リモートワークでデジタル庁で働く和田浩一さん。和田さんは目の難病で、中学生の頃から次第に視力が低下していった。
提供:和田さん
「ネットで申込みをするとき、文字を読み上げるスクリーンリーダーを使って氏名や住所を入力します。でも最後のボタンが、イラストや画像になっていることがある。その場合、画像を読み上げられず、いつまでも確定ボタンを押せないこともある」——(デジタル庁・和田浩一さん)
行政のウェブサイトを、使いにくく感じたことはありませんか?
デジタルトランスフォーメーション(DX)の必要性が叫ばれるなか、使いやすいウェブサイトを作成することは、民間企業だけでなく、国や地方自治体にとっても重要性が増しています。
特に公的な機関ほど欠かせないのが、障がい者や高齢者にとっても使いやすいという視点です。
デジタル庁には、ウェブ上で提供されている情報やサービスを、誰もが利用しやすく設計する「ウェブアクセシビリティ」を推進するチームがあります。このチームで働く3人のうち2人は視覚障がいがあります。
連載3回目は、自身の障がいを強みに変えて、ウェブアクセシビリティ向上のために働く2人を取材しました。
大学卒業後、ウェブサイトのコンサルに
「生まれつきの弱視でしたが、2020年春頃から視力がガクンと落ち始め、活字を読めなくなりました。デジタル庁の発足を知ったのはそんな時でした」
デジタル庁で働く伊敷政英さん(44)には、先天性の視覚障がいがある。生まれつき左目はほとんど見えず、右目の視力も0.01ほど。めがねやコンタクトによる矯正はほぼできない。
東京都立大学の数学科を卒業後、ITコンサル会社に入社。ウェブアクセシビリティを担当し、視覚障がい者の視点から、企業のウェブサイトをどう改善すべきか、助言する仕事を続けてきた。
2010年には独立し、個人でウェブアクセシビリティの業務を請け負うかたわら、弱視の子ども向けのノートの開発や、障がい者専門のクラウドソーシングサービスのアドバイザーなどの活動もしてきた。
コロナ禍で視力低下
2020年4月に緊急事態宣言を発令する安倍首相(当時)。伊敷さんはこの頃から、視力が低下してしまったという。
撮影:竹井俊晴
目の病状が悪化したのは、伊敷さんが30歳の頃。目の痛みが強くなり、角膜の移植手術を受けた。術後、一時的に視力が回復したものの、拒絶反応が起き、また手術前の視力に戻ってしまった。その後も、何度か角膜移植を繰り返したものの、結果は同じだったという。
そして、新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年の春。起き上がれないほど目が痛みと、視力の低下があり、ほとんど家から出られない生活が数カ月続いた。
そして、これまでのように目で活字を読んだり書いたりすることができなくなった。
「フリーで仕事をしていたため、一人でできる作業は確実に減りました。それまでは画面を拡大したり、色を反転させたりすれば、画面の文字を読めていました。それが請求書を作っても、電子押印はできなくなりました」
「応募しなかったら後悔する」
平井卓也・前デジタル相。デジタル庁では、兼業で、しかもリモートワークで働く民間人材を募集していた。
REUTERS/Issei Kato
デジタル庁が民間人材を募集することを聞いたのは、ちょうどこの頃だった。
2020年12月に平井卓也・前デジタル相がテレビ番組に出演し、兼業でかつリモートワークで働く民間人材を募集していると聞いた。
「国としてウェブアクセシビリティを推進する機会になる」と気持ちの高揚を感じたものの、10月にも受けた角膜移植後の視力回復もうまくいかず、デジタル庁の仕事ができるのかという不安もあった。
それでも伊敷さんは「今ここで応募しなかったらきっと後悔する」と、心を決めたという。
「大学を卒業してから18年間。障がいの有無に関わらず、あらゆる人々が使いやすいウェブサイトのために働いてきました。それなのに自分が全盲になったからと言って、ここでアクセシビリティから逃げだしたら私の負けだと思いました」
障がい者が使いやすいウェブサイトとは?
