マネージング・ディレクターのピーター・アンダーソン。
Courtesy of Peter Anderson
毎年夏になると、ヨーロッパのプールでよく見られる光景がある。朝早く起きた宿泊客が朝食前に、お気に入りスポットのプールサイドにタオルを投げてチェアを確保するのだ。
しかし、上位1%の富裕層の中でも朝に弱い人たちは、自分のチェアを確保する別の方法がある。プールが開く前に到着し、顧客の好きなスポットを確保しておき、クライアントが起きて下りてくるのを待つ人を手配するのだ。
これは、ロンドンのコンシェルジュ企業であるナイツブリッジ・サークル(Knightsbridge Circle)が2021年の夏、ギリシャのミコノス島で休暇を過ごすある富裕層クライアント向けに考えたサービスだ。このクライアントは、ホテルにお金を払ってチェアを確保しようとしたもののうまくいかなかったため、ナイツブリッジがビーチでベビーシッターとして働く人を雇い、毎朝代行してもらったというわけだ。
「新しいiPhoneが出る時も、お金を払って代わりに並んでもらうことがありますよね。これはその富裕層バージョンです」と言うのは、ナイツブリッジ・サークルのマネージング・ディレクターであるピーター・アンダーソン(Peter Anderson)だ。
コロナ禍で富裕層は資産を増やしており、富裕層向けのサービス業も好調だ。ただ、ナイツブリッジ・サークルは従来のコンシェルジュ・サービスとは異なる。クライアントのためにビーチチェアを確保するといった現場のサービスを提供できるのは、クライアントを限定しているからこそ可能になる。
「パーソナル・マネジャー」と呼ばれるコンシェルジュたちは、1人あたりクライアントを5名までに限定しており、各拠点でパーソナル・マネジャーの人数は10人までとなっている。つまり、1都市もしくは1カ国あたり50世帯までしか受けられない貴重なサービスだ。
このサービスのクライアントの多くは、プライベートバンカーからの紹介だ。
「プライベートバンカーは資産だけではなくライフスタイル全体についてもアドバイスをするわけですが、泥臭い仕事も引き受けられるようなコネやスペースがあるわけではありません。当社はその部分を補うサービスを始めたわけです」
アンダーソンはまた、最初の面談で倫理的な懸念を感じた場合には、たとえかなり裕福な顧客でも躊躇せずに断ったという。
「絶滅危惧種の動物についての話が出たり、エスコートサービスなどにつながる人身売買のリスクがあると判断した場合には、関わらないことにしています」
得意分野としていることのひとつが、すでに予約で埋まっているホテルに宿泊できるようにすることだ。有名ホテルにはたいてい、売りにしているスイートルームがある。例えばパリのホテル・プラザ・アテネのエッフェル・スイートはInstagramでも人気で、1泊最低1万4000ユーロ(約180万円)からだ。
最近、あるクライアントからそこに宿泊できないかと問い合わせがあったが、希望日はすべて埋まっていた。しかし、アンダーソンは諦めることなくホテルにかけあって、先に予約をしていた宿泊客と自分のクライアントとを引き合わせたのだ。
「お金はもう十分すぎるほど持っている人たちですから、例えばある有名人に会いたいとか、相手が何を求めているのかを知る必要があるのです」
このケースでは、他の5つ星ホテルの別のスイートを代わりに予約した上に、予約を譲ってもらった客にかなり高額の心付けを渡したという。それによりエッフェル・スイートの宿泊代とは別に、10万ドル(約1100万円)のコストがかかった。
アメリカン・エクスプレスのサムライ・チームに倣ったビジネスモデル
ナイツブリッジ・サークルを創業したのは、以前アメリカン・エキスプレスでコンシェルジュをしていたスチュアート・マクニール(Stuart McNeill)だ(現在マクニールは育休中のため、アンダーソンが代理で取材に対応してくれた)。
マクニールとアンダーソンが最初に一緒に仕事をしたのは、アンダーソンがロンドンの高級ホテルであるザ・ドーチェスターでスタッフをしていたときだ。当時マクニールはアメリカン・エキスプレスでサムライ・チームと呼ばれていた部署で働いており、ザ・ドーチェスターにクライアントの予約をよく入れていた。
サムライ・チームはアメックスの「ブラックカード」と呼ばれるセンチュリオン・カード会員のさらに上のエリート顧客を担当していた。年間で100万ドル(約1億1000万円)以上を使う層だ。
