2021年12月中旬に行われたトヨタのEV戦略会見。トヨタは2030年にEVの販売台数を350万台とする目標を発表した。
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「EV化に後ろ向き」という評価を受けていたトヨタが一気に方針を転換しました。世界的に強まる脱炭素への圧力に、自動車業界は急激な変化を迫られています。トヨタの戦略変更にはどんな背景があったのでしょうか。なぜここに来て、各メーカーはEV化を急いでいるのか。雇用はどうなるのでしょうか。
日本や世界の自動車業界の動向に詳しい名古屋大学客員准教授の野辺継男さんに聞きました。
── 2021年12月、トヨタが2030年にEV(電気自動車)の販売台数を350万台とする、かなり野心的な目標を発表しました。これまでEVには後ろ向きと見られ、環境団体からは非難もされてきたトヨタが、ここに来て大きく方針を転換した背景には何があったのでしょうか?
野辺継男氏(以下、野辺):特に海外では明確ですが、市場の急速なEVシフトがあったと思います。トヨタには「市場に合った製品をタイムリーに提供する」という基本方針があり、フレキシブルに対応されたのだろうと。今回トヨタが(外部から充電した電気を動力源とする)バッテリーEVを今後の一つの方向性として明示したことは極めて重要で、これでいよいよ日本のEV化が進むと期待しています。
——とはいえ、先のCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)で発表された、2040年までに全世界で販売するすべての新車を「ゼロエミッション車」(ZEV:Zero Emission Vehicle)に置き換えるという共同声明には、議長国のイギリス、EUなど46カ国・地域が署名しましたが、日本やアメリカ、ドイツ、中国などは署名を見送りました。なぜでしょうか。
野辺:脱炭素の流れを受け、新車販売台数におけるEV比率を高めようという世界的な潮流は明確だと思います。ただEVは、ガソリンを使わないので走行中には炭素を排出しないものの、バッテリー製造の過程で大量の電気を必要とします。発電が石炭火力を中心とした化石燃料に依存している限り、EVの生産段階で二酸化炭素を大量に排出してしまいます。同様に、走行中に利用する電気も化石燃料を利用していれば、二酸化炭素を排出していることになります。
ここで言うゼロエミッション車は、走行時だけでなく製造過程においても二酸化炭素を排出しない、つまり工場やサプライチェーンで使用される電力も100%再生エネルギーを利用するカーボンニュートラルな車です。
COP26で署名しなかった日本やアメリカ、ドイツ、中国は、いずれも自動車大国であり、かつ石炭火力発電比率が30%前後と高い国です。今後再生可能エネルギー比率を高めるにせよ、企業単独では時期をコミットしづらいという事情があると思います。
EV化しやすい高級車を分社化する動き
上海モーターショーで展示された、中国の自動車メーカー吉利のSUV車。
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── 海外の自動車メーカーでも対応が分かれています。COP26の共同声明には、ポルシェやメルセデス・ベンツは署名していますが、同じドイツのメーカーでも、フォルクスワーゲンやBMWはしていません。何が違うのでしょうか。
野辺:安価な車を量産するビジネスモデルかどうかです。アフリカなど新興国を市場とするメーカーも同様です。高級車に特化したメーカーであれば、再生エネルギー化によるコストを価格に転嫁しても、むしろ積極的に購入する層がいますが、量販車全体では難しい。
── 日本の自動車メーカーは、高級車から大衆車まで広くカバーしています。トヨタが、高級車ブランド「レクサス」は2030年までに欧州、北米、中国で販売する全車種をEV化すると発表したのは、高級車だからできるということなんですね。
野辺:そう思います。そうした背景もあり、EVブランドを別会社化する動きも世界で広がっています。ボルボはEVやハイブリッドカーに特化した高級ブランド「ポールスター」を立ち上げ、分社化してIPO(新規株式公開)を目指しています。中国でも吉利(ジーリー)が傘下に高級EVのブランドとしてZeekr(ジーカー)を立ち上げ、最先端スマート機能を盛り込んでいます。
