撮影:千倉志野
松田崇弥(30)を筆者が知ったのは2014年、崇弥が大学4年の新年だった。脚本家、放送作家の小山薫堂を取材していて、東北芸術工科大学企画構想学科長としての横顔を知るために山形の大学キャンパスを訪れ、卒業制作展を見学した際のことだ。
小山は脚本を執筆した映画「おくりびと」が2009年に米国アカデミー賞外国語映画部門賞を受賞。生みの親である熊本県のキャラクター「くまモン」が話題をさらっていた。
崇弥の学年は小山を招聘して新設された企画構想学科の二期生だ。小山は企画とは何か、アイデアを形にするとはどういうことなのかを実践的に指導した。小山のもとで学んだ学生たちの作品は多彩で見応えのあるものが多かった。
「学科長賞」受賞した卒業制作
美大4年生の頃の崇弥。ポスターは卒業制作である「常識展」のものだ。
提供:ヘラルボニー
崇弥の卒業制作「常識展」は6分間のショートムービーだった。映像に映り込んでいたのは、笑ったり怒ったり悲しんだりという日々の暮らしで家族と心を通わせ合う翔太と、翔太の横にいる家族の笑顔だった。
自閉症スペクトラムの翔太と家族の暮らしは、翔太に少し特徴があるという以外はなんら変わらない、どこの家族にもある穏やかな景色だ。透明感のある映像は、まるで生きていく翔太を主人公にしたロードムービーのようだ。翔太と家族の笑顔に胸が熱くなる頃、翔太と文登が温泉で露天風呂に浸かるシーンでエンディングを迎える。
映像の透明な明るさとは裏腹に社会に対する静かだが強いメッセージは、深い印象を残した。
「常識展」は最優秀作品に与えられる学科長賞を受賞し、崇弥は卒業すると小山の経営する企画会社、オレンジ・アンド・パートナーズで働くことになる。オレンジ・アンド・パートナーズはクライアント企業からの依頼を受けて企画立案から運営までを行うが、それにとどまらず、料亭経営から百貨店、大手セレクトショップなどとの共同企画などまで事業の幅は広い。
「サプライズ・アンド・ハピネス」を社是とし、サプライズで人を喜ばせることには決して手を抜いてはならないことになっている。オレンジ・アンド・パートナーズで見かける崇弥は、厳しい先輩たちのもと、いかにも奮闘しているようだったが、いつもにこやかで楽しそうで、でもその崇弥は「いつかは福祉の仕事をしたい」と当時から口にしていた。
崇弥の送別会で号泣した小山薫堂
有名キャラクターやテレビ企画、映画脚本などを世に送り出してきた小山薫堂(写真右)は、ヘラルボニーの挑戦をどのように捉えているのだろうか?
提供:ヘラルボニー
資金調達も組織設計も計画のない状態で双子はヘラルボニーを始めてしまった。大学時代から合わせると8年も崇弥に教えた師匠・小山は、弟子・崇弥の起業やその後の経緯をどのように見ているのか。
「崇弥が辞めるときの送別会で僕は今までにないくらい号泣したんですよね。崇弥は性格がいいというか、ひと言で言うと『可愛いヤツ』、愛される力がある。見ていていつも気持ちのいい、こちらが助けたくなる、自分の持っているものを注ぎたくなるようなタイプの人間でした。
なぜそうした人間性がつくられたのかは僕にもわかりません。ただ、東北芸術工科大学で出会った頃から、崇弥の周囲への気配りや人へのやさしさは印象に残っていました。野心があるというよりも、素直で純粋な感じの若者だったと思います」
新卒の崇弥がオレンジ・アンド・パートナーズに入社する際、本当は崇弥をN35にほしかったと小山は話した。N35は小山が率いる放送作家事務所で、十数名のスタッフが所属している。そして、小山は崇弥を放送作家に向いていると思ったという。
小山によると、放送作家はアイデアや人をさまざまに組み合わせて番組の中で構成する能力が求められる。特に新人の頃、みんなに可愛がられてチャンスをつかめるかは重要で、周りにアイツを助けたいと思わせられるかどうかは、実は文章力などよりもずっと大事なことなのだという。そして、崇弥にはその能力が備わっていた、謙虚さが素晴らしかったと小山は振り返った。
だが、小山はあと1人、崇弥と同期の企画構想学科生の採用を約束していた。N35で2人を採用するわけにはいかない。かつ、もう1人の学生はオレンジ・アンド・パートナーズの業務に向かないだろうということで、崇弥はN35には配属されなかった。
「本当はずっといてほしいと思っていましたし、まだ就職して4年でしたので、早すぎるのではないか、福祉がビジネスとして実装できるのか、これは失敗するのではないかと心配もしました。
でも、昔から崇弥は福祉の仕事がしたいと言っていました。それを双子で始めるというのは起業のストーリーとしても共感を呼びます。それにキュレーション(作品を集めて展覧会などを企画すること)をきっちりやっている。この2点が現時点での成功の要因だと思っています」
小山にはダウン症の弟がいる。崇弥が福祉を主題に起業したことには格別な感慨があるのではないかと想像された。これからの崇弥について、小山はどんなことを期待し、何を課題と考えるだろう。