伊敷さんが属するアクセシビリティチームでは、デジタル庁などのウェブサイトの改善を担当している。
撮影:今村拓馬
デジタル庁に採用された民間人材は、そのほとんどが非常勤の国家公務員という身分。兼業・副業として働いている。伊敷さんも同様に、週に2日、リモートワークで勤務している。
アクセシビリティチームが取り組んでいるのが、デジタル庁などのウェブサイトの改善だ。例えば、視覚障がい者がウェブサイトを閲覧する場合には、スクリーンリーダーを使い、文字を音声で読み上げてもらう人も少なくない。しかし全て読み上げると時間がかかるため、適度に見出しを入れることで、不要な箇所は読み飛ばすことができる。また写真やロゴは、スクリーンリーダーでは読めないため、図を説明する文章「代替テキスト」を入れる必要もある。
「公共機関のウェブサイトは情報量がかなり多い。ぱっと視覚的に把握できる人には便利かもしれませんが、皆が皆そうではありません。そのためのルール作りを進めています」
障がいによっても異なる使いやすさ
アクセシビリティが対象にするのは、もちろん視覚障がい者だけではない。障がいの内容によっても、使いやすさは異なるという。
「弱視の人には、文字の色と背景のコントラストがはっきりしていた方が読みやすい。一方で、一部の発達障害がある方の場合、真っ白な背景に真っ黒の文字などコントラストが強いと、目が疲れてしまうこともある。ウェブサイトの雰囲気を保ちながら、コントラストをどう調整していくのか。デザイナーと相談しながらの作業になります」
約20年間、ウェブアクセシビリティと向き合ってきた伊敷さんだが、社会の感度も高まっているという。
「フロントエンドエンジニアやデザイナーを中心に、ウェブアクセシビリティへの理解が進んできていると感じます。ただし、欧米のように法整備を進めている国に比べると、まだまだ日本は遅れているのも事実です。デジタル庁の取り組みをベースにして、全国の自治体や企業にも広げていけたらと思っています」
「また文字を持てた衝撃」
愛媛県の自宅からオンラインで取材に応じる和田さん。後ろに掲げられた絵画は、視力が落ちる前に書いた和田さんの作品。
撮影:横山耕太郎
「私はデジタルのおかげで、一度は失った文字をまた持つことができました。だからこそ、もっと多くの人にデジタルの力を届けたいと思っています」
デジタル庁で働く和田浩一さん(63)も、視覚障がいの当事者としてウェブアクセシビリティに取り組んでいる。
和田さんは中学生の頃に網膜の難病が判明し、次第に視力を失っていった。工業学校への進学を考えていたが、盲学校に進み、高校時代はアマチュア無線に熱中。大学時代に登場したコンピューターを買って、プログラミングに打ち込んだ。ソフトウェアを作るまでに習熟したが、30歳の頃には文字が読めなくなるまで視力が低下したという。
点字に翻訳している本もあったが、読みたい本も新聞も読めなくなってしまった。
そんな時、和田さんに再び希望をもたらしたのが、デジタルだった。1990年にソニーの電子ブックプレイヤーが発売され、電子ブックとして国語辞典や英和・英和辞典、外来語辞典などが利用できるようになった。
「電子ブックをパソコンと接続して、パソコンの読み上げ機能を使って、辞典を使えるようになりました。それから、広辞苑や医学大辞典、百科事典も買いましたが、また自分が文字を持てた喜びと、衝撃がありました。デジタルのおかげで、今ではすぐに新聞も読めます。視力を失った時期と、デジタルが進歩した時期がちょうど重なりました」
国勢調査にオンラインで回答も…
2015年に初めてオンライン回答できるようになった国勢調査も、当時は再入力を繰り返して回答に4時間もかかった。
Shutterstock/Princess_Anmitsu
デジタルを駆使する和田さんにとっても、ウェブサイトにまつわる不便は、挙げだしたらきりがない。
例えば先の衆院選。報道機関がまとめた候補者アンケートでは、設問はテキストで読めるのに、回答部分が画像になっているので、肝心の回答がわからない。
ウェブサイトに動画が埋め込まれている場合、停止や早送りなどボタンが画像だけだと、どれが再生ボタンか分からない。いつも「上から5個目でエンターを押す」など、やみくもに試しているという。
2015年に初めてオンライン回答できるようになった国勢調査でも、当時は読み上げソフトを利用した場合のアクセシビリティが悪く、何度もタイムアウトに。再入力を繰り返して回答に4時間もかかった。
それでも和田さんは、「デジタルの力があれば、障がいの有無は関係なくなる」と話す。
約35年間、愛媛県の盲学校の教員を務めた和田さんは現在、愛媛県の自宅からリモートワークでデジタル庁に勤務している。
「テレワークのおかげで、東京に行かなくても不自由なく仕事ができています。今はメタバースが話題になっていますが、さらに世界が広がると期待しています。デジタル庁で働くからには、デジタルの力を信じて日本を変えていきたいです」
(文・横山耕太郎)