コロナ禍の2020年4月、劇団ノーミーツを立ち上げた広屋佑規(中央)、林健太郎(右)、小御門優一郎。
撮影:今村拓馬
新型コロナウイルスであらゆるエンターテイメント産業が影響を受けた中で、一つの挑戦が話題をさらった。
劇団ノーミーツ。
「No MeetsとNO密と濃密」をキャッチコピーに、顔合わせから打ち合わせ、オーディション、稽古、そしてもちろん本番まで一度もメンバーが会うことなく演劇を届ける「Zoom演劇」という手法を確立。2021年2月には「演劇界の芥川賞」とも言われる岸田戯曲賞の最終候補にもノミネートされ、作品そのものも高く評価された。
そのノーミーツが「劇団」という看板を捨て、ストーリーレーベル「ノーミーツ」として再始動した。演劇や映画というジャンルにとらわれず、幅広く物語を創造するエンターテインメント集団を目指すという。
「面白い劇団があったよね」で終わりたくない
劇団ノーミーツが結成されたのは2020年4月。1度目の緊急事態宣言の直前だった。
演劇やライブ、イベントは中止され、映画館も閉まった。足を運ぶエンターテインメントが消えた世界で、「こういう時だからこそ何か面白いものを生み出したい」という広屋佑規(30)の呼びかけに応えたのが林健太郎(27)、小御門優一郎(28)だった。
その数日後から2、3日おきにTwitter上に自粛生活の中での不安や困惑を描いた140秒のZoom動画をアップし、5月末には劇団旗揚げ公演として『門外不出モラトリアム』を上演。その後、第2回公演の『むこうのくに』、岸田戯曲賞の候補ともなった第3回公演『それでも笑えれば』を上演、有料にもかかわらず1万4000人以上を動員した。
第2回公演『むこうのくに』。登場する俳優たちは自宅からそれぞれ演じていた。
提供:ノーミーツ
自主公演以外にもサンリオピューロランドと組んだ作品や、THE SUIT COMPANYなどテレビCMなども手がけ、この1年半で生み出した作品は演劇、ドラマ、番組、映画など50以上にものぼる。
ノーミーツの強みの一つは、コロナ禍での「会えない」という制約を逆手にとったフルリモートという手法と、会えないからこそ見えた感情や自分にとって大切なものは何かという本質的な問いだった。
だが、コロナはいずれ収束する。リブランディングの起点は、「コロナ後」を考えたことだった。会えるようになった時代に自分たちは何を表現するのか。
2020年の年末に上演した『それでも笑えれば』では、バーチャル空間上にいた登場人物が実際に「会う」ことも解禁した。それまで一切会わずに作品を作ってきたメンバーが集えるオフィスも設けた。リアルな演劇の配信をしたり、縦型映像の映画をつくったり、2021年に入り、Zoom演劇以外の新たな表現方法を模索してきた。
「それでも、『ノーミーツと言えばZoom演劇だよね?』『今でも会わずにつくっているの? え、オフィスあるの?』と言われることが続いて。あまりに『会わずにつくる』のインパクトがあったので、逆に少し重荷にもなっていました。僕たちはもっと新しいことにチャレンジしたいのに、世間のイメージは変わらない。このままコロナが収束したら、『コロナ禍に劇団ノーミーツっていう面白い劇団があったよね、で終わってしまうと思ったんです。
改めて自分たちの価値は何だろうとみんなで考えた時に、自分たちはどうしようもなく物語が好きで、物語をつくっていきたいという思いがありました」(広屋)
会えない時代に磨かれた感情の深掘り
今はノーミーツの経営も担う広屋。副業で関わるメンバーも多いが、いざという時には「アクセルを全力で踏めるような」チームもつくりたいという。
写真:今村拓馬
選んだのが「劇団ノーミーツ」から「ノーミーツ」への転換。演劇、映画、ドラマなどジャンルにこだわらず「物語」をつくり、届ける。いまは制約がなくなったからこそ何でもできるという興奮と葛藤を楽しんでいるという。
「会えない制約を超えるという熱量と好奇心でつくってきた僕たちが、会えるようになった時に何からつくるのかという葛藤はあります。でも、新しい表現に挑戦する時に超えるべき制約は必ずあるので、それを越えることはやっていきたいし、コロナが収束しても社会の閉塞感がなくなるわけでもない。そこに一筋の希望を提案できるものを、と思っています」(林)
脚本を担当する小御門は「会えない時代」に、どこか大喜利的に脚本を書いていたという。
会わない時代に人に感動してもらうのはこういうことかなと。それが2021年のゴールデンウィークに生配信した企画『夜が明ける』では、「会えない」状態は変わらないものの、1年前とは同じ条件ではないだろうと考え込んだ。
3回目の緊急事態宣言。1年以上経ってもまだ終わりが見えない。この苦しい中でみんなどんな思いでいるのか。改めてメンバーたちと徹底的に話し、感情を深掘り言語化した。
結論があるわけでもない、延々と続く空中戦のような企画会議。ノーミーツではどんな作品をつくる際にも、この作業を大切にする。「会えない」という制約の中で磨き上げられたコミュニケーションによる感情の解像度の高さと、それを物語として昇華させる、この一連の「作業」こそノーミーツの強みだという。
「今のチームではこの感覚が共有できて信頼し合えている。脚本は僕が書きますが、チーム全体でつくることがノーミーツらしさだと思っています」(小御門)
