルニアなど多くの地域で温暖化の影響で水不足が深刻化しているので、工場内の水の再利用・循環は不可欠。将来的には気候変動の影響を一番受けている国の人たちが手に入るもの、特におなかをいっぱいに満たすものを作りたい。今はまだ穀物は植物工場で生産できていないですし。そこまで実現できる会社でないと、変革は起こせないと思っています」
悔しい体験を経て挑戦したLA工場長のポジションは「意外と何とかなる」と、手応えを少しずつ感じている。
提供:糟谷さん
自分のキャリアの転換期は、「今」なのかもしれない——、糟谷さんはそう感じて日々、過ごしている。
「女性にこのような仕事はできないと、どこか思っていた自分がいたと思います。でも、やってみると、意外と何とかなる。いろいろなリーダーシップのあり方がありますが、私はオープンに自分をさらけ出して、周りの協力を得ながら開拓しているスタイルで、頑張っていこうと思います」
(文・大倉瑶子)
大倉瑶子:世界銀行で南アジアの気候変動・防災事業を担当。ハーバード大学ケネディ・スクール 公共政策修士。国際NGO Mercy Corps、マサチューセッツ工科大学(MIT) Urban Risk Lab、ミャンマーの防災専門NGO、UNICEFネパール事務所などを経て、2021年に日本人女性として16年ぶりに、ヤング・プロッフェショナル・プログラムで世界銀行に入行。記事は個人の見解で、所属組織のものではありません。