異例のヒットとなったAOKIの「パジャマスーツ」。実はこの床に寝転んだPOPの男性は、AOKI広報の飽田翔太さん本人。「モデルではなく、あえて社員を使う」のにも、パジャマスーツらしい理由がある。
撮影:Business Insider Japan
「年間1万着売れたら成功」とされるスーツカテゴリーにあって、発売から1年で5万着以上も販売している異例のヒット商品がある。スーツのAOKIが2020年11月に販売開始した「パジャマスーツ」だ。
パジャマスーツは、その名の通り、パジャマの快適さやリラックス感と、スーツのフォーマルさを併せ持ったセットアップのこと。在宅ワーク中心となったビジネスパーソンが、仕事のオンオフ兼用で使えるようにと開発され、狙い通り消費者に“刺さった”。
しかし、その企画の裏側は異例の連続だ。「わずか5カ月での商品化」「店内POPに社員を起用」「発売直後のネーミング変更」などなど……。
コロナ禍で生まれたヒット商品「パジャマスーツ」の企画を通して、スーツ業界の変化を探る。
危機感から生まれた、ニーズベースの商品
11月中旬に訪れた横浜市郊外の「AOKI横浜港北総本店」は、平日の午前中にもかかわらず、客の出入りが絶えなかった。男性客の一人が店員の説明を受けながら、姿見の前でジャケットを羽織っている。まさにパジャマスーツを試着しているところだった。
取材は横浜市都筑区にあるAOKI横浜港北総本店で実施した。
撮影:伏見学
「店舗内の目立つ場所をパジャマスーツならびに関連商品が占めています。ここまでの棚展開をするのは当社にとっても珍しいこと」とAOKIホールディングス広報室室長の飽田(あきた)翔太さんは語る。
顧客層は幅広く、未成年の若者もこの商品を買い求めて来店するほど。
「既存のスーツは20〜40代のビジネスパーソンが中心でしたが、パジャマスーツは10〜70代と、明らかに客層が変わりました」(飽田さん)
取材を進めるなかで、この人気商品は、コロナ禍を乗り越えようとする同社の危機感の産物そのものだ、という印象を持った。
外出自粛ムードが日本を覆った2020年3月ごろを境に、ほかのスーツ店と同様にAOKIの店舗からも客足が急速に遠のいた。出社せずに在宅で仕事をする人たちが増加し、スーツの需要が減少したことは、客足を見ればすぐにわかった。
そんな2020年の春、来店客から「マスクがほしい」という声が店舗に届くようになった。当時は未曾有(みぞう)のマスク不足。AOKIにマスク製造の経験はなかったが、「社会で求められているものを作ろう、人々の期待に応えよう」と、急きょ開発することになった。
5月上旬に「抗菌・洗えるマスク」を発売すると、販売初日にオンラインショップへのアクセスが殺到し、サーバーがダウンした。「こんなことは今までありませんでした」と飽田氏は驚きを持って振り返る。最終的にマスクは1200万枚という驚異的な売り上げを記録した。
「最初はパジャマスーツではなかった」
AOKIホールディングス広報室の飽田翔太室長。
撮影:伏見学
「ユーザーの声からニーズをくみ取り、急ピッチでマスクをつくった」という経験は、AOKIのなかに、ある種の成功体験をつくった。
在宅ワークが世の中に定着しつつあった2020年6月ごろ、「自宅で仕事をするとき、どういう格好をすればいいか分からない」といった消費者の声が、店舗の販売員数人から本社にフィードバックされるようになった。
オンライン会議のときだけジャケットを羽織るなど、その場しのぎをしている人は、この記事の読者にもきっと多いだろう。
在宅時に着る、カジュアルでもフォーマルでもない着心地の良い服……服装にまつわる煩わしさを解消できるものを求めて、お客はAOKIの店舗にやって来たわけだ。
ただし、それを体現する商品の具体的なイメージは、お客もAOKIも持ち合わせていなかった。
企画時の資料の1つ。素材選定にはテレワーク需要を満たすこうした視点が生かされている。
撮影:Business Insider Japan
