桂枝之進さん(20)。落語家として活躍しながら「Z落語」を主宰し、若者に落語の良さを伝えている。
撮影:岡田 清孝
DJブースやモクテル(ノンアルコール・カクテル)バーのある「寄席」、5G技術を使って落語を配信 ── 。落語が、いまZ世代から注目されている。その中心となっているのは、若手落語家でありクリエイティブチーム「Z落語」を主宰する桂枝之進さん(20) だ。
「Z世代の視点で落語を再定義、発信する」を掲げる枝之進さんは、なぜ落語に魅せられたのか。
5歳で落語に惚れ込み、15歳で弟子入り
夢見て足を踏み入れた伝統芸能の世界。そこで待ち受けていたのは……。
撮影:岡田 清孝
2021年11月、渋谷のオープンイノベーション施設「100BANCH」。黒いパーカにバックパックを背負った彼は、爽やかな笑顔をこちらに向け、現れた。そこに落語家の面影は見えない。
だがインタビューが始まると、その場は一気に“寄席”に変貌する。
テンポの良い語り口。情景が見える言葉の選び方。返した答えに筆者が笑うと、瞳が一瞬輝き、さらに被せて笑いを取ってくる。
枝之進さんが落語と出会ったのは、5歳のときに母に連れていってもらった近所の落語会だった。登場した“おじさん”が、右や左を向いて話し、それを見てみんなが笑う光景が衝撃だった。
それ以来、落語にハマった。9歳のころには、学校の図書館で落語のセリフが書かれた「速記本」を見つけて読むように。
最初は覚えた古典落語を友だちに話して笑わせていたが、徐々に親戚の集まり、親戚が営むお店でのイベントと披露する場が広がっていった。
12歳の時には「子ども落語を応援する会会長賞」受賞。13歳で、BSフジの番組「落語小僧」にも出演するほどになった。
中学時代にはアマチュア落語家として、国内外の高座をはじめ、イベントやテレビなど、年間150本もの公演をこなしていた。
2016年11月、中学卒業を控えた進路相談では「落語家になりたい」と伝えた。その時には「一生落語家として生きていく」と決めていた。
そうして2017年1月、ある落語家のもとに弟子入りした。
「50年後、舞台に僕しかいないのでは」
入門したのは、関西の上方落語の三代目・桂枝三郎門下だった。
枝三郎さんは、毎回3席、新しい古典落語の演目を披露する『枝三郎六百席』という落語会を月に1度のペースで開催している。
「毎回知らない落語が聞けて新鮮。そんな師匠の元で、古典落語を学びたかったんです」
上方落語の世界では、師匠に弟子入りし、芸名が付いた時点で正式にプロの世界に入ったとみなされる。
弟子入り後は平均3年にわたる「年季修業」と呼ばれる修業期間がある。師匠から「年季明け」の許可がおりると、晴れて自分の仕事が自由に受けられるようになる。
年季修業中は師匠について回るのが基本だ。朝10時から夕方5時まで、寄席の楽屋番をしながら師匠たちの着物の着付けを手伝ったり、お茶出しをしたり。それが終わればコンビニや居酒屋、ホテルの宴会係などのアルバイトも詰め込んだ。
「つらかったけれど、その時にはもう覚悟を決めていた。辞めたいとは一切、思わなかった」
一方で、弟子入りをして気付いたこともある。落語家にもお客さんにも、同世代がいないのだ。
「50年後、僕は誰と一緒に高座にあがっていて、誰がお客さんとして落語を見に来てくれるんだろう」
枝之進さんは少しでも落語を多くの人に知ってもらうため、SNSで情報発信を始めた。
修業の様子を呟くと「10代の落語家」という珍しい肩書きのためか「面白い活動をしている同世代」が少しずつフォローしてくれるようになった。
「同世代の仲間たちに、落語を聞いてもらうにはどうすればいいんだろう」
枝之進さんが真剣にそう考え出したころ、世界をコロナ禍が襲った。
5Gを使えば、落語を伝えられる
コロナ禍は落語界を一変させた。
「寄席が閉まるなんて、戦時中でもなかったこと」。
コロナ禍を契機に、上方落語界もオンライン落語会やYouTubeチャンネルなどを通じてライブ配信を手がける人が出てくるようになった。
枝之進さんも、最初は落語会のライブ配信から始めた。
コロナの打撃を真っ向から受けた落語界。対策のために枝之進さんが辿り着いたのは、Z落語だった。
撮影:岡田 清孝
他にできることはないか。探したところ、目に留まったのが会員制の共創施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」だ。敷設された5Gの基地局を活用した、実証実験のアイデアを募集していると知る。
通常のオンライン回線を使ったライブ配信では、タイムラグが発生してしまう。ライブ配信よりもさらに臨場感ある落語を届けるため、5Gの技術を使った無観客落語会へ挑むことにした。
応募にはプロジェクト名と3名以上のメンバーが必要だった。インスタのストーリーで、デザイナーを“ゆる募”してみると「2秒ぐらいで知り合いが声をかけてくれた」という。
集まった仲間たちは、全員10代から20代前半の「Z世代」だった。
デザイナーの速水駿さんは、現代美術や日本庭園などが好きで、アートに造詣の深い人物。出会う1年ほど前から、SNSでやり取りをする仲だった。
