スイス・ローザンヌの国際オリンピック委員会(IOC)前で北京五輪開催に抗議するチベット青年組織のメンバー。
REUTERS/Denis Balibouse
2022年2月開催予定の北京五輪に対して、各国のリアクションが騒がしくなっている。
新疆ウイグル自治区での人権問題、香港の民主主義に対する抑圧問題、中国人ジャーナリストに対する言論弾圧、著名テニス選手の失そう……数々の懸念事項が指摘されるなか、北京五輪から距離をとる先進国が相次いでいる。
アメリカ、オーストラリアに続いて、イギリスとカナダも外交的ボイコットを表明。中国が「間違いなくその代償を払うことになる」と警告する、穏やかならぬ構図が顕在化しつつある。
まだ方針を決定していない日本については、中国が「(2021年の東京五輪開催を支持したのだから)今度は日本が信義を示す番だ」と脅迫まがいのけん制をみせている。漏れ伝わる政府高官の発言を踏まえる限り、周囲に流されず独自に参加を判断、というのは相当難しそうだ。
一方、フランスやイタリアはこの流れに乗らない意向を示している。特にイタリアは主要7カ国(G7)で唯一、中国提唱の広域経済圏「一帯一路」構想への参画を表明している経緯もあり、中国を困らせるような挙動は避けるだろう。
こうした状況のもと、その動きに注目が集まっているのが、G7で最も中国と政治・経済的な距離が近いドイツだ。
12月8日に就任したばかりのショルツ新首相は、「媚中外交」とも揶揄(やゆ)されたメルケル路線からの転換をうたっている。
その象徴とも言えるのが、新政権で外相に就任した環境政党「緑の党」ベアボッグ党首。自他ともに認める反中・反ロ路線の政治家で、すでに「北京五輪のボイコットも選択肢から除外しない」と語ったことが報じられている。
(政府関係者を開会式などに派遣しない)外交的ボイコットにとどまらず、選手団含めて北京五輪に一切の人員を派遣しない、正真正銘のボイコットに動く可能性まで取り沙汰されている。
中国とドイツの経済関係の深さを踏まえ、現実的にボイコットは難しいとの見方も多いが、いずれにしても北京五輪との向き合い方、その判断はショルツ新政権に差し出された「踏み絵」と言えるだろう。
中国とドイツの「切っても切れない関係」
ドイツ新政権で外相に就任した、連立第二党・緑の党のベアボッグ党首。反中・半ロの政治スタンスを隠さない。
Kay Nietfeld/Pool via REUTERS
現実的にボイコットは難しいとの見方がありながら、ドイツにはときに理想論に傾斜して非現実的な動きに出る危うさがあることも指摘されている。
昨今の気候変動問題をめぐるドイツの動きはまさにその典型。企業部門の活動を圧迫してでも、温暖化抑制を追求する政策が続きそうだ。ショルツ政権はその点について、メルケル政権の「不十分な対応を是正する」という立場を明示している。
ショルツ首相が党首を務める社会民主党(SPD)、ベアボッグ外相が共同代表を務める緑の党に加え、連立政権には経済界寄りで健全財政を主張する自由民主党(FDP)が参画しており、一種のブレーキ役を果たすとみられるが、気候変動対策については、別途基金を創設して「別腹」の支出拡大に踏み切る模様だ。
今後、この気候変動対策と同じような熱量が、反中路線に注がれる可能性は否めない。実際、メルケル首相の引退をきっかけに「もう中国に遠慮をしなくて済む」という言説、勢力が目立ってきている。
EUではすでに台湾との関係を強化する動きが活発化しており、10月21日には欧州議会が(EUに)台湾との政治的な関係を強化するよう求める決議を採択したばかり。明らかに中国への対抗意識のあらわれであり、メルケル全盛期には難しかった政治的動きだ。
とは言え、現実問題として、メルケル政権の16年間でドイツと中国の経済関係は深まり、容易に足抜けできない構造になっている。それを切れば相当の「返り血」を浴びることは覚悟せねばならない。
中国とドイツの紐帯は「自動車」
「親中関係はメルケル政権最大のレガシー(遺産)」との指摘もあるが、それも数字をみれば納得がいく。
メルケル前首相在任中の変化にしぼってみるとわかりやすい。ドイツの貿易額に占める中国のシェアは、2005年の4.4%から2020年の11.4%へと3倍近く拡大している【図表1】。
【図表1】ドイツ貿易に占める各国シェア。中国の急増は一目瞭然だ。
