窓の外には新国立競技場が見える河出書房新社ビルでインタビューに応じる遠野遥さん。
撮影:伊藤圭
「芥川賞のプレッシャーは全然ないですね。何でプレッシャーがないのか考えてみたんですが、仮に100万人が小説を読んでくれたとしても、日本の人口の1%も読んでいない。そう考えると、気負う必要はないかなと思っています」
作家・遠野遥さん(30)は、淡々とそう話す。
遠野さんは2020年7月、デビューから2作目の『破局』で、平成生まれ初の芥川賞作家となった。また2022年1月上旬に、芥川賞受賞後初となる単行本『教育』(河出書房新社)を発売する。
『教育』は挑戦的なディストピア小説で、「1日3回オーガズムに達すること」が奨励され、その価値観を疑わない学校生活が描かれている。
デビューから3作、常に新しい手法を試しながら新作を発表してきた遠野さんだが、芥川賞受賞後には「ある気持ちの変化」があったという。
芥川賞フィーバー「家の外で吹く風」
遠野遥さんは、平成生まれ初の芥川賞作家としても注目された。
撮影:横山耕太郎
芥川賞受賞で、遠野さんは一躍、時の人になった。新聞や雑誌のインタビュー記事に寄稿、作家や著名人との対談イベントにも次々に出演。また2020年10月の文芸誌『文藝』では、父親との親子対談が掲載され、父がロックバンド・BUCK-TICKの櫻井敦司氏であることを明かし話題になった。
それでも本人は、いたって冷静だ。
「受賞後のフィーバーは一時的のもの。外で風が吹いているけど、家の中にいるから関係ないみたいなイメージです。読者の方がどんなきっかけで小説を読んでくれたかということも、さほど関心がない」
受賞後、燃え尽きた?
『教育』は2021年7月発売の『文藝』に初掲載された。読者からの反応は「昔のことなので読者の反応はあまり覚えていない」。
撮影:伊藤圭
ただ、芥川賞が小説への向き合い方を変える一つのきっかけになった。
新作『教育』を書き始めたのは、前作『破局』を書き終えてすぐの2020年4月のこと。書き始めて数カ月後に、芥川賞受賞の知らせが舞いこみ、受賞後のフィーバーが落ち着いたあたりから、これまでの働き方を見直したという。
「コロナの前までは喫茶店で小説を書くことが多かったのですが、コロナで外出ができなくなり、なんだかやる気が出なくなりました。そして芥川賞受賞後は、仕事だけが人生じゃないなとも思うようになりました」
若くして栄光を手にしたことで、「燃え尽き」を経験したのだろうか?
その問いについて遠野さんは、「文学と向き合う思いは少しも変わっていない」と一蹴する。
「ただ芥川賞を取った後、SNSで知り合った作家や出版関係者、あとはベンチャー企業の経営者などとよく食事するようになりました。人としゃべったり、遊んだりすることが楽しくなったので、小説を書く以外の時間も大切にしたいと思うようになりました」
遠野さんは、慶應大学生だったころから小説を書き始め、28歳で文藝賞を受賞してデビューした。デビューまでの日々は、小説を書いては新人賞に応募する生活を続けてきた。
「昔はそんなに遊びたいという気持ちがなかったので、小説を書いていました。でもこれからも長く小説を書き続けていきたいと思っているので、人と遊んだり、気晴らしは必要だと感じています」
人と会ったからといって、「小説のインスピレーションが生まれるわけでもない」というが、ふとした会話を、「小説で書いたら面白い」と感じることもある。
「つい先日も面白い会話が何かあったんですが、メモを取っていないので忘れてしまいました。メモは取った方がいいですね」
初の長編でも「PDCA」
新作『教育』は、遠野さんにとっては初の長編小説となった。
遠野さんは1年前のBusiness Insider Japanのインタビューで、小説の執筆について「うまくいかなかったとしても、きちんと評価を行ってPDCAサイクルを回していけばいいだけ」と話していた。
今作では初稿から大きく書き直したという。
撮影:伊藤圭
今作でも、新しい執筆方法を試した。過去の作品では、完成作品以上の分量がある詳細なプロットを作り、そのプロットを基に本編を書いていたが、今回はそこに一手間加えたという。