映像制作を手がける大久保空さんは、知人の紹介で知り合った。枝之進さんいわく「音楽が好きな空さんの撮る写真や映像には、音楽のバックボーンがにじみ出ている」そうだ。「聴覚を起点に視覚をつくるのは、落語にも共通する才能」と枝之進さんは、空さんに落語との親和性を感じている。
プロダクトデザインの佐藤隆世さんは、電子工作やプログラミングを手がける人物だ。オンラインミーティング中に、3Dプリンターで出力して作成する「扇子」のデータを、30分ほどでつくってみせた。その才能に惚れ、スカウトしたという。
これまで交流してきた同世代の中から「落語の可能性を拡張する」ためのクリエイティブチーム「Z落語」が誕生した。
「5G落語会」のPV。Z落語のメンバーで企画・制作した。
動画:Z落語
同じネタでも、落語家はお客さんの反応を見ながら少しずつ話し方を変えている。だが、オンライン配信ではわずか0.5秒の反応の高座と観客との間に生じる「遅れ」が芸に影響してしまう。
5Gを使って落語をすると、そのわずかなタイムラグが、4Gと比べて少なくなった。グッと話しやすさが増し、お客さんとの相互のやりとりもしやすくなった。
「お客さんの声をイヤホンで聴くので、通常の寄席よりも声が近いんですよ。新しい発見でしたね」
落語とクラブカルチャーをミックス
「’’YOSE’’ by Z落語−名古屋」の様子。
動画:Z落語
テクノロジーを使えば、落語の可能性はもっと拡張できる。
そんな手応えを感じた一方で、オンライン配信ではひとつひとつの演目に注目はされても「寄席」という空間がもたらす特殊な体験ができない。
そもそも、若い世代にとって落語はとっつきづらいもの。届けられる人数には限界がある。
「かつて江戸には100軒を超える寄席がありました。例えば「講談(※)」の“連続もの(数日かけて披露される大ネタ)”は『この続きはまた明日』で終わり(お客さん同士と芸人が)次の日も再び顔を合わせる。寄席は、そういった交流や刺激のある場所だったんです」
(※)講談とは、『太平記』や『源平盛哀記』などの歴史に関する本を読み聞かせること。
寄席を、いまの時代に置き換えると何だろうか。行き着いた答えが「クラブ」だった。
仲間たちとアイデアを出し合い、落語とクラブカルチャーをミックスしたイベント「YOSE」を2020年12月に渋谷のオープンイノベーション施設「100BANCH」で開いた。
2日間のイベントでは、演出にもこだわった。
たとえば、各地の寄席の高座には、その寄席が目指す理想を示す言葉が掲げられている。繁昌亭であれば“上方落語中興の祖“の故・桂米朝がしたためた「楽」の文字、新宿末廣亭であれば「和気満堂」のように。
「YOSE」では高座に掲げた額の中にネオンサインで「Z」の文字を輝かせた。まるでZ世代による新しい落語を目指す心意気を示すかのようだ。出囃子もDJがプレイした。
すると、40人ほど入れる会場は両日満員に。来場者の9割はZ世代だった。
落語は「エモい」を共有できる感覚
「YOSE」の様子。
提供:Z落語
異色のイベントとして話題を集めた「YOSE」。枝之進さんがこだわったことがある。
演出は現代風のものを取り入れつつも、根っこの「落語」は何も変えないことだ。あくまで古典落語を伝える。その理由とは何か。
「落語って、聞いてみたら意外と面白いし分かりやすい。僕は落語の面白さを信じているんです」
枝之進さんがそう語る背景には、Z世代だからこそ分かり合える「共通の感覚」があるという。
「みんな幼いころ一度は『笑点』を見たり、学校寄席で聞いたことがあったりするじゃないですか」
人々が共通して持っている情緒を、Z世代は「エモい」と呼ぶ。ならば、落語もエモいと言えるのではないか。
「エモい」の共通感覚のひとつとして、枝之進さんは「写ルンです」を挙げる。
「写ルンです」は枝之進さんが幼稚園の頃に流行していたものだ。それがいまや“古いもの・懐かしいもの”としてZ世代に親しまれている。
「落語もいま、1周回って、若い世代に受け入れられるはず」
お笑いの中心に落語がある世界
落語を若い世代へ届けるための枝之進さんの挑戦は続く。
撮影:岡田 清孝
「5G落語」に、Z世代たちで作り上げた「YOSE」。落語の新しい可能性を求めて挑戦する枝之進さんだが、これから取り組んでいきたいプロジェクトは?と尋ねると、「AI落語」だという。
きっかけは、知り合いのAIエンジニアの提案だ。AIに古典落語の台本をインプットさせれば、新しい落語をつくれるのでは、という発想がプロジェクトにつながった。
枝之進さんはAI落語と自動翻訳のリアルタイム字幕の技術を組み合わせることで「落語の同時通訳」ができるのでは、と期待している。
「技術が発達すれば、落語に国境もなくなる。世界中のエンターテインメントは、もっと行き来しやすくなるはずです」
落語を広める仕掛けにも取り組む一方で、今後のキャリアを聞いてみると、「死ぬまで落語家でいたい」ときっぱりという。
その言葉通り、枝之進さんは現在も初舞台の場である天満天神繁昌亭をはじめ、さまざまな高座にあがっている。
「今後は落語がお笑い界の中心となり、落語の大会がM1グランプリのような存在になれたら、うれしいですね。将来的には常設型のYOSEをつくり、コミュニケーションの中核にある落語を目指していきたいです」
落語の未来は、江戸時代の交流の場であった「寄席」とZ世代の「エモさ」が、鍵となりそうだ。