2022年注目の経済学「マーケットデザイン」とは何か。気鋭の東大教授が語る

小島武仁教授

「日本にマーケットデザインを広め、社会課題を解決したい」と小島武仁教授は意気込む。

撮影:伊藤圭

少子高齢化、過疎地での医療の担い手不足、そして長く続いてきた「日本型雇用」の崩壊……。山積みになっている日本社会の課題を解決できる可能性を秘めた「役に立つ学問」として、ある経済学の新分野が注目されている。

「マーケットデザイン」。2020年9月には、東京大学にマーケットデザインセンター(UTMD)が新設され、企業や自治体と連携した理論の「社会実装」が目指されている。

その初代所長に就任したのが、小島武仁・経済学部教授(42)だ。

小島教授は、東大を経済学部総代(大内兵衛賞)として卒業後、ハーバード大、イェール大、スタンフォード大とキャリアをステップアップ。マーケットデザインの主要理論である「マッチング理論(※)」で2012年のノーベル経済学賞を受賞したアルヴィン・ロス氏らとともに数々の研究成果を発表してきた。

マッチング理論…人と人、人とモノを最適に組み合わせる仕組み。法律や倫理的問題などにより、お金のやりとりのできないケースを主に扱う。これに対し、お金のやりとりができる状況には「オークション理論」という手法があり、こちらも2020年のノーベル経済学賞を受賞している(参考:東京大学マーケットデザインセンター公式サイト)。

マーケットデザインで社会はどう変わるのか。東大への“電撃移籍”から1年あまりで見えてきた景色を、小島教授に聞いた。

保育園の待機児童も解決できる“経済学”

小島武仁教授

撮影:伊藤圭

そもそも、マーケットデザインとは何なのか。小島教授はこう定義する。

「一言でいえば、世の中にさまざまある『資源』を望ましく配分するために、どう社会制度を設計(デザイン)すればいいかを考える学問です

小島教授も専門とする「保育園の待機児童問題」はその好例だ。

保育園に行きたい人の数に対して、供給数(入園可能な児童の数)は限られている。

古典経済学で考えると、需要に対して供給が不足しているケースでは価格が高くなるため、自然と多くのお金を出せる人しか保育園に行く選択肢を取れなくなる。

しかし現実の社会の大半は多くのお金を払った人から行きたい保育園に行ける、という仕組みにはなっていない。

「では、どうすればいいのか。お金だけでは解決できない、人のいろいろな欲望を調整する制度をどう作るか。どう制度設計をするとなるべく多くの人が幸せになるのか、を考えるのがマーケットデザインだといえると思います」

保育園の例でいうと、待機児童数や入所児童の希望順位などをデータ化し、小島教授らが考案したアルゴリズムを使ってマッチングの最適化をすることで、より多くの子どもを希望する保育園に割り当てることができたという。

「神の見えざる手」は人間が作っている

このように、マーケットデザインが脚光を集めている理由のひとつに、「古典経済学の前提を疑う」という発想そのものがある。

古典経済学では、アダム・スミスが提唱した「神の見えざる手」という言葉がよく知られている。

神の見えざる手とは、個人が自由にモノを売り買いすることで、まるで神様が導いたかのように全体の需給が保たれ、経済は成長していくという考え方だ。だからこそ、古典経済学では政府は極力市場に介入せず、「自由放任であれ(レッセ・フェール)」 —— と主張していた。

需要曲線と供給曲線

古典経済学では、売りたい人と買いたい人が利己的に行動すれば、神様が導いたかのように需給が保たれる(神の見えざる手)と主張する。

画像:Shutterstock

けれど、と小島教授は言う。

「いわゆる自由放任(レッセ・フェール)の市場なんていうものは、実際の世の中にはあまりないんです。多くの市場には法律の規制があったり、社会通念上の縛りがあったりします。さらに、『売りたい人と買いたい人がたくさんいてお金で需給を調整する』という、典型的な市場ではない市場もたくさんあります

本場アメリカを中心に、いまマーケットデザインは続々と社会実装が進んでいる。

先述の通り、2012年には「マッチング理論」、2020年には「オークション理論」にノーベル経済学賞が与えられた。これらはいずれもマーケットデザインの中核を占める理論だが、受賞にあたっては、理論とともにその「社会への応用」も評価の対象になった。

「神様が見えざる手で何か決めているわけではない。人間がその仕組みを作っているんです」

ワクチン接種予約はどう解決できたか

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撮影:伊藤圭

マーケットデザインの学問的な始まりは1960年代にまで遡ることができるが、当時は主に数学者らによって議論された「おとぎ話のような話」(小島教授)であり、実用性に乏しかった。

しかしコンピュータが発達しビッグデータを扱えるようになったことで、1990年代から、その社会実装が急速に進んでいる。

記憶に新しいのは、新型コロナウイルスワクチンの接種予約時に起きたパニックだ。

多くの人がパソコンや電話の前で待ち構え、予約が開始された瞬間にネットや電話回線にアクセスが殺到し、ほとんどの人がつながらない……。そんなニュースを覚えている人も多いだろう。

