日本科学未来館の浅川智恵子館長。
撮影:今村拓馬
先行きが不安視される、日本の研究現場。
2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典博士は、Business Insider Japanのインタビューの中で、科学技術を支える現場が崩壊しつつある現状に強い懸念を示していた。
未来の日本の科学力を育むために、何が必要なのか。
2021年4月、東京・お台場にある日本科学未来館の2代目の館長として宇宙飛行士の毛利衛さんに代わって就任した浅川智恵子館長は、「多様性を受け入れられないことが問題の一つ」だと指摘する。
浅川館長は、女性であり、全盲という障がいがありながら、IBMフェロー、カーネギーメロン大学の客員教授を歴任するなど、確固たる実績を積み重ねてきた研究者の一人。
自身がマイノリティでもある浅川館長に、なぜ、多様性が科学技術を育むために重要となるのか。そして、日本科学未来館がこの先どこへ向かうのか、話を聞いた。
浅川智恵子(あさかわ・ちえこ):日本科学未来館 館長。IBMフェロー。中学2年生の時に失明。1985年日本アイ・ビー・エム株式会社へ入社。日本語デジタル点字システムやIBMホームページリーダーを開発。日本科学未来館では、ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包摂性)を大切にし、さまざまな科学コミュニケーション活動を進めている。
「科学技術の衰え」が意味するもの
撮影:今村拓馬
——コロナ禍でのワクチン開発や気候変動対策における技術開発など、昨今、日本の科学技術の存在感が薄いように感じています。浅川館長は、日本の「科学技術」の現状をどう認識していますか?
浅川智恵子館長(以下、浅川):コロナ禍になってから、多くの人が「衰えている」と思っているように感じます。特定の分野では継続的に優れているところもありますが、企業の株価ランキングなどを見ると30年前と比べて明らかに順位が下がっていることもあり、全体的にはやはり衰えているのではないでしょうか。
例えば、デジタル競争力ランキングや大学ランキングでの日本の順位はかなり低いですよね。なぜこんなに低いのかと、少し考えてみたんです。
私が研究している情報系、特にアクセシビリティの分野での論文数などはもともと少ない、弱い分野でした。だから衰えたわけではなく、継続して弱かったんです。海外が伸びた分、相対的に衰えているように見えてしまうんです。
衰えた分野と初めから弱かった分野があるということは考えておかなかければなりません。
——ワクチンについても同じようなことが言えそうですね。
浅川:日本人は「日本は科学技術が優れている」と思っていますよね。ノーベル賞も多数受賞しています。だからワクチンも開発できるだろう、と期待していたのだと思います。
しかし、日本はこれまでワクチンビジネスを積極的にやってこなかった。そういった状況を考えると、うまくできていなくて当たり前ともいえるんです。ワクチンも、最初から弱かった分野だといえるのではないでしょうか。
アクセシビリティ研究の推移。日本ではほとんど変わっていないが、アメリカなどでは大幅に増えている。
提供:日本科学未来館
「多様性を受け入れられない」日本
——弱い分野は弱いまま。優れていた分野も、他国の伸びについていけない。日本はどうしてそのような状況に陥ってしまったのでしょうか?
浅川:もちろんいろいろな要因があると思うのですが、私の経験から言えることはやはり、「多様性を受け入れられない」という日本社会の問題があると思います。
多様性を受け入れられない社会は、きっとほかにもさまざまなことを受け入れられないのではないでしょうか。
ある先生とお話していた際に、小学校低学年の頃は子どもにはみんな個性があって、授業中もたくさん発言するけれど、高学年になるにつれて静かになってしまうという話を聞きました。
個性を活かしきれない日本教育の雰囲気もあるのだと思います。
——多様性や個性と科学技術の発展は、どうつながってくるのでしょうか?