「障害者の作品だからということ以上に、作品の力で価値を問う姿勢で挑んでほしい。SDGs関連でヘラルボニーに仕事を依頼してくる企業の中には、SDGsの本当の意味を考えることなく、安易にヘラルボニーを使おうとする会社も今後は出てくるかもしれない。
でも、流行に消費されずにヘラルボニーの思想を追求してほしい。ニューヨークのガゴシアンギャラリーともアライアンスを組むくらいに突き抜けてほしい。ルーブルでも展覧会を開くことを目標にしてほしい」
ガゴシアンギャラリーはバスキアや村上隆を発掘したことでも知られる世界一のメガギャラリー。そしてルーブルは、いうまでもなくフランス・パリのあのルーブル美術館のことだ。師匠は弟子の今後にとても高い目標を設定しようとしている。
「障害者のアートだから事業が成立しているんだよね、などと言わせないぐらいの飛び抜けた才能を発掘し、企画を生み出してほしい」
母が送ってきたワードファイル「最強の同志」
2021年10月〜2022年1月下旬まで京橋でオープンしている展覧会、「ヘラルボニー/ゼロからはじまる」。作家たちの作品はもちろん、現在のヘラルボニーにつながる兄弟の軌跡も見ることができる。
撮影:千倉志野
秋晴れのある朝、東京・京橋にヘラルボニーギャラリーが開幕した。
「ヘラルボニー/ゼロから始まる」と題した展覧会は、あのるんびにい美術館での衝撃から現在までの歩みをたどる企画展だ。崇弥の東北芸術工科大学での卒業制作「常識展」も見ることができる。翔太がノートの端に書きつけた「ヘラルボニー」という文字の実物や、文登が小学4年の頃に書いた翔太についての作文「障害者だって同じ人間なんだ」も展示されている。カラフルな展示に囲まれていると、生命の奇跡を思わされ、力強いあたたかさに包まれるような気持ちになる。
実際に兄・翔太が「ヘラルボニー」と書いていたノートの実物。
撮影:千倉志野
起業後、双子はそれぞれに結婚し子どもが生まれた。2人ともパートナーと共働きで子どもを育てている。生命の輝きに2人はより敏感になった。会社は成長途上にあるため、一つでもチャンスは得たいと思うと帰りは遅くなりがちにもなる。両立は簡単ではなく今は踏ん張りどころだが、「ほんっと、子どもって可愛いです」と2人は子どもの存在を手放しで喜んだ。
親になってみると、母の凄さがわかると2人は口を揃えた。
双子が30歳を迎えた2021年5月、母はワードファイルに記した長い文章をLINEで送ってきた。タイトルは「最強の同志」。
ファイルには、母が若かった頃、初めて授かった翔太の障害を親戚から「周りに見られないように隠しなさい」と言われて苦しかったこと、自分の子どもは恥ずかしい存在ではないという叫びたいような強い思いがあったこと、そして、双子に対しても「お兄ちゃんを恥ずかしいと思わないでほしい」と願ったことなどが記されていた。
手紙には大きくなった双子が障害をテーマに起業したことを喜ぶ母の思いが溢れていた。そして、母の写した双子の子ども時代の写真には、いつも翔太と双子の3人が揃っている。3人は真面目くさっていたり、ヘン顔をキメていたり、ややズレ気味のポーズで並んでいたり、どの写真も楽しく、噴き出してしまう。小さい頃は勉強より友達とたくさん遊ばせたいと思ったという母のあたたかなまなざしが伝わってくる。
双子が「障害」をテーマに起業したことは、翔太と双子を等しく愛し、健やかに育ってほしいと願い、かつ、3人を育てながら自分の仕事を手放さなかった母の人生の歩き方を見てきたことと、深いところでつながっているように思えた。ヘラルボニーは障害のある翔太とともに生きてきたからこそ生まれた事業だ。双子はそれを「ファミリービジネス」と呼ぶ。
将来は障害のある人のための施設運営も
撮影:千倉志野
だが、アートはあくまできっかけだとも双子は言った。将来は、障害のある人たちのための施設運営にも取り組みたいというのだ。
なぜ障害のある人に対する見えない差別があるのか。そのことについて、崇弥がこんなことを書いている。
<人は不思議な生き物だ。ひとつ線を引くだけで国境が生まれ戦争が起きてしまう。ひとつ線を引くだけで障害者とレッテルを貼られイジメの対象になってしまう。私たちは、知らず知らずのうちに線引きをしながら生きていることを自覚する必要がある。>
障害のある兄を持ち、好むと好まざるとにかかわらず、声の小さな立場の側に立って生きてきた。だから双子は謙虚でやさしいのだろう。
ヘラルボニーが知的障害や精神障害のある人のための施設をつくるとき、きっと、社会と障害のある人の間の線が取っ払われた、これまでにないボーダーのない施設が生まれるだろう。
障害の領域に限らず、ジェンダー、人種、職業など、自分とは異なる存在を認めるとはどういうことなのかを考えるきっかけをヘラルボニーは私たちに差し出している。違いを認め合える社会はきっと今よりやさしく、息がしやすいはずだ。
(敬称略・完)
(文・三宅玲子、写真・千倉志野)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。個人サイト