「今回は長編だったので、実際に書き上げてみるとプロットと異なる部分が大きかった。そのため、自分でも全体像がつかめず、因果関係もよく分からなくなってしまいました。そのためできあがった初稿を自分で要約して因果関係などを把握し、何が足りないかを明らかにした。そこから大きく書き直したので、その分手間はかかりました」
作品は構想を含めると約1年3カ月かけて完成したという。
「アスリートのような生活したい」
長期にわたった執筆だが、書き続けるために意識したのは「健康であること」。
以前は睡眠時間を削って、原稿執筆をすることもあったが、必ず1日8時間程度眠り、朝も無理には起きない。
「アスリートみたいな生活をするのが、結局、作家にとっても一番成果が上がる方法だと思っています。古い作家のイメージは、お酒をいっぱい飲んでたばこも吸って、あんまり寝ずに昼夜逆転という感じなのかもしれませんが、私はどれもやっていません」
食生活にも気をつかい、日頃の運動も心がける。
「野菜は厚生労働省が推奨する350グラム食べるようにしています。自炊はしませんが。
運動は週平均で1日5000歩は歩くようにする。これから年齢を重ねていけば、規則正しい生活の真価が現れてくるはずです」
現実にもある歪みを描く
1月7日発売予定の単行本『教育』。
©Naoya Matsumoto
「健康な生活」を心がける遠野さんだが、彼が描く文学世界は、かなり「不健康」だ。
今作『教育』は、外部とは隔絶された学校が舞台となり、その学校で生徒たちが学んでいるのは超能力。生徒たちは何の情報も与えられない状況で、4枚のカードから正解の1枚を選ぶテストを受け、その能力を試される。
正解率が良ければ、上位クラスへの進級が決まるため、生徒たちは必死にテストを受ける。
私は立ち上がりこそよくなかったものの、九十分間で十四回試行し、正解を5度引き当てた。これにより、私の今期の成績は27.44%から27.45%に上がった。少しずつではあるが、進級に近づいていた。(『教育』より)
しかも、成績を上げる方法として学校が勧めているのが、「1日3回のオーガズムに達する」こと。
「今は生徒たちの自主性に任せている状態だが、運営会議では一日三回のオーガズムを義務付ける校則を設けてはどうかという案も出ている。その前に一日三回オーガズムに達する群とそうでない群で成績に有意差があるかどうか検証する必要があるが、その結果はおそらく私たちの仮説を裏付けるものとなるだろう」(『教育』より)
主人公の「私」は、学校の中の価値観に全く疑いを持たずに生活している。そんな主人公をみていると、私たちが生きる現実の世界における教育も、ある種の妄信ではないかという気もしてくる。
「私が面白いと感じるのは、閉じられた世界を描いている小説。ただ『教育』では、今の日本とかけ離れた異世界を書いたつもりはありません。現実でもこういうことってあるよねという歪みを、アンプに繋いで大きな音で鳴らしているイメージです」
次回作は「美しさで階級が決まる社会」
次回作について語る時、インタビュー中で一番楽し気な表情を見せた。
撮影:伊藤圭
「次回作もディストピア小説と言われると思います」
遠野さんはすでに次回作の構想を始めており、それは美容外科医が主人公の「お仕事小説」だという。
「『教育』では超能力で階級が決まる学校を描きましたが、次は“美しさ”によって階級が決まる社会を描きます。学校から社会に、スケールを大きくし、初めて主人公も2人登場させる予定です。でも『教育』も構想とは全く違う話になったので、4作目も別の話になる可能性はあります」
どこまでも自然体を貫く遠野さんだが、インタビューの最後には、小説への自信ものぞかせた。
「書けば書くほど作品が面白くなっていくので、当然、次回作の方が面白いものになると思います。そう信じているから、作家としてプレッシャーは感じません。それだけの作品を書いている自負があるので」
遠野さんの新刊『教育』(1月7日単行本発売予定)は、「試し読み増量版」を現在電子書籍各ストアおよびWeb河出で配信している。河出書房新社の担当者は、「冒頭の53ページという異例の長さを現在無料で公開しています。本作を少しでも多くの人に読んでもらいたい」とPRしている。また2019年に第53回文藝賞を受賞したデビュー作『改良』も、2022年1月に文庫化される。
(文・横山耕太郎、撮影・伊藤圭)