最終的に選ばれた新商品の素材は、「ダンボールニット」「メランジジャージ」の2種類。共に一般的なスーツでは使用されない素材だ。ダンボールニットは、ストレッチ性の高さと、ハリが特徴。メランジジャージは、ソフト感があり、よりくつろげる仕様になっている。
パジャマスーツの売り場の様子。店舗では主役級の扱いになっている。
撮影:伏見学
開発時期は2020年前半だったため、製造する海外工場に出向けないなど苦労は尽きなかったが、ついに2020年11月、「ホーム&ワークウェア」というネーミングでなんとか完成にこぎ着けた。
「商品化」までの期間は、前出のとおりわずか約5カ月。飽田さんによると、通常、スーツの商品化は1年程度かかるものもあるという。商品化を急いだのは、先行きが見えないなかでは、1年後にはこの状況が変わっているかもしれない…という危機感からだ。それが、通常のおよそ2分の1という急ピッチでの商品化につながった。
わずか1カ月で商品名を変更、「パジャスー」の名前はお客から
パジャマスーツの着用イメージ。ジャージのようにリラックスした着用感だが、見た目はスッキリ。これが人気の秘密だ。
撮影:伏見学
ここで「あれ?」と思った人もいるかもしれない。パジャマスーツの最初の商品名は、「ホーム&ワークウェア」だった。
商品名に“異変”が起きたのは、発売から数日して開かれた商品企画ミーティングの場だったと、飽田さんは振り返る。
「店舗に来たお客様から『パジャマスーツは置いていますか』といった声が複数出てきている」という報告があったのだ。
ホーム&ワークウェアの商品コンセプトは「パジャマ以上、おしゃれ未満」。店頭のPOPなどで情報発信していたため、それを見た来店客が思わず「パジャマスーツ」と呼んだ —— ということだった。
お客にとってはパジャマスーツの方が覚えやすく、商品のイメージも沸きやすいのではないか?
AOKIにはすでに、冒頭のマスクの開発で「スピーディーに動くこと」「消費者の声を聞くこと」の成功体験があった。その経験から、経営会議で商品名の変更が即断された。発売の翌月、12月初旬には「パジャマスーツ」として再度プレスリリースを配信。売り場のPOPや販売員のセールストークも全て刷新した。
急場しのぎが転じて、完全に「パジャマスーツの顔」になってしまった飽田さん。商品タグにも例のポーズの写真が使われている。
撮影:Business Insider Japan
冒頭の「寝転んだモデルの写真」に飽田さんが出ることになったのも、この急ピッチの売り場POP変更に伴う、急場しのぎから生まれたことだった。
「パジャマスーツ」への異例のネーミング変更のインパクトは大きかった。
スーツ専業メーカーが打ち出した新コンセプトや名称などがユニークだとロイター通信などのメディアに取り上げられたり、SNSなどでも話題になり、その後4カ月程度で一気に3万着を売り上げた。
発売後丸1年を経た現在は、5万着以上の大ヒット商品になっている。
ヒットした3つの秘訣
パジャマスーツの新作の1つ。ニット素材でよく伸びる。
撮影:Business Insider Japan
パジャマスーツは確かに目を引く斬新なネーミングだが、それだけがヒットの理由ではない。飽田さんは3つの要因を挙げる。
1. 先行者利益。「どこよりも早く世の中が求めている商品を具現化」
「着心地の良いジャージ素材のジャケットなどを販売している会社は他にもあります。パジャマスーツが完全に世界初の商品ということはありません。ただ、皆さんが望んでいるものをいち早く開発し、分かりやすいコンセプトで売り出したことが、結果につながったのは間違いないでしょう」
と飽田さんは話す。
実際、手頃な価格のスーツに参入しているアパレルブランドは数多い。ユニクロやGUをはじめとするファストファッション系ブランドも、スーツや上下セットアップのジャケットは毎シーズン登場するほどの人気商品だ。
競合他社との差別化の点でも「スピードで先行する」戦略が有効だと飽田さんは言う。発売から1年が過ぎたAOKIはこの秋、パジャマスーツのラインアップを早々に拡充し、素材数は2種類から6種類に、ラインアップ数も10倍に拡大した。