こうした事態も、先述の「マッチング理論」を使えば解決できた、と小島教授は言う。

「根本的な問題は、予約枠が先着順であったことです。誰もが一斉にかけたことで、結果として電話がつながらず、すべての人にとって望ましくない状況が発生した。この問題は、先着順ではなく抽選や、年齢などによる優先順位に従って予約を取ることで解決できます」

さらにワクチン接種日に関しても、先着順に予約を取っていくのではなく、希望日を複数出してもらえば、皆が受けられる最適なスケジュールをアルゴリズムで組むことが可能になる。実際、小島教授もいくつかの自治体の予約システムのカウンセリングにあたったという。

各自治体における3度目のワクチン接種開始が迫る中で、こうした構造的な問題を解決していくことは喫緊の課題といえる。

ワクチン接種の事例であれば「より迅速に、多くの人に予約をしてもらう」ということが目的だった。その目的に対し、どんなシステムが最も効率的で多くの人がストレスなく予約できるのか。それを設計(デザイン)しようとする発想は、まさにマーケットデザイン的考え方だといえる。

マーケットデザインにもある、限界

岸田文雄

「18歳以下に10万円給付」などはマーケットデザイン で解決しづらい分野だ。

Yoshikazu Tsuno/Pool via REUTERS

その他にも、マーケットデザインの考え方が活用されている場所は社会の随所にある。

例えば企業内の人事異動。グーグルではマッチング理論のアルゴリズムを使い、異動を希望する社員を同時期に集め、異動先とマッチング。これにより、部署間の人材の流動性を高めることに成功したという。

他にも、全国の医師の病院への配属、臓器移植のドナーと患者のマッチングなど、一見すると市場(マーケット)とは呼べないような「お金を介さない」資源のやりとりにまで、マーケットデザインが活躍している。

一方で、マーケットデザインにも“限界”はある。

まず、すでに支給が始まった「子育て世帯(18歳以下)への10万円給付」だ。

政府は当初、5万円を現金、5万円をクーポン券での給付とする方針を固めていたが、複数の自治体が10万円の全額現金給付を要望し、政府は方針変更を余儀なくされた。この10万円給付を経済学的な視点で見ると、どのような給付方法が最も効率的と言えるのだろうか

一般的な経済学者の視点で見ると、現金給付の方が望ましいと教授はいう。事務コストがかさんだり、資源が効率的に配分されない恐れもあり、また給付対象の絞り込みも簡単ではないからだ。

「(マーケットデザインは)必要なモノを必要な人に配る、という最適化はできますが、お金はみんな欲しいものなので、最適な配分は難しいですね。マイナンバーカードの“お化け”のようなものが出てきて、全員の所得が把握できれば、その捕捉も可能になるとは思いますが、まだ現実的に厳しいのでは」

さらに、一般的な新卒採用市場や転職市場など、中心的に取りまとめている人や機関が存在しない市場もマーケットデザインが介入しづらい分野だ。

一方で、全国の病院と医師のマッチングなど、ある程度中心となる「マッチメイカー」がいる分野は得意とするところ。小島教授は、マーケットデザインが活かせそうな分野として、東南アジア諸国(インドネシア・フィリピン・ベトナム)からの、EPA(経済連携協定)を介した外国人看護師・介護福祉士の受け入れ制度を挙げる。

「これは(当事者間の合意があれば受け入れが可能な)外国人技能実習生制度とは異なり、看護師・介護士の配属先を決める中央機関が存在しているそうです。そうであれば、全員が望ましい配属ができるようにアルゴリズムを最適なものに変えることはできるはずです」

資本主義を中道から“デザイン”する

小島武仁教授

「資本主義的なロジックでは解決できない問題が起こったとき、ある意味で中道を行くにはどうすればいいか、は常に意識しています」

撮影:伊藤圭

「資本主義には限界が来ている」 —— そんな言説がメディアを賑わせるようになり、すでに久しい。実際、経済学においても「市場の失敗(※)」をどう克服するかは大きなテーマだ。

市場の失敗…資本主義(自由な競争)市場の中で、資源の効率的な配分が行われなくなった状態のこと。独占や寡占、公害などの環境問題、貧困、地方格差なども「市場の失敗」に含まれるとされる。

小島教授によると、こうした失敗を克服するために、伝統的な経済学では「理想的な制度を設計するにはどうすれば良いか」と考えてきたという。

例えば、二酸化炭素の排出量を削減するために炭素税(カーボンプライシング)の導入を進める施策などは「市場の失敗」を解決する典型的な手法といえる。

「あえて大げさに言うならば、伝統的な経済学は、あたかも(机上の)理論が簡単に現実でも動かせるかのような政策などを出してしまいがちだった。一方でマーケットデサインは、市場は不完全で、直したいところもたくさんあるけれども、そうは言っても直せない事情もあるよね、と考えることからまず始まります」

「資本主義的なロジックでは解決できない問題が起こったとき、それを資本主義の枠組みに無理やり当てはめようとはしない。かといって完全に諦めて社会主義にしようともしない。ある意味で中道を行くにはどうしたらいいか、ということは常に意識しています」

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