撮影:伊藤圭
京都市で溶接の町工場、株式会社MAを経営する本原晃伸は、「IoT」「インダストリー4.0」などのキーワードで検索し続けていた。21歳から溶接工として腕を磨き、CADなどの技術も学んだ。自身の技術には自信があったからこそ29歳で独立したのだが、この先何十年を考えた時、溶接という技術や業界はどこに向かっていくんだろう、という漠とした不安があった。
「20年30年前の技術で戦っていたので、そろそろ僕たち若い世代で変えなければ、と思っていました。町工場の未来を一緒に考えてくれる会社はないのかと探していた時に見つけたのが、CADDi(キャディ)でした」
「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」
製造業における受発注をマッチングするCADDiのサービスイメージ図。
キャディコーポレートサイトよりキャプチャ
キャディは代表取締役CEOの加藤勇志郎(30)が、「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」を掲げて2017年に創業したスタートアップだ。日本で初めての製造業における受発注のプラットフォームをつくりあげた。
だが、本原が連絡を取った時点のキャディはまだ創業して1年。大丈夫なんだろうかという不安は、訪ねてきた2人の社員と会ってすぐに払拭された。矢継ぎ早に繰り出される質問には、ものづくりへの深い理解が感じられた。それだけではない。
「この人たち、ここまでものづくりを熱く語るんだ」
惹かれたのは、その情熱だった。この人たちと一緒に仕事をしたい。すぐに心は決まったという。
キャディの強みは、「こんなものを作ってほしい」というメーカー側の図面データを自前のシステムで解析し、瞬時に原価を計算し見積もりを出す圧倒的な技術力だ。その速さが平均7秒というところから、創業からしばらくはこの「7秒見積もり」が注目を集めた。
世界的なプラットフォーム企業の潮流は、徹底した省人化だ。キャディを「ものづくりのアマゾンを目指す」と評したメディアもあった。だが、加藤と話していると、決してテクノロジーだけで受発注をマッチングさせるプラットフォーム企業ではないことに気づく。
町工場と一緒に汗をかくプラットフォーム
キャディではパートナーの町工場600社全てに足を運んでいる。実際に現場を見ないとわからないことは多いという。
提供:キャディ
現在パートナー企業と呼ぶ町工場は600社を超えた。キャディでは、この1社1社全てに足を運び、どの工場がどんな技術の強みを持っているのか、現場を見て、対話を重ねる中で確かめている。
一口で「原価」と言っても、細かい作業工程一つひとつを現場で見て、原価に反映させる。大口の受注を受けた工場には社員を常駐させて徹底的にサポートする。完成部品はキャディが検品し、発注者に納品しているので、不良品があれば工場にもう一度作り直してもらうなど、町工場と一緒に汗をかく。
発注元となるメーカー側は、加藤が新卒で入社したマッキンゼー・アンド・カンパニー時代に担当した企業などから開拓していったというが、なぜこれほどの町工場との関係ができたのか。
「最初にあったのは構想とやる気だけなので、基本は『足で稼ぐ』。でも最初は工場を訪問して自分たちの構想を伝えても、なかなか理解してもらえないことも多くて。
ただ当時僕は26歳で、そもそも若い人間がこの領域に入ってくることも珍しい。なぜこの領域に?と僕という人間に興味を持ってもらえたら、マッキンゼーで何をしてきたか、なぜここに問題意識を感じているのか。そんな『普通のこと』を一つひとつ話してきました」
そう加藤は淡々と話すが、キャディの成長を支えているのはこうした「普通のこと」を愚直に続けてきた部分も大きい。圧倒的なテクノロジーと、情熱と志を持った社員たちという人力の両輪。その内容は2回目で詳述するが、これこそキャディの強みで、プラットフォーム企業の進む一つの未来の形だと感じる。
町工場疲弊させる多重下請け構造をフラットに
撮影:伊藤圭
開成中高から東大、そしてマッキンゼー。一見エリートコースを歩んできたかのように見える加藤が、日本のものづくりに潜む根深い課題に気づいたのはマッキンゼー時代だった。
