今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
イーロン・マスクの「寄付金の利用計画を説明できればテスラ株を売却する」という国連に対するツイートが話題になりました。このように、億万長者が社会問題の解決のために自分の資産を差し出すという動きは今後起こるのでしょうか。入山先生が「起業家」と「エンジェル投資家」の関係性を例に出しながら解説します。
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1人の大富豪は4200万人を救えるか
こんにちは、入山章栄です。
今回はBusiness Insider Japan編集部の常盤亜由子さんが気になったニュースについて、一緒に考えてみましょう。
BIJ編集部・常盤
先日、国連の食料支援部門である世界食糧計画(WFP)の事務局長が世界一の大富豪であるイーロン・マスクに向けて、Twitterでこんな呼びかけをしました。
「世界で4200万人が飢餓の危機に晒されている。もし60億ドルを寄付してくれれば彼らが救われる。だから寄付をお願いします」と。
するとそれに対してイーロン・マスクが、「60億ドルという金額の根拠を示してくれれば、テスラ株を売って払う用意はある」と言ったそうです。入山先生はこのニュースをどのようにご覧になりましたか?
これは面白いなと思いました。現在のイーロン・マスクの推定純資産額は34兆円です。それに対して寄付を求められているのは60億ドルだから、6000億円くらいですね。これは彼の全資産の約2%にすぎない。
ただしマスクの資産が日に日に増えているのは、現在のアメリカ市場の異常な暴騰によるところが大きい。株価というのは、いわゆる期待値で値動きするものですから、実体があるようでないとも言えますよね。
特にいまのアメリカのマーケットは、株価が上がりすぎている可能性が高いと言えるでしょう。コロナの前から、アメリカの連邦準備銀行は市場にマネーをじゃんじゃん供給していました。しかも今は金利が低い。金利が低いビジネスに投資しても儲からないので、多くの投資家が株にお金を投資している状態です。
こういう流れがコロナ前からあったところへ、コロナになったおかげで政府がさらにマネーの供給を増やしたので、「過剰流動性」が異常に高まっている。それが一気にアメリカの株式市場に流れ込んでいるので、テスラの上場しているナスダックの株も上がっている。
ナスダックの中でも一番将来性がありそうだと思われているのがテスラだから、マスクの資産が34兆ドルにまでになったわけです。
ただしポイントは、「可能性があると思われている」だけということ。株価は全て、将来への期待の反映ですからね。
過剰流動性が高いから、イーロン・マスクがちょっと口を開いて何か言うだけで相場が大きく変わる。アメリカはテーパリング(量的緩和縮小)をして金融引き締め策をとり始めたので、株価が落ち着いていく可能性は高い。
だからこそ株価の高い今、株を売ればキャッシュが手に入る。そのキャッシュを世界食糧計画(WFP)に寄付してもいいということでしょう。この高値のタイミングで株を売って、キャッシュに交換するためのいい機会とも言えます。ただし、アメリカの証券取引所であるSECが何と言うかですよね。
BIJ編集部・常盤
マスクのような大富豪が、社会問題の解決のために個人資産を差し出すという方法については、どう思われますか?
個人が一生懸命、少額の寄附をしてもなかなか解決しない規模の問題であれば、億万長者に一肌脱いでもらうのもソリューションとしては有効なのかと。
そうですね。日本は所得税があるのでまだ再分配ができていますが、世界的に見ると貧富の格差は開いている。そうすると一部の起業家が高騰した株を売って現金化して社会問題に貢献するというのは、ちょっといびつかもしれませんが、あり得るのかなと思います。
実際、ビル・ゲイツと元妻のビル&メリンダ・ゲイツ財団のように、アメリカでは成功した起業家がフィランソロピー(社会貢献活動)をする習慣があります。いつもこの連載で言っているように、起業家は遠い未来のことを考えるものですから、社会問題を解決したいという思いもあるでしょう。
国内の再分配は国の方針しだい
BIJ編集部・常盤
世界規模での再分配もありかもしれませんが、先生は現在すでに進んでしまっている格差はどうすれば是正できると思われますか。
うーん、難しい問題ですね。格差というと、国と国の間の格差と、国内の格差がありますが、常盤さんのイメージはどちらですか?
BIJ編集部・常盤
国と国でしょうか。
国と国の間の格差を狭めるのは、ますます難しいでしょうね。国内はある程度、国の政策でなんとかなる部分があります。例えば北欧諸国は比較的格差が少ない。それは分配を重視する政策をとっているからです。
僕は3年前にデンマークを訪れたことがありますが、分配政策が非常にうまくいっていて、総じて豊かな印象でした。でもその代わり現地のデンマークの人が言っていて興味深かったのが、「われわれはアメリカのようにはなれないから、グーグルのような企業は絶対に出てこない」ということです。
デンマークは「誰かが困っていたら、みんなが自分の給料を抑えても困っている人の雇用を守る」という発想の国なんですよ。それをみんなが受け入れていて、国としての方向性がはっきりしているので、それができる。
アメリカはそれと正反対の弱肉強食なので、ごく一握りの天才が3億人の国民を引っ張っていくという社会。国としては成長するけれど、分配ができないので貧富の差が極端に激しい。でもこれはどちらがいいか悪いかではなく、国としてどういう方針で、それを国民が支持するかどうかです。
日本はちょうど過渡期にありますね。まさに先日、岸田首相が「成長より先に分配」と言ったでしょう。あれはある意味、デンマーク的な方針です。
でも、もし本当にそれをやれば競争へのインセンティブは削がれますから、グーグルのようなイノベーションが日本から生まれることは期待できにくくなるかもしれない。一方で、日本でも「分配なんて、そんなの生ぬるくない?」という人たちは、分配より競争による成長を求めるでしょう。
プレゼン力があれば「瓢箪から駒」もある
BIJ編集部・常盤
イーロン・マスクが「60億ドルの使い道を示してくれ」と言っているということは、「透明性」がキーワードなのかなと思いました。お金が公正かつ有意義に使われると証明できれば、大富豪たちを説得できるかもしれませんね。
そうですね。僕もその通りだと思います。大富豪に寄付を求めるというのは、エンジェル投資のようなものかもしれません。
つまり日本で言えば東証一部やマザーズに上場して、何十億という資産を得た経営者がいるとします。この人に対してベンチャー企業や起業家が、「エンジェル投資家になってください」とお願いするのと似ています。
イーロン・マスクの場合、相手はWFPという国際機関ですが、「ベンチャーのようにちゃんとピッチしろよ」と求めているともとれますよね。相手がベンチャーであれば実力は未知数だけれども、国際機関なのだから、それなりの実行力もあるでしょうしね。
ただし国際機関というのはもうできあがった組織なので、率直に言って官僚主義だし、場合によっては腐敗もあるかもしれない。5000億円寄付しても、本当に5000億円全額がその社会問題のために使われるとは限らない。
途中で抜かれて、実際に使われる金額は5分の1ということもなきにしもあらず。そういうことも含めて「ちゃんと実効性と透明性のあるプランを立てて、俺にピッチしろ」ということだと思います。それで納得できたらお金を出す、ということではないでしょうか。
しかし、今回のマスクとWFSのやりとりもSNS上で行われたわけですし、大物相手でもいろいろなお願いができる時代になりましたね。臆せずに申し出てみれば、瓢箪から駒ということもあるかもしれませんよ。
BIJ編集部・常盤
プレゼン力次第ということですね。これからはプレゼンテーション力がものをいう時代になりそうです。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。