浅川:科学技術においては、誰も考えたことのない新しいアプローチをとることがとても重要です。突拍子もないことを考えて試してみることで、思いもよらないものが生まれる。そういう個性を活かして考えたり、挑戦したりできる環境が今は少ないのではないでしょうか。
私は、多様性とは「個性」ともいえると思っているのですが、個性を受け入れられない社会になっていったことで、どんどんイノベーションを生み出すことから遠のいてしまっていると思います。
「メディチ・エフェクト」という本を書いたフランス・ヨハンソンは、著書の中で多様性のあるグループのほうがイノベーションを起こすことができると言い切っています。欧米には、そういうコンセンサスがあるのでしょう。
日本も徐々に変わってきてはいるものの、まだまだ浸透していないということを、自分自身が障がい者であり、女性であるという立場から感じています。
多様性を受け入れるアクションを
撮影:今村拓馬
——浅川館長はアメリカで研究生活を送られてきましたが、日米の研究環境の違いをどう感じていますか。多様性・個性を尊重しようという側面についても、やはり違いがあるのでしょうか?
浅川:まずアメリカの研究室は、日本と比べて自由度が高いです。もちろんルールは厳しく定められていますが「こんなことにもチャレンジできるんだ」と思うことが多かったです。
企業とのコラボレーションもとても活発で、企業のラボが大学の中にあることもあります。日本でもそういう動きが出てきているとは思いますが、アメリカでは随分前から非常に活発です。
多様性についても、日本とは捉え方が大きく違うと思います。
私はカーネギーメロン大学で研究室を持っていますが、ヨーロッパやアジア出身の方が多くて、ネイティブイングリッシュを話す人が少なく、みんな一生懸命コミュニケーションを取ろうとしています。
「外国人がチームの中にいる」という感覚ではないんです。もちろん中には女性もいるし、LGBTQや障がい者もいる、そういうことが当たり前の環境なんです。
——単にそういう個性を持った方が研究室にいるだけのことだと。
浅川:それを自然に受け入れているところに、強さがあるのだろうと思います。
別の国から来ている人たちは、やっぱり語学力という面で苦労するのですが、みんな分からないことはすぐに質問するし、積極的です。
日本人に多い「間違えたら恥ずかしいからあまり話さない」という感覚はありません。
また、大学院に入学する際には推薦状が必要になるので、学部時代にはインターンシップやボランティア活動など、学内外のいろいろなコミュニティー活動に積極的に参加しています。推薦状の執筆を求められる教授はそのリクエストに応じるのがなかなか大変なんです(笑)
「自分が何をしてきたのか、何に興味があるのか」を伝えるトレーニングは、日本人の学生にも重要だと思います。
——日本人は自己表現が苦手で、「周囲と同じであること」に対する意識が強いと言われがちですね。
浅川:小さい頃にそうやって教育されてしまうのかもしれませんね。周りに合わせることが一番、居心地が良いのでしょうか。
——「みんなで揃えるのが良いこと」という日本のよくあるスタンスは、「多様性を尊重しよう」という考え方からは離れたもののように感じますね。
浅川:そうですね。例えば、秀でた才能を持っている子ども。
そういう子どもたちは、まわりの子どもが疑問を持たないようなことにも疑問を感じます。ただ、授業中に質問をしても、周りはついていけない。そういう状況に対応するための教育環境などが、日本でも速やかに整備されることが望まれます。
—— LGBTQや障がい者などだけではなく、秀でた才能や、逆になかなか勉強についていけない子どもなど、社会一般の「普通」や「平均」から外れている人々を社会でどう受け止めるのか、日本では確かにその仕組みの整備は遅れていますね。
浅川:最近、私は「多様性は自然に受け入れられるようにしなければいけない」と言い続けています。
誰かに言われて頭で理解しても、行動が伴わなければ意味がない。日本は、多様性や個性を自然に受け入れられるためのアクションをもっと取っていかなければならないと思います。
また、日本は多様性を受け入れられないことに加えて、「ジェンダー」の問題も根深いと思います。
私も驚いたのですが、いまだに両親が「娘には理系には進んで欲しくない」というケースがあるそうですね。
アメリカではそんなことはもちろん聞かないですし、さまざまな公式の場で女性はたくさん活躍しています。
男女別研究者数と女性研究者の割合。アメリカ、中国は含まれていない。グラフはFlourishを用いて作成。
出典:文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2021、調査資料-311、2021年8月
——日本では医学部の入試において、女性受験者を減点しているという問題もありました。
浅川:学力的には問題がない優秀な女性が理系に進んでいないという可能性もあるわけですよね。そこだけを見ても、多様性を受け入れられないことが、科学技術の発展を遅らせていると言えると思います。
日本では、女性や外国人がチームに少ないですよね。
中国や韓国の方が日本を飛び越えてアメリカに行くのは、アメリカで研究したり、働いたりすることに対して魅力があるからだと思います。日本に優秀な人材を迎え入れるためには、日本がそういった多様性を受け入れられる社会である必要があると感じます。
それによって、国際競争力がまったく変わってくるのです。
「科学が好きな人が来る」だけではない場所へ
東京・お台場にある、日本科学未来館。
撮影:三ツ村崇志
——今までのお話の中で、日本では特に「教育」の段階での問題が根深いように感じました。日本科学未来館は教育的な側面が強い施設ですが、この先どういう役割を果たしていこうと考えていますか?
