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中国が習近平国家主席を「毛沢東と並ぶ指導者」決議した納得の理由。「個人崇拝の強化」説はまったくの的外れ

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中国の習近平国家主席(中国共産党総書記)を映し出した巨大スクリーン。11月4日、上海で開催された「中国国際輸入博覧会」開催時の撮影。

REUTERS/Andrew Galbraith

中国共産党が習近平総書記(国家主席)に毛沢東、鄧小平と並ぶ指導者としての地位を与えたとの報道が世界を駆けめぐった。

いま習氏の「権威づけ」が必要とされる理由は何だろうか。

窒息寸前の資本主義に代わって、中国が社会主義へと「転換」するには14億人を数える国民の意思統一が必要であり、その旗頭(はたがしら)に習氏を据えた、というのが筆者の見立てだ。

毛沢東、鄧小平を継ぐ指導者に

中国共産党は中央委員会第6回全体会議(6中全会、11月8~11日)で、習氏を「建国の父」毛沢東、改革開放政策を提唱した鄧小平を継ぐ「新時代」の指導者とする「歴史決議」を採択した。

これによって、2022年後半に開く第20回党大会で習氏の総書記3期目入りが確実になり、長期政権への道が開かれたことは間違いない。

しかし、習氏への権力集中と長期政権化ばかりに目を奪われるべきではないと筆者は考える。

より重要なポイントは、社会主義への「転換」だ。その点についてはあとで詳しく述べたい。

毛沢東は政敵を倒すため、文化大革命を発動し、個人崇拝を推し進めた。一方、習氏の権力基盤はいま盤石であり、挑戦する勢力はない。だから、習氏への権威づけを権力闘争の文脈から説明しようとすると無理が生じる。

SNSが普及し情報があふれるこの時代に、個人崇拝の徹底を図ろうというのはさすがに時代錯誤だろう。

「歴史決議」の真の狙い

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北京の天安門広場に掲げられた「建国の父」毛沢東の肖像。習近平国家主席はこの中国の偉大な人物と肩を並べる存在になる。

REUTERS/Carlos Garcia Rawlins

鄧小平が改革開放政策を掲げてから40年余り。中国は社会主義の看板を掲げながら、実際には資本主義のもとで世界第2位の経済大国におどり出た。それを「看板社会主義」と呼ぶ人もいる。

欧米諸国は、中国で市場経済が開花すれば、民主と自由、人権など「普遍的価値」を共有できる体制に転換するのではないかと期待を抱いてきた。資本主義と民主主義はセットであり、民主主義が育たなければ十分に成長できず、資本主義も開花しないという固定観念もそこにあった。

ところが、中国は政治的自由や民主抜きに驚異的な発展を遂げ、欧米諸国が考えていたような資本主義と民主主義はセット、との考え方は論拠を失った。

一方、中国では資本主義顔負けの経済格差が肥大化していった。中国富裕層の上位1%による富の占有率は、2000年の20.9%から2015年に31.5%まで上昇。日本やアメリカより大きな格差が生じた。

アンバランスな発展と歪みが目立つ社会構造にメスを入れなければ、いずれ共産党一党支配への不満が爆発しかねないとの危機感が強まっている。

在京の中国外交筋は今回の「歴史決議」について、次のように筆者に語った。

「建党100年(2021年)という(すでに実現した)第一の『夢』と、建国100年(2049年)という第二の『夢』を連結する役割がある。

人民の要求は生活の質向上や環境問題などますます高度化しており、『共同富裕』と第二の『夢』を実現するため、共産党と人民を奮闘させ、団結させるのが目的だ」

社会主義の原則に「回帰」

上の外交筋が強調した「共同富裕」(=ともに豊かになる)は、2021年8月に習氏が打ち出した格差是正を目指す新たなスローガンだ。

具体的には、日本の固定資産税にあたる不動産税を導入し、株式配当やぜいたく品への課税や公的年金制度の見直しを通じて分配機能を高め、本来の社会主義が目指す「平等社会」を実現しようとする内容だ。

最低限度の保障(ナショナルミニマム)や大企業による寄付、公共サービスの平等化など、社会主義的原則に回帰する色彩が濃い。

世界市場への参加を継続してそこから利益を得ながらも、国内では分配政策を中心に社会主義経済への「転換」を進めるのが、習氏の新政策だ

急に社会主義経済への転換を進めれば、グローバル化した巨大IT企業や既得権益層の反発や抵抗も予想される。場合によっては社会的混乱も覚悟しなければならない。多くの人民の意識がついていけない事態は十分予想される。

それらの課題に取り組むため、歴史決議は習氏に「党中央の核心、全党の核心」という地位を与えた。思想を統一し、団結を強化しようとの狙いが読みとれる。社会主義への転換に向け、習氏に「権威づけ」したわけだ。