2. 幅広い層に訴求できる商品として設計する
メンズスーツの印象が強いAOKIだが、レディース商品にも近年注力している。レディース用のパジャマスーツも当初から販売しており、こちらも売り上げは順調だという。現在は商品ラインナップを前年の約2.5倍に増やした。レディース商品全体でも、今後はアパレル部門の売上高に占める構成比率を現状の20%から30%へ拡大していきたいとする。
レディース向けのパジャマスーツ。素材はメンズ向け商品と同様のものだが、デザインはまったく違う。
撮影:伏見学
レディース向けの関連商品群。
撮影:Business Insider Japan
また、AOKIはパジャマスーツを開発する上で、「シーズンレス」「シーンレス」「エイジレス」「補正レス」というメッセージを掲げている。1年を通して、いつでも、どんな場面でも、誰でも。裾上げなどの補正をすることなく、気軽に着られる商品を目指した。
3. スーツ専門の会社としてのノウハウと技術力
最後は、スーツ専門の会社として、長年培ってきた知見やノウハウだ。
例えば、肩まわりなどに立体感を出すための縫製や、さまざまな動作にストレス(突っ張りなど)がない着用感などは、パジャマスーツといえども、既存のスーツ商品と変わらない品質や機能性を担保しているという。
飽田氏は、60年以上培ってきたスーツを作るための立体的なパターンづくりのノウハウと、縫製工場とのネットワークが、商品の着心地のよさに生かされている、と胸を張る。
長年のスーツ作りで培われたパターンのノウハウが応用され、着心地良く仕上がっているという。
撮影:伏見学
今後3〜5年で「売り上げ100億円」目指す
AOKIは、今後3〜5年のうちにパジャマスーツ関連で売り上げ100億円を目指している。
一方、足元の数字を見ると、2022年3月期のファッション事業の業績予想は、コロナ影響を受けた前年と同水準を想定する。つまり、2019年からの悪化は取り戻せていないということになる。会社全体としての通期業績は、2021年3月期(最終赤字119億円)から挽回し、13億円の最終利益を見込むが、コロナ前の2019年3月期の46億円には及ばない。
AOKIが矢野経済研究所「アパレル産業白書2021」を引用した資料によると、2020年のスーツ需要は30%減だったとされる。この穴をどう埋めるかは、スーツ業界としても急務の課題だ。
11月に公表した決算説明会資料より。ファッション事業の業績予想では2020年度と同水準になると見込む。
出典:AOKI Holdings2022年3月期第2四半期決算説明資料より。
特に気になるのは「客単価」の問題だ。
パジャマスーツの主要価格は上下セットで1万円程度。既存のオーダースーツやビジネススーツなどと比べて数万円安く、パジャマスーツだけを売っていれば、当然、客単価は下がってしまう。
AOKIがこの秋に拡大した、合わせ買いを狙った「パジャマスーツ関連商品」や、1着5000円程度の「アクティブスーツ」、パーカーとマスク、グローブが一体化した「着るマスク」などの新商品は、客単価アップを狙う意図がある。
オンラインの「EC売り上げ」は「2019年と2020年を比較すると2倍以上」(広報)に伸びたが、関連商品による売り上げ増を合わせて考えても、ビジネス回復の決定打の模索は続いている。
「パジャマスーツを出したことで、来店を促す効果も生まれています。今までならビジネス・フォーマルスーツという明確な目的がある人たちが大半でしたが、『パジャマスーツとやらをちょっと見に行ってみようか』と、気軽に立ち寄るお客さんも増えてきました。
これをフックに、他のスーツ商品の販売にもつなげていきたいです」(飽田さん)
上着にマスクやグローブの機能を持たせた「着るマスク」もコロナ禍だからこそ生まれた新商品だ。
撮影:伏見学
LIFE&WORK DESIGNブランドのシャツ類。パジャマスーツのインナーとして着ることを想定した関連商品の1つだ。
撮影:Business Insider Japan
(文・伏見学)