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自分のジェンダー観は、一般的なそれとかなりズレていたかもしれない。我が家は女性が多数派だったし、12年間通った女子校を卒業して進んだ大学の政治学科ではたしかに女性は少数派だったが、厳しいと有名だったゼミに自ら志願した学生の過半数は女性で、テストと面接の結果、合格になった24人中20人が女性だった(ゼミの卒業生名簿を見ると、我が学年はかなり特異だったと言える)。
女性は受付と私だけ、という最初に勤めた保守的な日本メディア企業の支局を除けば、大学院、勤めた先の3社のうち2社も、半々に近いジェンダーバランスを自然に達成していた。独立してからも、自分が関わってきた比較的進歩的といえる出版、制作、文化の現場では、ときおり「男性の中に自分だけが女性」ということもあったけれど、決定権を持つパワフルな女性も溢れていたし、自分自身もニッチな仕事をしていたので、女性であることでとりたてて損をしているような気もしなかった。
一方で自分自身も、男社会の価値観に与して生きてきた。男性たちに負けたくない、そのためには「男性のように」仕事をすればよいのだと本気で考えていたふしもある。
それでも自分の名前や外見はあくまでも女性のそれで、どれだけ働いても、私の存在を本気に取らない男性はいたし、行った現場で「女性か」と言われることもあった。お酌をしない私は「外人」と表現されたり、ニューヨークに暮らしていることを「ご主人のお仕事の都合で?」と言われたこともあった。
働かない選択をし、男性に経済的に依存する女性を密かに蔑んでいたこともある一方で、生まれたときに始まるジェンダー役割やハンデには無頓着だった。
かつて住んでいたマンハッタンのマンションの地上階にあったデイケア(託児所)には、早朝に子どもを連れてきて、夜迎えにやってくる親の圧倒的大半がスーツ姿の女性だった。その様子を目の当たりにし、自分には絶対にできないと考えたことも、子どもを持たない道を選ぶ理由のひとつになったが、そこにある構造上の大問題があることにまでは考えが及ばなかった。
ハッとしたアン・ハサウェイの言葉
管理職、経営層とポジションが上がるほど、女性の参加者は自分だけという会議も少なくない。
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不均衡や構造上の問題への気づきは、何段階にもわたってやってきた。
2014年に初めての著作『ヒップな生活革命』を刊行し、企業や団体に呼ばれて話をするようになってから、世のジェンダー不均衡が目につくようになった。消費者マインドのシフトについて話してほしいと呼ばれた先で、目の前にいる人々がスーツ姿の男性ばかりだったり、カンファレンスやイベントで自分だけが女性だったりということもよくあった。
俳優のアン・ハサウェイにインタビューした際は、彼女の「男性が1ドル稼ぐ間に、女性が86セントしかもらえないとしたら、女性は14セント分、ただで働いていることになる」という言葉にハッとした。
それでもおかしいと思ったところで、自分に決定権があるとは思わなかったし、特に積極的に動くこともなかった。考えが変わったひとつの大きなきっかけは、2019年のあいちトリエンナーレで芸術監督を務めた津田大介さんが、参加アーティストのジェンダーバランスを半々にすることを発表した時だった。
いわゆるジェンダーの「アファーマティブ・アクション」(社会的弱者を救済し、その地位を向上させるために、積極的に登用すること)に対し、私は一度は反射的に「自分は実力で仕事をしてきたのに、女性の数合わせに使われるのはかなわない」と、その考えを拒絶しそうになった。だが、医学部の入試で女性というだけで不当に減点されたというニュースに、女性が背負っているハンデと男性が履いている「下駄」の存在を認識した。
さらにアメリカのオーケストラ界が、1970年代から実施してきた演奏者の姿を隠して行われる「ブラインド・オーディション」が、ジェンダー不均衡解消に役立ってきたことなどを学び、女性の積極的な登用が必要だと思うようになった。
以来、複数の人が登壇するカンファレンスに呼ばれると、出席者の顔ぶれを確認している。仕事で呼ばれた会議の出席者が男性ばかりの時は、ジェンダーバランスの話題を出す。
「女性のため」企画でも主導権は男性
リモートワークが定着し始めたとはいえ、育児と仕事を両立する女性のハンデは消えない。
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チームを組んで臨む制作の仕事の場合は、空いたポジションにはまず女性を探す。こうした意識的な努力をするようになって、ますます不均衡が気になるようになった。
クリエイターを起用する立場にある時には、まずは女性から探してみるのだが、「女性のための」企画でも、クリエイティブ・ディレクター以下、男性が主導権を握ることが多い。一方で、女性クリエイターに回る仕事は「女性らしい」ものに偏ってきたことに気がついた。
その都度、長いこと男性中心社会で仕事をしてきた自分のデータベースの乏しさを実感するため、最近はメディアを見るときに、以前以上にクレジットに気を配るようになった。
家事、育児、介護などの負担を女性が圧倒的に負っている現実の中で、過重労働が横行しているようなメディアや制作の現場では、女性は必然的にハンデを負わされている。だから特にコロナ禍では、オンライン会議の時間設定を、家事や育児をしている女性が参加しやすい時間に設定するようになった。それでもまだまだ足りない、と焦燥感を抱えている。
