ニューヨークの街並み。
REUTERS/Lucas Jackson
こんにちは。パロアルトインサイトCEO・AIビジネスデザイナーの石角友愛です。
2021年最後の寄稿は、「著名不動産テックの新事業“ZillowOffers”はなぜ大失敗したのか」を考察します。
Zillowは、不動産情報サイト運営を手がける米国最大の不動産仲介マーケットプレイスです。2006年に創業して以降、米国の不動産情報に関するウェブ検索の約3割はZillowが持つとされ、取り扱う物件数は1億3500万件以上。2020年にはZillowウェブサイトに訪れる毎月のユニークビジター数が3600万人を記録しました(Zillowウェブサイトとアプリに関する統計はこちら)。
Zillowのビジネスモデル
Shutterstock
Zillowの従来のビジネスモデルは、家を売りたい人と買いたい人を集めるマーケットプレイスでした。主に、その仲介役の不動産エージェントに向けたビジネスモデルを特徴としています。賃貸用の不動産を管理している業者向けにリスティング手数料を徴収したり、不動産エージェントが良い物件をリスティングする際にプレミアムプログラムなどを提供することで収益を得ています。
ここで、日米の不動産市場の違いとして、アメリカの住宅不動産市場における「エージェント」の存在が、いかに重要であるかを理解する必要があります。
売り手は、家を売りたいと思ったらまずエージェントに相談をします。そして、エージェントから家の価値を高めるためのアドバイスなどを受け、修理を含めた売却準備を進めます。
エージェントを通して家をZillowなどのサイトにリスティングし、エージェントがそのリスティングに家の価値や詳細、写真などを全て掲載します。買い手もまた、気に入った家が見つかればその物件を掲載したエージェントに連絡をとって交渉します。
このように、アメリカでは物件売買のプロセスにおいてエージェントが欠かせない存在なのです。
表面的に不動産をリノベして売り捌く「ホームフリッピング」とは
出典:Zillow
しかし、近年、高い仲介手数料(通常売値の5%前後)を払うことを回避したい、より自分がコントロールできる環境で家を売りたいという売り手向けに台頭してきているのが、次に紹介する「ホームフリッピング」を行う事業者です。
実際、収益源の多様化を狙ってか、Zillowも2018年より「Zillow Offers」という事業に力を入れていました。事業部は当初、iBuying(インスタントバイング)と呼ばれており、その内容は、アルゴリズムを利用して住宅を迅速に査定し、Zillowが安く購入した上で、表面的なところだけをリノベーションして高値で販売するという、英語でいうところの「ホームフリッピング」事業でした。
フリップするというのは「ひっくり返す」という意味です。Zillow Offersのように安い家を購入して簡易的にリノベーションをして短期間(通常3カ月から6カ月以内)で売ることを専門にする業者は、数多くいます。Zillowのホームフリッピング事業は、通常の買い手よりも低い価格で購入することが特徴で、その代わり購入手続きが早いことと、オールキャッシュ(全額現金での取引)の取引であることが、売り手を引きつける要因となっていました。
しかし、Zillowの共同創業者でCEOのリチャード・バートン(Richard Barton)氏は、2021年の11月に突如、Zillow Offers事業部を閉じることを発表しました。事業閉鎖のため、全体の25%にもあたる2000名以上の従業員を解雇し、保有していたおよそ7000件もの不動産を、プライベートエクイティーファームなどに売却しました。売却された不動産の総価値は28億ドル(約3200億円)にも及び、Zillowの評価減額としては、実に5億ドル(約570億円)にものぼるとのことです。
「570億円の評価減」米大手不動産仲介Zillowの失敗
出典:Zillow
そもそもなぜ、Zillowは一見リスキーにも見えるホームフリッピング事業に参入したのでしょうか。そして、なぜZillow Offersは失敗してしまったのでしょうか。
その背景には、2006年に開発された独自の不動産価格予測アルゴリズム「Zestimate」(”Zillow”に「見積もり」を意味する”Estimate”をかけた造語)の存在がありました。
Zestimateは、アメリカにある何百万もの住宅査定額のデータを活用し、地域の不動産価格変動や家の属性情報などを教師データとして学習しています。このアルゴリズムを使えば、数カ月後に家の価格がどれくらい上がっているかを、予測することができます。