出所:Datastream資料より筆者作成
他国に目をやれば、EUを離脱したイギリスとの貿易は2005年の7.0%から2020年の3.4%へと半減。フランスも9.4%から5.5%へとやはり半減に近い。欧州との貿易量の落ち込みを補完するように中国が浮上しているようにもみえる。
ドイツにとって最大の貿易相手国と言えば、2014年まではフランスだったが、もはや中国との位置を再逆転するのは難しいだろう。
ドイツの中国の経済関係深化についてよく引き合いに出されるのは自動車分野で、ドイツ三大自動車メーカー(メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン、BMW)の世界販売台数の3台に1台は中国向けに販売されている【図表2】。
【図表2】ドイツ三大自動車メーカーの2020年世界販売台数(単位は万台)。メルセデス・ベンツについては、乗用車が対象。
出所:各社資料より筆者作成
ちなみに、ドイツは世界最大の経常黒字国ないし貿易黒字国として知られるが、中国に対しては大きな貿易赤字を背負っている。中国がドイツにとって重要な(販売先の)市場であるだけでなく、逆もまた然り。お互いにきわめて重要な貿易パートナー同士なのだ。
対中「人権外交」のリスク
ただ、人権重視を標榜(ひょうぼう)しながら中国と親密につき合うメルケル路線には、これまでも実利のみならず批判がついて回った。
いまの国際社会の状況を考えると、ドイツには改心してあるべき西側諸国の所作に落ち着くことが求められているのかもしれない。
メルケル前首相も政権初期には人権という価値観をめぐって中国と対立したことがあった。有名な「ダライ・ラマ事件」だ。
2007年9月、当時のメルケル首相は(中国の自治区である)チベットの精神的指導者ダライ・ラマ法王をベルリンの首相官邸に招き入れ、会談を持った。
中国の反発は当然予想されたし、ドイツ産業界や(メルケル政権の)連立パートナーで親中路線を貫く社会民主党(SPD)からも、中国との交易に支障をきたすとして猛反対を受けたが、それをふり切って会談は強行された。
メルケル首相の人道的イメージに合致する判断ではあったが、その後、結果として中国から政治・経済上のさまざまな妨害を受けることになる。
ジャーナリスト・佐藤伸行氏の著書『世界最強の女帝 メルケルの謎』によれば、中国はドイツ閣僚の訪中を拒否するなど外交行事をあからさまにキャンセルしたり、在中国駐在員の取り扱いをめぐって嫌がらせをしたりしたという。
両国の関係は紆余曲折を経て何とか修復に至るものの、メルケル首相はそれからダライ・ラマ法王に二度と会っていない。中国の機嫌を損ねるような挙動を極力避けるように徹したとも言われる。
メルケル路線との違いをアピールするために中国との距離を際立たせるのは、シュルツ新政権にとって最もわかりやすい手法と言える。アメリカをはじめとする国際社会の追い風も踏まえれば、新政権がその路線を選ぶことに違和感はない。
8月にはアジア太平洋地域に向けて戦艦「バイエルン」を出航させ、11月には東京に寄港するという安全保障上の際立った方針転換を隠さないくらいだから、外交政策の連続性としては北京五輪ボイコットも十分考えられる。
ちなみに、ドイツは上記の戦艦派遣に際して上海への寄港も提案したが、中国側から拒絶されている。中国から「中途半端なつき合いは許容しない」というメッセージがすでに出されたものと理解すべきだろう。
そうした経緯を踏まえると、ショルツ新政権がとれる選択肢はもはや「反中路線に注力」しかないのかもしれない。
この判断は、ドイツ経済の浮沈に直結する話であり、EU経済の浮沈に直結する話でもある。もちろん、欧州中央銀行(ECB)の金融政策運営にも影響するだろう。ドイツ首相が決める中国への態度とは、それほどまでに大きな話だ。
相次ぐ先進国による北京五輪の外交的ボイコットは、中国のメンツをつぶすのに十分な決断だ。最も関係の深いドイツが同じ判断を下せば、甚大な影響があることは間違いない。ドイツ産業界が食らうダメージは相当なものが予想される。
ショルツ新政権にメルケル時代と訣別して新たな道を歩む覚悟が本当にあるのか、いま試されようとしている。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。