ものづくり大国と言われるほど製造業の圧倒的な競争力を支えたのは、「ケイレツ」と呼ばれるようなメーカーを頂点とした部品メーカーの垂直統合型のシステムだった。高度経済成長期に完成したこのシステムは日本の成長期には効率よく機能したが、結果的には部品を製造する下請け、孫請けと呼ばれる町工場を疲弊させていった。
キャディのパートナーである町工場の半数も、かつては売り上げの7、8割を1社に依存していたという。特定の取引先への依存度が高ければ、そこからの発注がなくなることは経営危機に直結する。そのため得意でない製品を無理に引き受けて余計なコストが発生したり、発注先からの無理な価格に応じたりせざるを得ないこともある。
結果、中小企業の75%が赤字で、この30年で日本にあった町工場の半数が廃業に追い込まれる事態になっている。
冒頭の本原の会社はキャディと出合うまで、工場などで製品を運ぶ搬送機の仕事が9割を占めていた。一つの業界に偏っていたので、業界の好不況に影響されやすく、売り上げがいきなり3割減ったこともあった。一方で、取引先は20、30社に及んでおり、案件のバリエーションがないのに取引コストはかさんでいた。
「僕らのように小さな会社は自分たちで営業して新たな取引先を開拓することが難しい。キャディの人から僕らの技術は他でも使えるんじゃないかと言われて。自分たちが気づいていなかった可能性を教えてもらいました」(本原)
加藤にマッキンゼーで学んだことは何かと尋ねると、「この課題を知ったこと」という答えが返ってきた。もともといつかリアルな社会の大きく深い課題を解決したい、そのために起業したいと、新卒時の就職先としてマッキンゼーを選んだ。主に製造業を担当するうちに、日本のGDPの2割を占める製造業で、120兆円にもなる部品調達の分野で100年以上も目立ったイノベーションが起きていないことに気づいた。
「もっとソフトウェアやテクノロジーの力を使えば、多重下請け構造と言われる産業構造をフラットにできるのではないか。
部品調達のコストを下げる、見積もりを作成するなどの苦手な作業を肩代わりすることで、ポテンシャルのある中小企業がより付加価値のあるものの製造に集中でき、もっと伸びていけるのではないかと思いました。その思いは今も変わっていません」
発注元5000社超。町工場と共に成長
コロナ禍はただでさえ経営に余裕がない町工場に、更なるダメージを与えた(写真はイメージです)。
Ustyle / ShutterStock
新型コロナウイルスはあらゆる産業を直撃したが、町工場も例外ではなかった。2020年9月、キャディでは全国の金属加工などを手がける町工場104社にアンケートを実施、8割の企業が直近3カ月、売り上げが2割減ったと答えた。もともと町工場は日々の操業に手一杯で、新たな販路を開拓する余裕がないという課題も抱えていたが、新たな取引先を開拓する機会でもあったリアルな展示会が軒並み中止された影響も大きかった。
そんな中、冒頭の本原の会社はこの数カ月間、フル稼働をしている。今請け負っているのは、半導体関連のプラント製造だ。大きな設備を毎日のように溶接して、トラックで運び出す。世界的な半導体不足から注文は引きも切らない。この1年で売り上げは5、6倍に増えた。それだけでなく、新たな取引先と仕事をすることで技術的な成長が実感でき、自分たちがやっている仕事が直接社会に貢献しているとの実感も持てているという。
町工場の成長と並行するようにキャディの成長も目覚ましい。創業4年で、発注企業は日本を代表するメーカーも含めて5000社を超えた。2021年8月には総額約80億円の資金調達もし、話題になった。会社の成長は社員数にも表れている。現在の社員のうち3分の1以上は2021年入社組。取材した9月上旬には170人だった社員が、10月末には230人にまで急増。加藤の週末はほぼ採用の面接に充てられている。
次回以降、キャディの強みであるテクノロジーと人とが融合したプラットフォームがどうやってでき上がっていったのかを探っていく。
(敬称略、続きはこちら)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。