もちろん、多様性を確保するためには、ただ女性の頭数を増やすだけでは到底まかなえない。そのために考えるべきは、「インクルーシブ(あらゆる人を受け入れる)」な社会の実践だ。
なぜ「障害」と書くようになったのか
それぞれ、関心のある問題は異なる。しかしそれを共有し合えば、取り残される人々が減るはずだ。
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近年、多様性を実現するための「インクルーシビティ」が叫ばれてきたアメリカでは、トランプ大統領の登場とともに、2010年代後半から2020年代にかけてフェミニズムが再び注目されるようになったが、その議論の中で、過去のフェミニズムへの反省が出たそれは「交差性の欠如」というものだ。
例えば20世紀初頭の婦人参政権運動の中には、黒人女性の権利は含まれなかったし、それ以降も、人種的マイノリティやトランスジェンダーの女性は置き去りにされてきた。それに対する反省として、交差性(インターセクショナリティ)や他の弱者属性との連帯の必要性が叫ばれるようになった。
フェミニズムを学問の一分野と認識していた頃には、私自身どこかアジア人の自分は入っていけないような思い込みがあったので、こうした議論は心強いものだったし、ジェンダーバランスだけに視界を狭めてはいけないと自戒した。
以前にも書いたように、2020年にnoteの連載をやめたのと同時に、読者とつながる方法を維持するために始めたニュースレターが市民アクションを促すコレクティブになった。コレクティブという言葉は、日本語では「共同体」と訳されることが多いが、組織ではなく、自由な参加意志に基づく緩やかなネットワークという意を込めてこの言葉を使っている。これが日本で生活し、働く人々の声に触れる機会となった。自分とは距離のあったさまざまな問題について学ぶ機会を得るうちに、共有知のパワーに目覚め、Sakumag Studyと題した勉強会を開催するようになった。
参加者は都市で働く女性が中心だが、男性や都市部以外の住民もいて、貧困、「障害」、ジェンダーやLGBTの問題、気候変動、沖縄の基地問題など、それぞれの経験や立ち位置によって大切な問題は違う。
ひとつの問題を理解するためには一度の勉強会では決して十分ではないが、誰かにとって大切な問題に触れることが、インターセクショナリティを実践するための第一歩だと感じている。他者にとって切実な問題を自分ごとと捉えることができるし、これまで自分の視点に入ってこなかった問題に触れることもできる。
例えば「害」という漢字が敬遠されて、「障がい」と表記されてきた言葉が、聴覚補助のソフトに読まれないことを知ったり、色を選ぶ際に弱視の人の存在を考えるようになった。
間違っていたら認めることから始まる
前回の衆院選では、さまざまな声なき声にマイクを渡すことができるよう努めた。
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衆議院選挙の際には、こうした活動を通じて知り合った人たちと各党に質問状を送る「みんなの未来を選ぶチェックリスト」プロジェクトを立ち上げた。文化芸術を守る「Save Our Space」や「Save The Cinema」、入管(出入国在留管理庁)における人権侵害に取り組む「FreeUshiku」、最低賃金上昇を求める「エキタス」など、さまざまな問題に取り組む人々が参加したことで最初は7個だった質問が67個になり、結果的に「インクルーシビティ」の実践になった。
「FreeUshiku」メンバーのおかげで、当然のように使ってきた「国民」という言葉の排他性に気がついたし、普段から障害者支援を行うSakumagのメンバーの「視覚的に記号を認識しづらい人もいる」との指摘によって、サイト上の「◯」「✕」にもふりがなを振るようになった。
「みんなの未来」プロジェクトもまた、投票を促すイベントを開催した際には、いつもマイクを渡される声の大きい人だけでなく、低賃金労働をしている人、外国人の伴侶が入管に収容される恐怖とともに生きている人、看護の現場に働いている人、さまざまな属性の人にマイクを渡すことを心がけた。政党への質問状という体(てい)を取っているが、「みんなの未来を選ぶチェックリスト」は、排除されたり、踏みつけられる人がいない未来を作るためのロードマップになったと思っている。
こうした活動を始めて、いかにこれまでの社会が「大多数」のために設計されてきたかを実感している。私自身、そうした社会に自分を合わせようと生きてきたが、ジェンダー不平等、貧困、気候変動の問題まで、根っこにはやはり社会の中で決定権を持つ大企業のシスジェンダー男性(自分自身が男性と認識し、生まれ持った性別も男性である)に権力が偏っている現実がある。苦しんでいるのは、そこに当てはまらない人たちなのだ。
どれだけ努力したところで、課題は多い。「特権」によって、自分の目に入らないことは、自分が想像以上にあるし、当たり前ながら「知っていること」より「知らないこと」のほうが圧倒的に多い。
自分が知らない、当事者でない数々の課題や問題について、普段から攻撃の矢面に立つ当事者に説明責任を追わせることによるリスクも痛感するし、同時に当事者不在で話を進めてはならないとも思う。こうしたアップデートの作業は日々の葛藤だ。自分の過去の間違いに気がついて恥ずかしくなることもあるが、「間違っていた」と認めることで逆にすっきりするし、知らないことを知ること、自分が「知っている」と思っていたはずのことを刷新する作業はむしろ楽しい。
(文・佐久間裕美子、連載ロゴデザイン・星野美緒)
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。