Zillow OffersはZestimateの予測値をもとに、物件の購入額やリノベーション費用を決め、ホームフリッピングすることで収益を得るという手法を用いていました。Zestimateの予測モデル自体は、近年のデータ量の増加に伴い精度も改善されており、市場に出ている住宅の推定価格はエラー率の中央値が2%以内で収まっているとのことでした。そのため、実際に家の売買をする予定がなくても、自分の家の価格がどれくらい上がっているかを確認するためにZestimateでチェックをする人もたくさんいるほど、米国の消費者向け不動産市場では大きな影響力を持つ指標になっています。
Zestimateはデータサイエンティストの間でも非常に有名なアルゴリズムの1つでした。
データサイエンティストが集まるバーチャルコンペ「Kaggle(カグル)」でも、ZillowはZestimateの精度を高めるために賞金120万ドル(1億円以上)でコンペを開催していました。
Kaggle上にあるZestimateのコンペティションページ。
出典:Kaggle
コンペの課題は、「将来の家の売値を正しく予測する」こと。世界中の優秀なデータサイエンティストに予測モデルを作ってもらい、Zillowは一番良いモデルを賞金と引き換えに手に入れるというものでした。
このような取り組みを積極的に実施していたことからも、会社として、アルゴリズムドリブンな意思決定に力を入れていたことが伺えます。
これは4年以上前のコンペですが、その紹介文には「Zestimateは、各物件に紐づく数百種類のデータポイントを分析し、750万以上の統計モデルと機械学習モデルに基づいた推定住宅価値を実現したものです。エラーマージンの中央値を継続的に改善することで、Zillowはアメリカで最大かつ最も信頼できる不動産情報の会社としての地位を確立しました」と記載されています。
Zillowは、このZestimateを改善することに注力し、100人以上の予測モデル解析者やアナリストを雇って住宅価格の推移をモニタリングしていたとのことです。
コロナが露見させた「AIを過信するビジネスの盲点」
売りに出されているニューヨークの不動産を見る男性。
REUTERS/Mike Segar
しかし、2020年に入り、不動産業界をパンデミックが襲いました。
低金利政策などの影響もあってか、市場がインフレ傾向を辿ることになり、予想以上に住宅の価格が上がっていきました。
不動産価格の急騰はZestimateの精度を狂わせました。また、買い手である消費者の好みも急激な変化を伴いましたが、こちらもアルゴリズムで予測できるものではありませんでした。例えば、「都会からより郊外に」「狭いアパートより広い田舎の一軒家を好む」ような人が急激に増えることは、全て想定外の「ブラックスワン現象」だったのです。
通常、価格予測などのアルゴリズムは過去の実績データや家の特徴などをもとに、将来の価格を予測します。つまり、過去の実績データが多くなればなるほど、大きいデータに引っぱられやすくなります。今回のような突発的かつ深刻な社会状況の変化が発生すると、機敏に重み付けなどを調整することが難しいのです。
ZillowのCEOのバートン氏は、
「住宅価格の変動は我々の予想をはるかに超えており、このままZillow Offersの規模を拡大し続けると、収益とバランスシートの変動が大きくなりすぎてしまい、最終的には想像をはるかに下回る自己資本利益率になる可能性があると判断した」
間違ったチームKPI、失敗から見えた教訓
また、Zillow Offersの失敗に拍車をかけたのが、間違ったチームKPIです。
Zillow Offersの当時のエグゼクティブたちは、精度が次第にズレ始めるアルゴリズムに対し、施策を行うどころか、購入した住宅の合計数が競合に負けていることを危惧し、「これは非常事態だ」と宣言。その結果、2021年の第2四半期には3800を超える住宅を購入しました。これは、第1四半期の2倍以上です。さらに、事業シャットダウンをする直前の第3四半期には9680戸の住宅を購入していたとの報道もあります。
不動産テックの著名アナリストのブログより。Zillow Offersで2021年の第3四半期に購入した不動産物件数は、過去18カ月の総購入数を上回る水準だったと同氏は分析している。
出典:MIKE DELPRETE「Zillow Exits iBuying — Five Key Takeaways」より
当時、競合に勝つために焦って購入するあまり、市場価値より高い価格で購入していたことも明らかになっています。例えば、アリゾナ州フェニックス市でZillowが購入した不動産の中間価格は、市場の中間価格より6万5000ドル(約740万円)も高かったとのことです。
