撮影:伊藤圭
日本の町工場が苦しんでいた多重下請け構造をフラットにし、町工場の持っているポテンシャルを伸ばすことで、日本のモノづくりを復活させる—— 。CADDi(キャディ)代表取締役CEOの加藤勇志郎(30)がそう決意して製造業における受発注プラットフォームをつくったのが2017年。
加藤が新卒で入社したマッキンゼー・アンド・カンパニーで感じたのは、売り上げの大部分を1社の発注元に依存せざるを得ない町工場の現実だった。かたや発注元となるメーカーにとっても、部品の調達は「100年以上イノベーションが起きていない」(加藤)世界。加藤はまず部品の中でも大きな比重を占める「板金」に目をつけた。
「アマゾンが本から始めたように」
キャディが受注した板金加工の製作事例。金属を薄く伸ばして作られる板金は、多種多様な工業製品に使われている。
提供:キャディ
例えば自動車の部品は約3万点と言われるが、そのうち3割が板金だという。電車や産業機械のような大物になると、板金の部品だけでも数百点となるため、図面を見て1点1点最適な工場への発注はほぼ不可能だ。だから、まとめて1つか2つの工場に発注することになる。
かたや受注する板金工場の8割は、9人以下の零細企業。新たな販路を開拓する余裕や、発注元との交渉をする体力や余裕もない企業が多い中で、どうしても「得意でない」分野の部品加工も引き受けたり、価格交渉で買い叩かれたりすることにもなる。
「最終的には製造業全体に取り組みたいのですが、最初から何でもかんでも始めると逆に強みができないので、一番多品種少量で、原価が計算しやすく取り掛かりやすいということで板金からスタートしたんです。アマゾンが本から始めたように」(加藤)
メーカーと全国の板金工場をテクノロジーでつなげる手法として加藤が考えたのが、発注者が図面データをキャディのシステムにアップしたら、短時間で見積もりを出して、最適な工場を自動でマッチングするというアイデアだった。
「7秒見積もり」開発はAirPodsのエンジニア
「大きな社会の課題を解決したい」と思っていた小橋は、加藤のアイデアを聞いたとき、「すごく興奮した」と語る。
提供:キャディ
創業当初はその原価計算の速さから、「7秒見積もり」が評判になった。このテクノロジーをつくりあげたのが、加藤とともにキャディを創業したCTOの小橋昭文(31)だ。
小橋の経歴は、開成→東大→マッキンゼーという加藤の経歴の華やかさをしのぐほどだ。幼い頃、アメリカに家族と共に渡り、スタンフォード大学・同大学院で電子工学を学んだ。学生時代から学費を稼ぐために、世界最大の軍事企業ロッキード・マーティン本社で衛星の画像処理システムを構築。
その後はアメリカのアップル本社で、iPhoneなどの電池を長持ちさせるための改善に取り組み、AirPodsではシニアエンジニアとして開発をリードした。AirPodsを耳に入れるとポローンと音がするが、あのセンサーのアルゴリズムなどを開発していたという。
加藤とは、共通の友人を通じて学生時代に知り合った。学ぶ領域こそ違ったが、最初からお互いの優秀さを認め合い、「いつか何か一緒にやりたいね」と話していた。アメリカでのキャリアを中断させてまで、小橋がキャディを共に立ち上げたのは、加藤となら社会的にインパクトのある課題の解決ができる、と感じたからだった。
アップルでは製造にも関わっていた小橋も、部品調達の難しさは感じていた。加藤がマッキンゼー時代に担当していたのは主に重工業分野や運輸分野、小橋は大量生産されるスマホなどの電化製品。国や製品や事業が違っても、共通する課題が製造現場にあることは直感的に理解できた。
現場の痛みを肌で知るマッキンゼー同期
加藤と同じく東大→マッキンゼーというキャリアを歩んだ幸松。キャディへの参加は「ほぼ0秒」で決断したという。
提供:キャディ
小橋がテクノロジー分野の要なら、「人」の部分を加藤と担ってきたのが、パートナーサクセス本部長の幸松大喜(30)だ。創業当初、オフィス兼自宅のマンションに加藤と寝泊まりしながら、1件ずつパートナー工場を開拓した。
