撮影:伊藤圭
今でこそ東大出身の起業家は珍しくなくなり、在学中から起業する学生も増えた。東大のある東京・本郷は本郷バレーとも呼ばれ、AIスタートアップの集積地にもなっている。
だが、キャディ代表取締役CEOの加藤勇志郎(30)が学生時代、起業している同級生は「ほぼいなかった」という。企業で長期インターンとして働いている学生も加藤ぐらいだった。
東大時代、加藤は大学にはほぼ通わず、没頭したのは「仕事」だった。
「経済学部400人の中で、おそらく一番学校に行っていないと思います。座学が好きじゃなくて、ちゃんと寝て行っても、授業中にびっくりするぐらい寝るんです」
大学に入学してすぐにビジネスに興味を持った。ある本に「作って売れたら会社はできる」とあったのを読み、ビジネスのために必要なのは営業と事業開発だと知る。その2つの職種で長期インターンとして受け入れてくれる会社を探し、働いた。当時のインターンは「経験させてもらう」こと自体が価値だと考えられ、無給だった。知人が立ち上げた男性化粧品の会社で、2人目のメンバーとして働いた時期もある。
その経験から得たものは、「事業を作るのが好きだ」という感覚。事業をつくって人に喜んでもらう。どうせなら、少しでも社会的に意味のある事業をつくってみたい。
治験ビジネス立ち上げ病院営業
治験のアルバイトを斡旋するビジネスでは、学生を集め、きちんと最後まで参加してくれるようつなぎとめるケアをした。
Soonthorn Wongsaita / ShutterStock
目をつけたのが治験のビジネスだ。薬が国の承認を得るためには、効果などのデータを集める治験という段階を経るが、加藤は多くの学生に風邪薬や頭痛薬などの治験のアルバイトを斡旋する事業を始めたのだ。治験に的を絞ったのは、母親が看護師、姉が医師ということもあったが、「ただお金を儲けるだけでなく、何か社会的に一定の意味のあることをやりたい」と思ったからだ。
治験では期間を置いて2回入院するが、その間に面倒臭くなってやめてしまう学生たちが後を絶たなかった。タバコやお酒、運動も禁じられ、その「禁」を破るとせっかくのデータが無駄になる。きちんとルールを守って、2回入院してもらうというのは、学生相手では意外とハードルが高かった。
当時はまだSNSがそれほど盛んではなかった時代。加藤は電話とメールで一人ひとりに連絡をとり、「ちゃんと来てくださいね」「これがクリアできれば、アルバイト代が支払われるから」と説得し、「飲みたい」「吸いたい」欲に負けそうになる学生たちを励まし、つなぎとめた。
治験の仕事は学生被験者のケアや募集だけではない。治験に協力している病院に営業して、案件を取らなければ仕事は入ってこない。学生相手によく病院が案件を任せてくれましたね、と加藤に聞くと、「とにかく治験のことを勉強して、ものすごく詳しくなって営業に行ったら取れた」と事もなげに言う。
歯を磨く間もニュースを聞く
東大アイスホッケー部時代の加藤(前列左から3番目)。加藤は4年間ハードな部活をやり抜き、仕事とも両立させた。
提供:キャディ
加藤のマッキンゼー・アンド・カンパニー時代の同期で、創業期からキャディに加わったパートナーサクセス本部長の幸松大喜(30)は、加藤のことをこう評する。
「すごくストイックで努力家。自分も相当ストイックに生きている自信はあったのですが、加藤は常人じゃないレベルです」
加藤と幸松は創業当初、しばらく事務所兼自宅のマンションで一緒に寝泊まりしていた。幸松が覚えているのは、歯を磨く間も必ずラジオでニュースを聞き、隙間時間にはずっと記事などを読んでインプットしている加藤の姿だ。自身の専門外の知識が必要になれば、一気に10冊ほどの専門書を読み込み、ある程度専門家と議論できるぐらいにはなっているという。
東大時代、加藤はアイスホッケー部に所属していた。学生は深夜から未明にかけてしかリンクが借りられないので、練習は毎晩0時過ぎから明け方4時、5時まで。少し寝てまた仕事をする日々だった。アイスホッケー自体は大好きだったが、部活は決して好きではなかった。それでもやめなかったのは、「意地みたいなものですかね」という。一度やると決めたことは徹底して取り組むのだ。
「お願いだから大学に行って」母の涙
開成中学から高校に進んだ時、加藤は自己紹介文にこう書いたという。
「Impossible is nothing」
東大進学を目指すのが「当たり前」の開成高校で、加藤は音楽の道を目指していた。
提供:キャディ
中学高校では本気で音楽の道を目指し、バンド活動をしていた。当初は大学に進学せずプロになるつもりだった。だが、加藤の真剣さに他のメンバーがついていけず、バンドは空中分解。加藤は1人諦めず、学校が終わると、ライブ会場でギターを弾き、自分で作った曲でCDも出した。
大学に進学したのは、母親に「お願いだから大学に行って」と泣かれたからだ。それもお金がないから国立に行ってと。開成で国立と言ったらほぼ100%が東大を目指す。
高校3年生の6月、それまで塾にも行っていなかったから、偏差値30台からのスタート。そこから1日18時間勉強し、現役合格を果たす。その経験には常人から見たら想像を絶するストイックな努力があったと思うが、加藤はその経験さえさらりと話す。
人一倍努力をして目標を達成した人間は、「努力しない」人間に対して時として冷たく振る舞う時がある。努力しない人が悪いのだと。だが、加藤は違う。努力できるかどうかは環境や構造の問題があるという。土壌さえ整えば、誰にも可能性はあるし、成長することはできるのだと。
次回は、加藤がなぜ町工場のポテンシャルを解放しようと思ったのか。その根っこには人間の可能性に希望を持っているのではないかという話を続けよう。
(敬称略、明日に続く)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。