12月3日はDiDiショックでアリババなど中国IT企業の株価も大幅下落した。
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アメリカで上場した直後に中国当局から審査と処分を受けることになった配車アプリのDiDi Chuxing(滴滴出行)が12月3日、上場廃止方針を発表した。
6月末の上場から5カ月での方針転換は、事業を継続するための苦渋の決断だろう。中国では産業界に対する規制強化が1年間続いているが、今回のDiDiの上場廃止はどんな意味を持つのか。背景と影響を3つのポイントにまとめた。
DiDiとは?:トップはレノボ創業者の娘、市場シェア9割
中国経済に関心がある人ならDiDiが配車アプリ企業だと知っているだろうが、それが生活に欠かせないアプリであることは、中国に住んでみないと分かりづらい。
DiDiが登場する前、中国でタクシーを捕まえるのはちょっとした労力だった。運転手の行きたくない場所だと乗車拒否は当たり前、相場を知らないとぼったくられ、メーター通りに走ってくれたらほっとするくらいだった。
DiDiは位置情報を利用して近くにいる車をマッチングし、予約時に料金も確定する。中国のタクシー乗車料金は(メーター通りなら)日本ほどは高くないから、透明性を担保するDiDiはあっという間に全国に普及した。
また、配車アプリは競争が激しいECやフードデリバリーなどと違い、DiDiの寡占市場であることも大きな特徴だ。同業界はテンセント系の「滴滴打車(ディーディーダーチャ)」とアリババ系の「快的打車(クァイディダーチャ)」が2015年に合併し、2016年にはウーバーの中国事業も買収したことで、シェアの9割を確保した。
ただし、敵がいなくなったDiDiはユーザーの声や安全への投資を軽視するようになり、2018年にはドライバーが乗客の女性に暴行して殺害する事件が2件発生した。DiDiは体制の見直しを余儀なくされ、上場が当初計画から遅れたので、たらればにはなるが、この事件がなければ、中国当局が自国企業の海外上場に寛容なうちに上場を済ませられたかもしれない。
現在のDiDiは配車アプリだけでなくシェア自転車、貨物配送も手掛け、「移動」に関わるサービスを網羅している。2020年には新興自動車メーカーBYDとともに配車サービス専用コネクテッドカー「D1」を発表し、2025年までに同車両を100万台生産する計画を表明した。
DiDiの共同創業者兼総裁の柳青氏が、レノボ創業者柳伝志氏の娘であることも広く知られている。
なぜ上場廃止?:米中両政府が中国企業の米上場規制強化
DiDiは6月30日(米東部時間)にニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場した。2021年最大級のIPO案件として大きな期待を集め、時価総額は一時800億ドル(約9兆円)を超えた。
その直後の7月2日(中国時間)、中国でIT行政を所轄する国家インターネット情報弁公室はDiDiについて「国家安全法」および「サイバーセキュリティ法」に基づき審査を始めたと発表し、審査中のDiDiアプリの新規登録停止を命じた。
同4日にDiDiの法令違反が確認されたとして、アプリのダウンロードを停止。さらに9日にはアプリストアにDiDiが運営する25アプリの削除を命令した。
違反の内容は明らかになっていないが、審査は続いている。独禁法で巨額の罰金を科されたアリババに対する審査期間は4~5カ月だったことを考えると、DiDiも年内に審査結果と処分が出る可能性が高い。今回、NYSEでの上場廃止と香港での上場準備を発表したのも、「年内決着」の伏線だと見ることもできる。
ではなぜ、当局は罰金だけでなく「上場廃止」にまで踏み込むのか。背景には米中摩擦により、両国が中国企業の米上場について規制強化していることがある。
中国当局は国家安全保障上の懸念を理由に、アメリカで上場する中国企業が米当局の監査を受けることを長年拒否してきた。これに対し、トランプ前米大統領が退任する直前の2020年12月、アメリカで上場する外国企業が当局の検査を3年連続で拒んだ際には上場廃止とする「外国企業説明責任法」が成立した。
同法施行に向けて米証券取引委員会(SEC)は今月2日、アメリカに上場する外国企業向けの新規則をまとめた。米当局による監査状況の検査を受け入れない場合、早ければ2024年にも上場廃止になる可能性がある。
中国政府も対抗するように、中国企業の海外上場について2020年から監視を強化していた。
DiDiは2020年10月、国内の月間アクティブユーザー(MAU)が4億人を突破し、同年9月にはグローバルで1日6000万回配車を手配したと公表した。海外メディアによると中国当局はアプリと車両から膨大な利用データを収集しているDiDiに対し、データ管理に関する調査を実施している間は上場を待つよう求めていた。
にもかかわらずDiDiが米上場を決行したことで、当局の態度が硬化し、今の状況を招いたというのが市場の見方だ。
市場への影響は?:IT業界、香港市場、ソフトバンクG巻き込む
ソフトバンクとDiDiが日本でジョイントベンチャーの設立を発表した際にはDiDiの柳青総裁も登壇した。2018年撮影。
Reuter
DiDiは上場廃止を表明し、当局の審査結果を受け入れることで、アプリストアから削除されたアプリの復活や、配車アプリ「DiDi」の新規ダウンロード再開を許され、運営は正常化に向かうだろう。市場の混乱を抑えるために香港証券取引所への上場を急ぎ、その後NYSEでの上場廃止を進めると見られる。
とはいえ、一連の騒動はDiDi一社の問題にとどまらない。中国政府は2020年11月にアリババの子会社アント・グループの上場直前で待ったをかけ、それがIT企業の規制強化の号砲となった。中国当局は否定するが、中国企業のアメリカでの上場が大きく制限されるとの観測が強まり、市場は動揺している。
アリババの時価総額は1年前の半分に縮小し、DiDiが上場廃止を表明した12月3日の香港市場では、アリババと動画サイトの「bilibili」の株価が上場来安値を更新した。市場の混乱を承知で強権を振るう中国当局が、アメリカ、香港企業に上場する中国企業にとって最大の「不確実要素」となっている。
さらにDiDi、アリババの大株主であるソフトバンクグループの株価も落ち込んでいる。
英フィナンシャル・タイムズ(FT)は7月25日に「ソフトバンクグループがDiDiへの出資で40億ドル(約4500億円)の含み損を抱えている」と報じたが、DiDiの株価は報道時の8ドルからさらに2割以上下げた。
中国当局はDiDiへの調査開始と同時期に、満幇(manbang)集団(フル・トラック・アライアンス)が運営するトラック配車アプリと人材マッチングアプリの「BOSS直聘」についても、対DiDiと同じ名目で審査着手を発表している。
「物流業界のDiDi」と呼ばれる満幇集団も上場廃止のリスクが高まり、12月3日に株価が9%近く下落した。ソフトバンク・ビジョン・ファンドは6月にNYSEに上場した同社の株式の22.2%(上場申請時点)を保有している。
中国科学技術部が2018年3月に発表した「2017年中国ユニコーン企業発展報告」で、アント・フィナンシャル(現アント・グループ)とDiDiは評価額でトップ2だった。
中国人の生活スタイルにイノベーションをもたらした功労者とも言える2社の環境がここまで変わると想像できた者は、当事者も含めて誰もいなかっただろう。DiDiの上場廃止についても、国内メディアは詳細な分析を避けている。その沈黙が、当局の圧力の大きさを想像させる。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。