サムライ・コンシェルジュたちはパーソナル・マネジャーとみなされ、そういった顧客と対面で会って生活全体をサポートするために世界中を飛び回っていた。アメリカン・エキスプレスにとってはかなり経費がかかるしくみで、やがてコストの高さが問題になった。そのためにこのチームの役割は縮小していき、やがて高級なコールセンターのようなものになってしまったとアンダーソンは言う。
その後まもなく、マクニールはサムライ・チーム方式のコンシェルジュを自ら立ち上げるために退社した。今から10年前のことだ。アンダーソンは昔からの友人からの誘いをやっと受け入れ、3カ月前に入社した。
ナイツブリッジ・サークルは対面のオフィスをイギリスとスイスに構えており、今後、モナコ、ニューヨーク、ロサンゼルスにもオフィスをオープンする予定だ。各拠点で50世帯限定となる顧客は2名をサービス対象とすることができ、年間4万ドル(約440万円)を支払う。上場していないこともあり、具体的な数字は公表していないものの、アンダーソンいわく、年間売り上げは数億ドル(数百億円)とのこと。
収入源は他にホテルなどの予約施設からの手数料もあるが、水増しされたような額ではないとアンダーソンは言う。ナイツブリッジ・サークルは、最上階のスイートルームに対して、一見客への値段よりは高い額で交渉するものの、手数料自体は業界標準の10%にしているという。
パスポートのお届けから緊急の潜水艦手配まで
アンダーソンと19人の同僚は、どんなにささいで気まぐれな要望に対しても24時間年中無休で対応しているという。
2021年の夏、フランス南部に住むあるクライアントは、自分がチャーターしたヨットをマリーナで係留したところ、周りを囲むさらに豪華なヨットが羨ましくなってしまった。特にお隣の小さなガレージに留めてあったミニ潜水艇を見たこのクライアントは、アンダーソンに電話し、潜水艦に乗りたいと伝えてきた。
3日後、ヨットのチャーターが終了する直前に、要望通りのものを届けた。「砂と草ばかりの地中海で潜水しても見るものはあまりないのですが……ただそのパワーはお気に召していただけたようです」
イギリスとアメリカ国籍の両方を持つ別のクライアントは、モルジブ滞在中にアメリカ行きを決めたが、イギリスのパスポートしか持ってきていなかった。当時アメリカは規制により、アメリカのパスポートなしでは入国が難しい状況だった。
そこで、このクライアントの女性はナイツブリッジ・サークルに連絡し、ドバイ空港でアメリカ行きの便に乗り換える翌朝までに、アメリカのパスポートを届けてもらえないかと頼んだ。DHLやFedExといった宅配会社は時間内の配送を確約してくれなかったため、アンダーソンたちは代替案を実行することにした。
「ロンドンは午後2時だったのですが、翌朝3時半にパスポートをクライアントに渡す必要がありました。そこでインターンに一番早く出るドバイ便に乗ってもらうことにしました。彼がドバイに着いたのが夜の1時。ホテルにチェックインし、1時間だけ滞在し、シャワーを浴びてまた空港に戻り、クライアントにパスポートをお渡しすることができました。その日はインターンには残ってもらい、ルームサービスも会社が支払いました。そのお客様からは、かなりチップをはずんでいただいたようです」
また、ロックスターになることを夢見ていた投資家もいた。コロナ禍が始まりロックダウンで家から出られなくなった投資家は、若い頃の夢を追求することに決めた。ナイツブリッジ・サークルは高級なレコーディング機材をこの投資家の家に届け、プロのプロデューサーを手配してリモートでセッションを指導させた。移動規制が緩和されると、クライアントは、実際のスタジオに飛んでそのプロデューサーと対面で共同作業をした。コンシェルジュは、彼のアルバムのジャケットをつくるためにグラフィックデザイナーも手配した。
日常生活に対するコロナ禍の影響が薄まり始めた今でも、このビジネスではまだその影響が続くとアンダーソンは考えている。保育園の状況が目まぐるしく変わる今、ベビーシッターへの需要は大きく伸びているという。
「子どもが1人鼻をグスグスさせれば、保育園を閉鎖して全員が検査を受けねばならず、現場は本当に大変です。その上病気を家に持って帰ってくることもあるわけで、今は皆さん保育園をなるべく避けていらっしゃいます」
とはいえ、アンダーソンのチームでも時々叶えられないこともある。
「昨日いただいたご依頼は、新品のPlayStation 5を14時間以内にロンドンに届けてほしいというものだったのですが、どこにも在庫がなく、見つけられず完敗しました」
中古品であれば見つかったので届けられたのだが、新品が欲しいとのことで断られたそうだ。
(翻訳:田原真梨子、編集:大門小百合)