習氏は中国社会主義の将来について、2035年に「社会主義現代化を基本的に実現」し、建国100年の2049年には、「中華民族の偉大な復興」と「世界一流の社会主義強国」を実現する二段構えの目標を定めている。

その点、日本を含め世界の先進資本主義国で、中長期的な国家目標を設定している国はない。

鄧小平は改革開放路線を進めるにあたり、社会主義を掲げる国が資本主義のもとで経済発展を進めることを正当化する理論づけを行った。

それは社会主義の原則に忠実な「保守派」の抵抗を封じるためだった。事実と実践が正しさを証明するという「実事求是」の考えにもとづくものとされたが、実際には「後づけ」理論でもあった。

習氏が今回、鄧小平と並ぶ指導者の地位を獲得したのも、(改革開放路線の理論を打ち出した鄧小平と同様に)社会主義への転換にあたって中国が到達すべき目標をあらかじめ設定したことが大きいと考えられる。

「民主か独裁か」で理解しようとする愚かさ

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中国共産党の「聖地」北京の記念館。習近平国家主席の生い立ちに関する展示。

REUTERS/Carlos Garcia Rawlins

先進資本主義国の多くは、1980年代からの新自由主義経済が国家間の格差を固定化し、各国内での経済格差と社会矛盾をもたらした原因であることを自覚している。

しかし、それに置き換えるべき新たなシステムは見つからず、民主主義という(新自由主義経済を制御する)ガバナンスも腐食し、いわば窒息状態にある。

そんな先進資本主義国が中国の統治を評価する際、常に問題視するのが共産党による一党独裁で、それを根拠に「民主か独裁か」の二択論が用意される。

アメリカのバイデン政権もそれを意識して、民主か専制かという「踏み絵」を世界に迫っている。

しかし、民主か独裁かという二択論に、果たして正当性はあるのだろうか。

代表民主制、三権分立、法の支配など「民主的な制度を備えた独裁国家」は少なくない。国家統治の性格を決定するのは制度だけではない。それぞれの国の伝統・文化・宗教に根ざした特殊性こそ、統治のあり方を決定する大きな要因ではないだろうか。

では、中国の特殊性とはどんなものか。

ここ数年、中国を歩くたびに目に見える変化を実感する。かつて街を覆っていたギスギスした空気は薄れ、余裕と落ち着きが出てきた。

言論の自由がなく抑圧に苦しむディストピア社会と、豊かになり安定した中国社会、いずれも現在の中国社会の一断面であり、中国全体をあらわしてはいない。

多民族・多言語・多宗教に加え、先進国と途上国が同居する「帝国」としての様相。中国ほど平均化が難しく、全体像をつかむのが難しい国はない。

どこを切っても同じ顔が表れる「金太郎アメ」のような日本的モノサシを使って中国のさまざまな現象を測って分析したところで、スッパリと歯切れのよい中国像が浮かび上がってこないのは当然だ。

メディアは「国際協調乱す独善は困る」と言うが…

中国が抱える矛盾のすべてを一党独裁から説明しようとすると、そこからこぼれ落ちた多くの問題の説明がつかなくなる。

中国は言語によって形成される地方意識も根強い。少数民族問題と相まって、統一を脅かす分裂の契機が常にある。習氏が「中華民族共同体意識」を強調するのは、それを統一のアイデンティティにしたいからだ。

統一国家の形成と維持は、歴史に根ざした中国の特殊な「使命」であり、一党独裁も部分的にはそこから説明できる。

「近代中国の父」孫文は、中国人を「つかもうとすると指からこぼれ落ちる砂」に喩(たと)えた。良く言えば中国人は日本人に比べて自立性が高いが、別の角度からみれば「まとまりが悪い」のだ。

今回の歴史決議について、日本の大手メディアは総じて批判的だ。

ある全国紙は、「国際社会では中国のふるまいに対する懸念の声が上がる」と批判。中国が自分の発展モデルの優位性を強調するだけでは「分断が決定的になりかねない」と書き、記事タイトルを「国際協調乱す独善は困る」とした。

中国が世界で孤立しているという自説を権威づけるため、国際社会という実体のない主語に語らせた典型的な記事だ。

中国が自国の発展モデルの優位性を誇ることが「分断を決定的にする」という断罪は、筆者には言いがかりにすぎないように思える。

ニューヨーク・タイムズのあるコラムニストが、アメリカで高まる反中国の潮流について書いた一文を最後に紹介しておきたい。

「中国がリベラルな国際秩序に対する脅威であるなら、われわれが自分たちのシステムを改善して、挑戦に立ち向かう能力はあるのだろうか」

異質と思われる他者と向き合うときは、自分たちの秩序の正当性を問い返すべきだと、そのコラムニストは言う。至極(しごく)まっとうな主張だ。反中世論が燃えさかる日本にも同じ問いが突きつけられている。

(文:岡田充


岡田充(おかだ・たかし):共同通信客員論説委員。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。

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