企業からの案件も増えたが、基本はこうした議論を経てつくり上げていく。あくまでも自分たちが考える「物語」の軸はブラさずにやっていきたいと考えている。
「企業の案件では担当者レベルでは面白いと言ってもらえても、上層部に提案すると、『もっと分かりやすくバズりそうなものを』と言われたこともあります。本質を見極めようとすると、キャッチーではなくなるけど、物語だからこそ伝わると思っています」(広屋)
「1本の糸が垂れた」ので会社を辞めた
勤めていた会社も辞め、「筆1本」で食べていくことを選んだ小御門。今は言語や国境も超えるという世界同時演劇のようなものをやりたいという。
写真:今村拓馬
ノーミーツのもう一つの強みは、メンバーの多様性だ。
それぞれが自宅など離れた場所からフルリモートで演じるという斬新なアイデアを可能にしたのも、テクノロジーを支えるエンジニアやデザイナーがいたからだ。演劇や映画業界からだけでなく、映像や広告、デザイン、ITなど幅広い領域から集まったメンバーは26人になった。大企業の社員やフリーランスなど働き方や属性も多様で、異なる強みを持ったメンバーが混ざり合う集団になっている。
ただ、その関わり方には少しずつ変化も起きている。
小御門は勤めていた松竹を昨年退社した。担当していた歌舞伎のオンライン配信が始まり、歌舞伎座が再開する時期とノーミーツの2回目公演の準備が重なり、「両立はもう無理かな」と考え始めた。
もともと自身の劇団も持っており、「いずれは筆1本で食べていきたい」と思っていた。ノーミーツの公演を数千人単位の人に見てもらったことで、「物語を書くことで身を立てられるかも、という糸が1本垂れたので、『ま、いいか』と思って」退職を決めた。
最終出社日、職場で退職の挨拶をした時には歌舞伎座の総支配人から「いつか歌舞伎座を満杯にする本を書いてもらい戻ってきてもらいましょう」と温かく送り出された。退職後も、松竹とはといくつかの案件が進む。
若手の才能にはビジネス的価値がある
もっと若いクリエイターたちが活躍できる場所をつくりたいと話す林。映画会社勤務との両輪生活を続ける。
写真:今村拓馬
林は今も平日は勤務する映画会社の仕事をし、ノーミーツの仕事は週末が中心だ。映画業界も含めてエンターテインメント業界でどうしたら若く新しい才能が「場を与えられ」大きなインパクトを残せるか、ということにこだわっている。
「才能を求めているのはどの業界でも同じなのに、活躍できる場所を提供するまでにはなっていない。個人的には新しい才能を少しでも早く見つけて、彼らにできるだけ大きな場をつくっていきたい。Zoom演劇はエンターテインメントや広告業界では話題になったけど、社会全体にインパクトを残すまでは至ってないので。
そのためにも若手の才能がお金になること、ビジネス的な価値があることを証明するしかないと思っています」(林)
対面型のゲームレーベルも旗揚げ
ゲームレーベルも立ち上げた。広屋の部屋はゲームの在庫でいっぱいだという。
写真:今村拓馬
新たな領域への挑戦として、12月にはストーリーゲームレーベル「ポラリス」も立ち上げる。
中国のZ世代に爆発的な人気となっている「マーダーミステリー」という推理型ゲーム。プレイヤーそれぞれが物語のキャラクターになりきって、会話をしながら事件の真相を解き明かしていくという「対面時代」のコミュニケーションを通じたゲームだ。
「『会わずにつくる』を推奨していたノーミーツが会った時に楽しめるゲームをつくった、ということ自体、僕たちからのメッセージです」(林)
という。
林は1年前に友人に誘われて参加し、その没入感に圧倒された。この体験を共有したい。だが、メンバーの中にこれまでゲームをつくった経験者はいない。何からやればいいかも分からなかったし、初めて在庫を抱えるというビジネスに踏み込むことにもためらいはあった。だが、「何かをつくりたいという突発的な衝動を僕らは大事にしたかった」(林)という。
林はノーミーツを通して、
「ストーリーとコミュニケーションが僕たちの大きなテーマ。そこに愚直に挑戦していきたい」
と話すが、このゲームはまさにその2つの要素が融合したもの。今後はこのゲームを通してリアルな体験を提供するだけでなく、ゲームを核としたドラマや映画にも可能性を見出している。
小御門は自分の書いた作品が岸田戯曲賞の最終候補になった喜びを噛み締めている。
演劇界の重鎮からの講評は厳しい部分も含めて財産になったという。エンターテインメントに寄せた作品をつくりながらも、自分の出身地である演劇で、いつか多くの人に見てもらえるような劇場公演も手がけたいと思っている。
そして代表である広屋は、こう話す。
「僕たちはエンターテインメントのジャンルを問わず、これからも軽やかに挑戦し続けていきたい。オンライン演劇をつくる過程でいろんな人を巻き込もうとしたけれど、業界の体制もあってつくり手側に届きにくかった部分もある。エンターテインメントの形はもっと自由であっていいはずなのに、なかなかそれができていない現実もある。自分たちが当事者として一つひとつチャンレンジしていかないと、変わっていかないと思っています」
(敬称略)
(文・浜田敬子、写真・今村拓馬)