幸松と加藤はマッキンゼーの同期だ。一緒に働いたことはなかったが、社内の新規事業のコンテストに共に参加した仲だった。加藤がマッキンゼーを退職する時、幸松は居酒屋に誘われた。キャディの構想を聞かされ、幸松は「ほぼ0秒」で参加したいと口にした。
幸松は高校まで父親の仕事で海外を含めて9回も引っ越した経験から、他人の反応を気にしがちになっていたという。周りに流されずに、自分の信念を持ちたいと考えて行き着いたのが、「立場の弱い人のために」「日本に貢献する」という2つの軸だった。東大時代は貧困や農業などの社会課題に興味を持ち、炊き出しや農家に泊まり込んでの作業も経験した。
「製造業の課題にそれほど詳しい訳ではなかったんですが、大学時代から経済的に厳しい産業や地方の衰退などに関心があったので、日本の社会課題を解決したいという思いが強かったんです」(幸松)
その幸松の手元には使い込まれたノートがある。キャディ創業当初、幸松は横浜の板金工場で3カ月修業をした。朝8時に出社し、従業員と一緒に作業をしながら、隙間時間に質問責めにして、現場からの学びを蓄積。その学びがまさにキャディの先端テクノロジーに大きな付加価値を与えている。
例えばキズと一言で言っても、発注者によってキズの許容度は全く違うという。現場で部品を人の手で運んだり検査をしたりすれば、どうしても傷がつくこともある。それをどこまで想定して許容するべきなのか。そうした人間の「暗黙知」のようなものは自動化の前提となるデータには落とし込めず、どうしても残ってしまう。
キャディの強みの一つは図面だけで原価が分かるアルゴリズムだ。原価には材料費の他に、作業量や工場の土地代、販管費などを乗せるが、データ上で何秒とされる作業量は些細な時間とされ、通常原価に反映させないことも多いという。
だが、たとえペラペラの板金でも重さ20キロということもよくある。それを人力で運んでいる工場もまだ多い。たった5秒の作業でも、すごく大変な5秒だと理解しているかどうか。そこが最終的には現場との信頼関係につながり、キャディの仕組みを使いたいと思ってもらえるかどうかに関わってくると、幸松は言う。
「大事なのは、お客さん(発注者)からもパートナーさん(町工場)からも納得してもらうこと。データ的に正しいものができたら、納得してもらえる訳でもない。製造業ってどうしてもミスは起こるんです。その時に町工場さんの代わりに発注者に頭を下げて、工場の方には残業をしてもらうこともあります。うちのバリューの一つは『至誠』。心がけていることはシンプルで、ちゃんと共感するということです」
三方よしで誰にも真似できない強みを
キャディ創業メンバーの3人と、社内MVP受賞者。社内では四半期ごとにMVP社員を選び、表彰する。
提供:キャディ
幸松には思い出す光景がある。夕方工場を閉めた後、経営者が一人事務所に残って見積もりをつくる姿だ。日中は作業員と一緒に工場で働いているため、そうした事務仕事はどうしても終業後になる。深夜まで机上のライトだけつけた薄暗い部屋で夜中まで作業しても、受注できるのは2割ほど。膨大な時間と労力を使っても、仕事につながらない現実を目の当たりにした。
小橋はキャディの強みをこう語る。
「一番の強みは複数の領域の掛け算だと思っています。道具として、しっかり作り込まれたテクノロジーだけでなく、製造現場、発注側受注側両方の苦しみを知っていること。さらによく泥臭いとも言われますが、現場で実際作業もして、モノを動かしているというオペーレーションの強さ。この3つの分野の掛け合わせは、誰にも真似はできないし、だから成長しているのかなと思っています」
幸松はこう話す。
「我々が目指しているのは、お客さん、工場、キャディの『三方よし』。これをもっと徹底していきたい。テクノロジーも途上ですし、まだ町工場に少ししわ寄せがいくケースもあるので。さらにうちには製造業のいろんなデータが集まるので、それを生かした新しいサービスなどを展開できるかと思っています」
(敬称略、第3回に続く)
(▼第1回はこちら)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。