EVをめぐっては、先日衝撃的なニュースがありました。アメリカのEVスタートアップ・リビアンが2021年11月にIPOした際、まだ1台も実売がないにもかかわらず、一瞬にして時価総額がGMやフォードを超えました。これは2012年のフェイスブック(現メタ)以来最大のIPOと言われています。
それだけEVの将来価値に対する市場の期待は高く、資本が流れ込んでいます。そこで他の自動車メーカーの間にも、EVに特化したブランドを子会社として立ち上げ、IPOして、実業で早急に得るのは困難な莫大な資金を調達し、開発や製造を加速化するという動きが広がっています。
ルールチェンジに乗り遅れた日本
COP26で共同声明を出したジョンソン首相。脱炭素に向けた国際的な動きは加速している。
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── トヨタは方針を転換したとはいえ、日本の自動車メーカーのEV化はなぜ他国のメーカーに比べて遅れたのでしょうか。
野辺:これまで培ってきたエンジン技術を活かしたいという発想は根強いと感じます。トヨタが注力する水素燃料電池車(FCV)もありますが、最近レースなどで登場させている水素エンジン車は、エンジンをモーターに替えることなく車が走る。EVのみに特化せず、内燃機関も活かす多様な技術で世界市場を取るトヨタの基本方針に則っているのだと思います。
フォルクスワーゲンはエンジン車からEVにシフトする急先鋒ですが、背景には、2015年に発覚した同社のディーゼルエンジン排出規制不正問題があります。失墜した企業イメージを回復するためにも早期のEV化は必然と認識されていたようです。
── 日本メーカーは、これほど急激なルールチェンジを予測していなかったのでしょうか?
野辺:おそらくそうでしょう。2021年夏の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第54回総会で受諾された第6次評価報告書では、地球温暖化の原因が人間の活動であることは「疑う余地がない」と初めて明記されました。もちろん大気内の二酸化炭素量が気温上昇をもたらすグリーンハウスエフェクトは、15年ほど前にも指摘されていましたが、これまでは懐疑論もあり、今回はより強固な関連性を明確に表明しました。
テスラがロードスターを販売したのは2008年、日産がリーフを販売したのは2010年です。その後数年間、市場はあまり伸びませんでした。はっきりと状況が変わったのは、2018年です。その上で最近、気候変動が身近に感じられる中、EVシフトは必然と認識する人々が増えた。
フォルクスワーゲンでは、同社ガソリン車製造の象徴とも言えるウォルフスブルク本社敷地を、EV生産拠点に切り替えつつあります。この背景には、驚くことに労働組合からの圧力もあると言われています。早くEVに切り替えなければ、自分たちの仕事がなくなってしまうという危機感からです。テスラがベルリンに生産拠点をつくるので、フォルクスワーゲンは強い危機感を持っています。
政府、企業、組合の三位一体で進めるアメリカ
GMのEV車の工場を視察したバイデン大統領。米政府もバイデン政権になって急速にEVシフトをしている。
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── トヨタがEV化に慎重だった大きな理由として、雇用への影響を挙げていました。方針転換後も、EVだけでなく、HVやFCVも残し、「全方位」は続けるという方針にも、下請け、孫請けへの影響を挙げています。急激なEVシフトによって、雇用はどうなるのでしょうか。
野辺:これまでガソリン車向けに垂直統合されてきた部品メーカーで仕事を失う人は出てくるでしょう。エンジン車向けの重要な多くの部品が、EVでは不要になるからです。
一方、ILO(国際労働機関)による地球規模の持続可能性シナリオでは、エネルギー移行によって2030年までに新たに創出される雇用は2500万人と予想されており、失われると見られる700万人をはるかに上回っています。EV化で雇用全体のパイはむしろ増えると言われており、職種転換で対応しようというのが、米デトロイト周辺では共通認識になりつつあります。
── アメリカでは政府と自動車メーカー、労働組合が手を組んだ、EVシフトに向けた政策的な誘導の動きが見られます。
野辺:アメリカでは、GM、フォード、ステランティス (旧フィアット・クライスラー・オートモービルズ)の自動車大手3社の工場労働者を中心とする全米自動車労働組合(UAW)が非常に力を持っています。
