今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
現代は、「起業」の手段もスタートアップを立ち上げるだけでなく、M&A、副業、スモールビジネスなど手段が多様化してきました。では、どれがいまの時代にふさわしいのでしょうか。入山先生が解説します。
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会社が安く手に入る時代
BIJ編集部・小倉
先日、Business Insider Japanで『お悩み哲学相談』を連載している作家の佐藤優さんと、約30人の読者が交流するオンラインイベントが開催されました。夜の10時から夜中の3時まで5時間ぶっ通しでしたが、誰一人寝落ちすることなく、大好評のうちに終了しました。
そのとき、大企業に10年勤めたという読者の方から佐藤さんに、「起業しようと思っています。何から始めればいいですか」という質問があったんですね。
それに対して佐藤さんは、「ゼロイチで起業するのではなく、いまの時代は300万円とか400万円くらいで会社が買えるのだから、まずは安く会社を買って、そこから始めたほうが成功確率が上がる」と答えていたんです。
「いまは1億円、2億円を資金調達するスタートアップが注目を浴びているけれど、そうではなくて小さい会社を買ったりM&Aをしたりして、まずは仕組みをつくって売り上げを出すのが大事だ。大企業に10年も勤めていたなら仕組みづくりができるはずだ」と。
入山先生、このアドバイスについてどう思われますか?
佐藤優さんの考えはたいへん面白いと思いますね。実際、いまは「会社を安く買える時代」なんですね。ただし会社といってもピンキリで、佐藤さんがおっしゃっているのは、おそらく後継者がいない零細事業などのはずです。いずれにせよ、いまは安い金額で買える会社は、日本に山ほどあると思います。
ただしそういう会社は後継者不足だけではなく、何かしら課題があるからこそ売りに出されることも多いのです。買ってみたら意外な負債があったとか、工場がアスベストの規制に引っかかる建物だったとか。
経営理論で言えば、これは「情報の非対称性」の問題です。だからこそ、とことんよく調べて、質のいい会社を買うことが大事です。いわゆるデューデリジェンスですね。
さらに言えば、そういう会社は、事業として伸びない可能性も高い。例えば町の零細の文房具屋さんを買収したとしても、いまから大きく伸びる可能性は少ないでしょう。もちろん大改革をすれば別ですが、そのままでは難しい。
逆に言えば、いまベンチャーが億単位の資金調達ができるのは、ベンチャーの多くが取り組む分野が「これから伸びる分野のビジネス」だからです。
ですから佐藤さんが言うことはその通りだけれども、そういうリスクがあることも考えておくべきだと思います。
経営をしてみたい人には絶好の機会
僕は、「すでにある会社を買う」のと、「ゼロから起業する」のと、どちらがいいかは自分が何をしたいかによると思います。
「新しいIoTを使ってこんなサービスを提供したい」というような場合は、いままでにないことをやろうとしているわけだから、自分で投資家にピッチをしてお金を集めて起業するしかない。
一方で、いますぐ「とにかく会社経営をしてみたい」のであれば、佐藤さんのやり方はとても理にかなっていると思います。300~400万円で小さな会社を買ったほうが、経営の経験は間違いなくできるでしょう。
すでに従業員やお客さんがいるような、できあがった会社を回していくことで、事業計画の立て方や営業の仕方、財務諸表の読み方などを実地で経験し、勉強できるからです。
僕は2冊目の著書である『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』で、スウェーデンなどを対象とした研究を紹介しています。それによると先に副業で始めた事業は、成功する確率が高い。
なぜなら副業でやってみることで経験値も積めるし、そのビジネスの将来性も分かるからです。それにもしうまくいかなくても、本業が残っているから、いきなり食いっぱぐれることがない。人間が最も恐れるリスクは、食いっぱぐれることですからね。
だから副業で試しにやってみるのは、いい方法だと思います。そこで何年かやってみて、本当にいけそうだったら本業を辞めて独立すればいい。
僕はそういう起業を「ハイブリッド起業」と呼んでいます。佐藤さんが提案する方法は、このハイブリッド起業としても面白いと思いますよ。
BIJ編集部・小倉
本格的な起業の前の練習にもなるわけですね。
そうですね。言い方は悪いけれど、実験ができるわけです。
しかしM&Aや買収をした後は、必ずPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)といって、従業員やお客さんや古びた工場・店舗などを、ある程度改革しないと伸びない。むしろ、それを前提に買うといってもいいかもしれません。
その結果、続けられそうなら続ければいいし、そうでなければ、またそれを売りに出して、別のことをやってもいい。その経験をもって次のステップに行くこともあるでしょう。
ただし、繰り返しですが、安く売り出されている会社には課題があることが多い。買ったら自動的にお金がすぐに入ってきて儲かるという世界では、多分ないと思います。
BIJ編集部・小倉
でも、すでにできている会社を買うわけですから、いい会社があれば、ゼロから起業するよりラクかもしれませんね。週末や平日夜だけ働く副業であれば、なおさら気軽に始められそうです。
それこそ小倉さん、やってみたらどうですか? ご自分の興味のある事業で、300万円くらいの会社が売りに出されているかもしれませんよ。
BIJ編集部・小倉
いいですね、やります(笑)! とはいえ、やっぱり編集者ですから、未経験の仕事を始めるより、出版社が100万円くらいで売りに出されていたらぜひ買ってみたいです。
BIJ編集部・常盤
自分の強みを生かした副業で、横展開していくのは理想的ですよね。それに副業をすると、そこから得たスキルや経験を本業に生かすことができると思うので、個人的には大賛成。小倉くんがどこかの会社を買って新しいことを始めたら、私は全力で応援しますよ。
BIJ編集部・小倉
そのときは幹部クラスで常盤さんをお迎えしますね(笑)。
自己表現としてのスモールビジネスが増える
僕はこれからの起業は、おそらく二極化してくるのではないかと思います。かたや時価総額何千億円とか、何兆円を目指すようなビッグベンチャー。その一方で増えてくる可能性があるのが、「自己表現としてのスモールビジネス」です。
最近、こんな面白い話を聞きました。新宿のゴールデン街では、コロナになってから閉店するお店が増えたため、かなりテナントが入れ替わったらしい。
その新しくできたお店のいくつかは、若い女性の方々が経営するワインバーなのだそうです。実は僕の周りでも、気軽にスナックを始める人が出てきています。
おそらくこういう小さな事業をする人たちは、「気心の知れたお客さんと、自分の世界観(=店舗)を作って、おいしいワインを楽しみたい」というような、自己表現の手段としてやっているのではないでしょうか。
別に何千億なんてビジネスをする気はない。だけど本当にやりたいことを、自分の好きなようにやりたい。そう思っていたら、たまたまコロナでゴールデン街の閉店したお店が安く借りられたのではないか。
こういうビジネスをするのであれば、手頃な会社を買ったほうが早い、というパターンもあるのかもしれませんね。
BIJ編集部・小倉
起業のやり方も多様化していますね。自分の人生のゴール設定から逆算して、働き方を決めていけばいいのかなと思いました。
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。