浅川:ご想像どおりの答えになってしまうかもしれませんが、どうしてもやり続けるべきだと思うのは、やはり学校教育の枠を超えて科学技術に親しんでもらうことです。
——日本科学未来館の普遍的な価値ですね。
浅川:そうですね。学校教育の枠を超えて科学技術に親しんで理解してもらい、未来を作る人材になってもらうための基礎やきっかけを作りたいと思っています。
また、社会課題と科学技術を結びつけて伝えるような、少し違う視点でのアプローチも考えています。
今考えているのは「老い」ですね。
例えば、今まで高齢者はお孫さんと一緒に未来館に来館される方が大半です。
ですが、高齢者が同世代の友人と一緒に来て、「今日は勉強になったな、人生100年時代に、これから何をすべきだろうか」というようなことを語れるようになったら、目的を持って時間を過ごすきっかけになるのではと思っています。
——「人生100年時代」に科学技術はどう関わってくるのでしょうか。
浅川:人生が100年あると考えると、例えば60歳でリタイアを迎えても、まだ40年も先があります。20代の人にとっては、残り80年です。
未来館として、あらゆる年代の人が「人生100年時代とはどういうことなのか」を考えられるようなメッセージを出す方法を模索しています。
テクノロジーの恩恵は大きいものですよね。今、私は「点字メモ機」という機械を使って、メモを取ったり見たりしています。障がい者だけではなく、きっと高齢者にとっても、テクノロジーによって今まではできなかったことが将来は可能になっていくでしょう。
浅川館長が取材時に使っていた「点字メモ機」。
撮影:今村拓馬
——「老い」を例にされていましたが、高齢者だけではなく、小さな子どもや女性、障がい者やLGBTQの方々など、多様な人が抱える社会課題にテクノロジーが寄り添える可能性を提示していくことができると良いのかも知れませんね。
浅川:今あるテクノロジーを知らせていくことも大事ですし、またさまざまな方とのコミュニケーションの中で、新たなアイディアも生まれてくると思います。
もちろん、未来館でそういったアイディア全てを開発することはできないので、研究者や企業の方々が、一般の人々とつながれるようなニーズとシーズのマッチングのお手伝いもできればと思います。
日本科学未来館では、2021年4月に「あなたとともに『未来』をつくるプラットフォーム」というMiraikan ビジョン2030を掲げました。未来館は、あらゆる人々が場所や立場を超えてつながり、未来を一緒につくるためのプラットフォームになることを目指していきます。
——つまり、多様性を意識しながら社会課題に意識を向けてもらうプラットフォームになろうということでしょうか。正直、科学館は「科学が好きな人」が来る場所です。科学離れが叫ばれる中で、より広い方々にアプローチすることは非常にチャレンジングだと感じます。
浅川:例えば、地球環境の問題は簡単に解決できるものではありません。10年後も解決に向けて継続的にアプローチできるようにしておかなければならない問題です。今、私たちが真剣に考えなければ駄目なんです。
科学に興味がない人にも、来て(知って)もらわなければならないと思います。
だから、若い方から高齢者まで、さまざまな方に未来館に来ていただくためにできる事を一生懸命考えています。中でも、高齢者の気持ちは高齢者にしかわからない。ここは私の責任かなと(笑)
Miraikanビジョン2030を実現するために何ができるか、未来館の中でも多様性を意識しながら、これからも科学コミュニケーターやスタッフと議論していきたいと思います。
(聞き手・三ツ村崇志)