映画やドラマ、演劇などで役者が見せる渾身の演技。その世界観に思わず引き込まれた経験のある人は多いだろう。
私たちをひきつける「表現力」とは何なのか?
プロの俳優たちの演技を分析し、その「表現力」の正体に迫るプロジェクトが始まっている。
「一つの芝居で人を感動させたり、勇気づけたりすることができます。でも、その『正体』が何なのかは、今まで俳優の頭の中にしかありませんでした」
こう語るのは、映画製作会社and picturesの伊藤主税代表。伊藤代表は、演技や芝居を通じた教育事業を展開するACT(2020年7月設立)の代表取締役プロデューサーを兼任している。
ACTでは2020年9月から、山田孝之さんや木村多江さん、阿部進之介さん、安藤政信さんらそうそうたる俳優らの協力を得て、慶應義塾大学SFC研究所(以下、SFC)とともに、「表現力の正体」を解き明かそうとするプロジェクトを開始。
彼らプロの演技を分析することで、役者教育にとどまらず、相手にうまく感情を伝えられないなどの課題を抱えた子どもたちに役立つ教育プログラムなどにもつなげたいとしている。
提供:ACT
体系化されていない表現力を「見える化」する
「これまで、芝居を通じて人間教育のようなことに携わってきました。
そういった中でコロナ禍になり、学校が休校になったり、友達とも集まれなかったりする子供たちのことを考えました」(伊藤代表)
子どもの頃に経験する一つひとつの出来事は、その子ども自身の感性を育む上で非常に重要だ。大人になってから同じ出来事を体験するのとは、まったく意味合いが異なる。
コロナ禍では、子どもたちの体験の場が軒並み奪われる事態となった。
「コロナ禍で多くの人が家にいて体を動かせない中で、感性を少しでも働かせることができないかと、『演劇教育』を打ち出して立ち上げたのがACTでした」(伊藤代表)
and pictures代表兼、ACTの代表取締役プロデューサーの伊藤主税氏。
撮影:三ツ村崇志
教育の場では、子どもに「個性」を主張することや「相手の気持ち」を考えることを求める機会はよくある。
しかし、どうすれば自分の気持ちをしっかりと表現できるのか。どうすれば、相手の気持ちを理解することができるのか。その方法は体系化されているわけではない。
そういった能力は、大人になるにつれて処世術としてそれぞれが獲得していくものだ。
しかし中には、どうしても自己表現が上手くできない人や、相手の気持ちを想像することが苦手な人もいる。
その点、迫真の演技を見せる第一線で活躍する俳優たちは、まさに表現するプロフェッショナルだ。加えて彼らは「台本」という限られた情報から、そこに描かれた人物の気持ちを理解することにも精通している。
伊藤代表は、俳優の山田孝之さんから「ただのペラ1枚の台本でも、その中で生きている人の人生は一生で、(台本ではそのうちの)一部を切り取っているだけ。台本が1枚だけでも、その人の人生を考えている」と言われたことが、非常に印象的だったと語る。
「俳優の頭の中にあるものを知ることによって、その人が何を考え、準備して、表現しているかを見える形にする。そうすれば、今後(気持ちを)表現しようとする人や、うまく表現できない人に活かせるのではないかと思ったんです」(伊藤代表)
「表現は関係性の中に生まれる」
SFCの木村紀彦上席研究員(左)と若新雄純特任准教授(右)。
撮影:三ツ村崇志
ACTとの共同研究に携わるSFCの若新雄純特任准教授は、
「演劇を通じた子どもたち向けの教育プログラムを作ろうというACTの取り組みに、第一線で活躍する俳優も興味を持っていると聞いて、純粋に面白そうだと感じました。彼ら(俳優たち)も、自身のことを体系化していくことに興味を持っているということもあり、研究を始めました」(若新さん)
と共同研究の経緯を語る。
若新さんがもともと興味を持っていたのは「人の関係性」だ。