実際、Zillowの2021年11月の決算発表によると、「将来予測される売値よりも高い価格で買っていた」ことが分かっています。このように、高い価格で急いで家を購入したものの、コロナ禍でのサプライチェーンの問題や、「大退職時代」を迎えたアメリカの人手不足問題もあり、リノベーション業者や原材料は全て不足してしまいました。そして、リノベーションが遅れれば遅れるほど、住宅を売る時期も遅れてしまい、利益率を圧迫する —— という結果になってしまったのです。
Zillow Offersの失敗ケースから分かることは以下の2つです。
1. AIモデルの精度はナマモノである
「AIはナマモノである」ということは、以前より私が伝えていることです。入ってくるデータが変われば、出力される値も変わります。
今回のようなパンデミックの発生及びそれに伴う消費者の行動の変化という「ブラックスワン」事態が発生した場合、既存アルゴリズムの使用を停止するなど、瞬時に切り替えられる体制を作っていなければいけません。
例えば、私が経営するパロアルトインサイトでは、リンガーハットに依頼され「緊急事態対応型需要予測モデル」を開発しました。これは、“緊急事態宣言の発令”という「ブラックスワン」現象に瞬時に対応するためのAIを開発する必要があったことが背景でした。
緊急事態宣言が発出されて営業時間を変更せざるを得なくなると、店舗に足を運ぶ顧客の数などが変化します。開発したモデルはこういった変化をいち早く検知し、緊急事態以前の「通常モデル」とは異なる手法で、より関連性の高いデータを使って緊急事態下での需要予測するものです。実際に通常モデルを使って緊急事態下での予測をしたときと比べて、非常に高い精度で需要予測ができることが、検証の結果分かりました。
株価や不動産価格などは予測することが難しい分野です。予測モデルの精度が変化したときに瞬時に対応できる切り替え可能なモデルを作るだけではなく、業務オペレーションや意思決定がモデルの数字に100%依存しない形で回るよう「モデルになにかあったとしても大丈夫」という、バッファー(余裕)を持たせることが大事です。
また、最近の事例だとテスラ社の自動運転のベータ版配信の一件があります。テスラ社がバージョン10.5を配信した約12時間後に、誤作動を起こすケースがあることをAIが認識。瞬時にバージョン10.5で運転しているユーザーの自動運転機能を遠隔でオフにしました。
このように、うまく動作しないケースがあるという前提条件を知りながら、「AIそのものにオフスイッチを用意しておく」ことも、重要なバックアップの施策です。
2. AIを意思決定に使うなら、事業KPIを正しく持つことが大事
Zillowのケースでは、AIを使って家の購入価格を決めていたのにも関わらず、「AIの精度を見直す」ことよりも、「競合より1件でも多い数の家を購入することを優先する」ことが評価基準となっていた点も、問題の1つと考えられます。
例えば、分析や解析を行うアナリストやデータサイエンティストが、より客観的な分析結果を迅速に経営陣に伝える体制作りが必要になってくると言えます。もしZillow Offersの営業チームが望む分析結果ではなかったとしても、データを良く見せようとせずにありのまま伝えることができる体制を作ることは、大企業であればあるほど容易ではありません。
そして経営陣は、常にフラットな姿勢でありのままのデータを見て、経営判断をするーーこれがAI活用時代には、より大事になってきます。
Zillow Offersの失敗例は、AIを過信するあまり市場の急激な変化を見落とし、また、競合に勝つことを優先するあまり、過信対象となっていたAIの改善を怠った経営判断の結果とも言えます。
来たる2022年も、日本の企業でもDX推進をゴールにおいたAI導入はさらに増えることが予想されます。今回の事例は「AIに対する正しい期待値」と、「どんな意思決定に使いたいのか」を明確にしながら実装をしていくことが大事だという教訓に、改めて気付かされるきっかけになったと言えるでしょう。
(文・石角友愛)
石角友愛:2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、グーグル本社で多数のAI関連プロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテック・流通系AIベンチャーを経て、パロアルトインサイトをシリコンバレーで起業。順天堂大学大学院医学研究科データサイエンス学科客員教授(AI企業戦略)及び東京大学工学部アドバイザリー・ボードを務めるなど幅広く活動している。著書に『いまこそ知りたいDX戦略』、『いまこそ知りたいAIビジネス』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『経験ゼロから始めるAI時代の新キャリアデザイン』(KADOKAWA)、『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋)などがある。