米政府は、消費者がEV購買時に得る7500ドルの補助金に加え、労組系の工場で製造したEVには補助金を4500ドル上乗せする法案を審議しています。EU等からの反対意見もあり、追加分の可決は危ぶまれていますが、国としてEVにシフトしていこうとしても、労働組合の反対にあって進まないという認識があると思います。
── 日本でも同様の動きはあるのでしょうか。
野辺:日本でもEV購入の補助金はあります。自治体の補助金に加えて、消費者への税控除などです。しかし、現状ではあまり積極的に展開されているようには見えません。
── 日本の自動車メーカー労働組合も危機感は持っているのでしょうか。
野辺:日本の労使関係は欧米中とも異なりますが、より重要な点は、EV化ではものづくりの体系が構造的に変わることです。「系列」と言われたメーカーを頂点にした垂直統合型の産業構造が水平分業型になり、モーターにせよバッテリーにせよ、より良いものを選択して、これまでの系列関係を度外視して買うことになります。そうしなければ、自動車メーカーもサプライヤーも国際競争力を維持できなくなる。
加えて、EVはガソリン車以上に「規模の経済」が効きやすい。いち早く量産化した先行メーカーが高品位な製品をより安くつくり、さらに売れることで利益を上げてより大きな開発投資が可能になる。逆に、生産ボリュームを持っておかなければ、部品購買の交渉力もなくなるという構造に入ります。同じことが部品サプライヤーにも言えます。
日本の部品メーカーは、海外の自動車メーカーと商談する中で、こうした現実をすでに目の当たりにしているはずです。しかし、労働者側が海外と同じレベルの危機感を持っているかは……。
経営者がリスクを取る国、取らない国
EVという新しい産業を生み出したイーロン・マスク。経営者のリスクへの姿勢が日本と海外との違いかもしれない。
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── そうした状況が大々的に報道されているにもかかわらず、なぜ国内メーカーの変化は遅々として進んでいないように見えるのでしょうか。
野辺:テスラのEV量産化が軌道に乗ったのは2018年以降です。それまでは懐疑的な声も多かった。量産が軌道に乗り、利益が出るようになり、資本市場のマネーがEVに向かった。時価総額が急激に上がり、資金調達が容易になりました。
逆にESG投資の広がりで、二酸化炭素を排出しているメーカーには投資しないという潮流も生まれました。こうした資本市場の大きな動きに、海外の主要自動車メーカーは国内メーカーより機敏です。
── ゼロエミッションを達成するのは、自動車をEV化するだけではダメで、製造過程でも炭素を排出できないとなれば国のエネルギー政策も大きく関わってきますよね。中国は石炭火力発電を続けながら、太陽光をはじめとする再生エネルギーに大々的に投資しています。
野辺:中国では、二酸化炭素排出量が天然ガス発電よりも多い石炭火力発電が、日本の約2倍の約60%を占めており、この比率をどう減らすのかという問題があります。
しかし、日本と大きく違うのは、中国は今後も経済や市場が拡大するということです。2030年までのロードマップを見ると、全体の電力供給量が急増し、その増分を主に再生可能エネルギーで賄うことで、石炭火力発電の総量をあまり下げなくても、全体の10%に減少していくというシナリオを描いている。インドも同様です。
── 人口減少局面に入った日本では、中国やインドと同じような絵を描くことは難しいと思われますが、日本で再生可能エネルギーが広がらない要因は何でしょうか。
野辺:例えば風力発電は、沿岸部に台風が来るので難しいと言われます。けれども、それは本当なのかと私は懐疑的です。いまの日本では、自動車産業に限らずさまざまな分野で、新しい技術に対して、「難しい」という人が多い。もちろん既得権益もあるでしょうが、それ以前に、変化や挑戦に挑むマインドの違いが大きいように感じます。
もともとテスラとパナソニックは共同で電気自動車用の次世代バッテリーの開発に取り組んでいました。しかし、パナソニック側がテスラが要求する量を供給できないとして、イーロン・マスクがTwitterで文句を言ったのが1年半前。
パナソニックとしては過剰供給のリスクを避けたのでしょうが、その隙に中国・車載電池最大手の寧徳時代新能源科技(CATL)は、テスラへの電池供給契約を獲得・拡大し、時価総額はテスラ同様にウナギ登りです。この違いは何か。CATLはリスクを取って、イーロン・マスクの世界観が世界のトレンドになることに賭けて、生産能力を拡大したわけです。