関係性といっても種類はさまざま。「心地良い関係」や「ギスギスした関係」などもあれば、対話を続ける中で「お互いが認め合う瞬間」や「信頼する瞬間」など、目に見えない変化が起きることもある。
「よく『コミュニケーションを取りましょう』と言われることがありますが、コミュニケーションはそういうものではないと思っています。たとえば、気まずい、しゃべりにくい、うまくいかないだとか、その場に発生している『状況』のようなものだと捉えています」(若新さん)
人が社会の中で生きていく上では、どんな形であれ、何かを表現しなければならない。
「当然なんですけど、表現はまさに関係の中に生まれるんです」(若新さん)
ACTとのプロジェクトでは、表現のプロフェッショナルである俳優たちの演技から、表現力や創造性を生み出す上でどんなコミュニケーションの状態(関係性)がキーポイントになるのかを考えようとしているわけだ。
俳優たちの創造性の「型(パターン)」を探る
パターン・リサーチのイメージ。パターン・リサーチによって体系化された経験則を「パターン・ランゲージ」という。
提供:ACT
表現力や想像力の源泉を解き明かす上で課題となるのは、その方法だ。そもそも目に見えないどう探っていくべきなのか。
「創造性は人の心や組織に宿るものとして研究される場合が多いんです。ただ、それだと『創造的な人』や『創造的な組織』の話になってしまい、創造性そのものを捉えたことにはなりません」
研究プロジェクトにリサーチャーとして携わるSFCの木村紀彦上席研究員はこう指摘する。
そこで木村さんが表現力や想像力そのものを探る方法として採用しているのが「パターン・リサーチ」という経験則を言語化・体系化していく手法だ。
プロジェクトでは、複数の俳優に同じ台本を演じてもらう中で、準備段階から実際に演じる過程で重要視している要素を対話しながら深堀りし、言語化していく。言語化できた段階で、それをあらためて俳優陣にぶつけ、ブラッシュアップを繰り返していった。
こうして最終的に、俳優がなんとなく実践していた表現力や想像力を生む経験則を体系化していったというわけだ。
「実践を『型』として捉えていくんです。武道にある『型』の考え方に近いのですが、型を押さえることで、より良い実践ができるはずです」(木村さん)
鍵になる「感情」とのコミュニケーション
ワークショップで実演する俳優の木村多江さんとプロジェクトに協力している俳優の板敷卓さん。
提供:ACT
若新さんや木村さんは、プロジェクトを進めていく中で、表現力を生む要素として「感情とのコミュニケーション」が重要だということを確信していったという。
完成した映画や演劇を見るとき、思わず長いセリフや体の動きなどに注目して「表現力があるなあ」と感じてしまうことがある。しかし、そうして目にしている「表現力」とは、準備段階から徹底的に「感情と向き合う」過程を経て生み出されたものだという。
「表現するために何かをするというよりも、『その人が本当にその気持ちなら、自然とそういう行動(表現)になる』ということです」(若新さん)
つまり、俳優が怒りに震えている役を演じているとき、それは「怒る演技」をしているのではなく、明確に「怒っている」のだ。
もちろん、そのためには役の背景や環境を知ることで、役そのものになる必要がある。
「役者さんがやっていることは、普段私たちが『自分という役』を演じていることと何ら変わらないんです。日常生活の中でも、(自分の中での)感情の整理が上手にできている人は、共感や信頼感を得ていると思いますし、申し訳ないという気持ちもちゃんと伝わりますよね。逆に、感情と向き合えていない人は、たとえ言葉にしてもどこかすれ違っていく」(若新さん)
現在、プロジェクトでは、これまでの研究から得られたプロトタイプの「型(パターン)」を整理しており、近く公開する予定だ。
11月中にはパターン・リサーチの一貫として公開研究セッションを一般参加可能なイベントとして開催し、さらに「表現力」の体系化を深めていくとしている。
(文・三ツ村崇志)