もともとリチウムバッテリーは日本のお家芸でした。リチウムイオン電池を発明したのはノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんですし、初めて商業化したのも日本です。車載バッテリーは安全性に直結しますから、極めて高い技術力が求められます。むしろ、「やるぞ」という覚悟さえ決めれば、EVは日本の強みを活かせる分野であり、十分に勝ち目がある領域だと思います。
要は経営陣がリスクを取るかどうかなのです。企業がリスクを負えないと言うのは、リスクを避ける経営判断の方が高く評価される傾向があるからではないでしょうか。
EVシフトが進まなければ生態系も生まれない
ニューヨーク・マンハッタンにあるEV充電ステーション。ヨーロッパでもアメリカでも充電ステーションの設置が急速に進んでいる。
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── 自動車産業の構造が大きく変わる中、新しく注目される事業も生まれているのでしょうか。
野辺:今後はEV部品のリサイクル領域が拡大していくでしょう。バッテリーで使われるコバルト・ニッケルやリチウムが不足し高騰しますから、リサイクルのニーズが生まれ、アメリカや中国、ヨーロッパでは、すでにそうしたスタートアップも誕生しています。しかしEVの普及が十分でなければ、そもそもリサイクル会社をやろうという人は現れません。
充電ステーションも同じです。2018年以降、電気自動車の公共充電ステーションの数は世界で2倍以上に増加しましたが、日本では減少しています。海外では、充電ステーション運営会社に対する投資が拡大していますが、日本ではニーズがないので資金も流れず、市場も生まれません。
アメリカでは、テスラを買おうとすると6カ月から1年待ちもざらです。予約した人は自慢して、さらに人気に拍車がかかるという正のスパイラルに入っている。「EVがほしい」というトレンドが形成されています。二酸化炭素排出がどうという以上に、実際に購買する時には、そうしたトレンドが重要です。日本国内でそうした機運が生まれるかどうか。
単に義務感でEV化を説いたところで、そうした機運がなければ広がりませんし、市場がなければ充電ステーションも増えないので、安心して買えない。アメリカでは、これまでカリフォルニアや東海岸に充電ステーションが集中していましたが、2022年以降バイデン政権は中西部にも充電ステーションを増やします。
── イーロン・マスクが典型的ですが、「世の中はこうなるだろう」という未来予測ではなく、「世の中はこう変わらなければならない」という信念があるように感じます。その信念に有利な世界を自らつくり出していく。リスクを負いたくないからこそ、自らルールをつくり、世界のスタンダードをつくる。長期的に見ると、それはむしろローリスクのように見えます。
野辺:日本の経営者は、将来予測に対する発想が一次関数的だと感じます。しかしデジタルの世界は違います。PCやスマホ、半導体やストレージ、さらに通信も技術的に指数関数的に進化します。指数関数的な世界では、同じことをやって前年比10%、15%成長ではなく、イノベーションによって数十倍、数百倍と桁数での成長を実現できる。そのため投資も桁数で増えて、それでも回収できる。ここの波に乗れていない。
ただ指数関数的な成長というのは、ひとつの会社で実現できることは滅多にありません。急激な成長を遂げる会社が出てくれば、それを利用した相乗効果で成長する企業も出て、社会全体として指数関数的に成長していく。
一方、それに乗れない企業は脱落する。自動車業界に限らず、この発想転換が求められていると感じます。
(サムネイル写真撮影・今村拓馬、聞き手・浜田敬子、構成・渡辺裕子)
野辺継男:1983年早稲田大学理工学部応用物理学科卒。1990年ハーバードビジネススクールMBA Alumini。1983年NEC入社。2001年ソフトバンク子会社としてオンラインゲーム会社を設立しCEOに就任。2004年日産自動車入社。Vehicle IoTの開発・事業立ち上げ・統括。Vehicle IoT事業本部及びシリコンバレーオフィスを設立。2012年米大手テックカンパニーに転職し、自動運転及びモビリティサービスの事業開発と政策推進を担当。2014年名古屋大学未来創造機構客員准教授を兼務し、自動運転の技術開発。IEEEやクルマとITに関連する国内外の主要会議で頻繁に講演。各種政府委員会メンバー歴任。日経BP等で多数執筆。