撮影:伊藤圭
口に含んだ瞬間、「海鮮丼が食べたい!」と思った。
早稲田大学発の昆虫食スタートアップ「ecologgie(エコロギー)」が大分県日田市にある老舗の醸造所マルマタ醤油と共同開発した、「蟋蟀(こおろぎ)醤油」のことだ。
驚くほど濃厚な旨みがあり、だし醤油のような甘味も感じる。大豆で仕込んだもろみとコオロギ粉末とをともに約1年間かけて発酵・熟成し、2021年11月末から販売を開始した。うま味の元となるタンパク質成分が、同醸造所で作られる本醸造醤油との対比で1.5倍含まれているという。
栄養満点のコオロギ粉末をカンボジアから
提供:エコロギー
2050年に世界の人口はほぼ100億人に達すると予測され、人々の食糧、とりわけタンパク質が不足すると言われている。エコロギーの創業者でCEOの葦苅晟矢(28)は、代替タンパク質の切り札として新感覚の昆虫食を投入する。蟋蟀醤油は、昆虫という原料の奇抜さや面白さではなく、味と栄養価で勝負したい。葦苅はそう意欲をのぞかせる。
実際、昆虫はどれほど栄養価が高いのか?
コオロギ(エコロギーの粉末)を例に挙げると、タンパク質が100グラム換算で65.6グラムを占める。ビーフジャーキーの54.8グラム、アスリートに人気の高い高タンパク食である鶏ささみ(ゆで)の29.6グラム(ともに日本食品標準成分表2020年版より)と比較しても、昆虫がかなりの高タンパクだとイメージできる。アミノ酸やカルシウムは、牛乳よりも多い。鉄分やB12、オメガ3も豊富だ。さらに亜鉛は16.7グラムで、全食品中トップ3である小麦胚芽を上回る含有量なのだ。
エコロギーを法人化したのは、葦苅が早稲田大学の大学院に在学中だった2017年のこと。2019年からは活動拠点をカンボジアに移した。
「カンボジアの人たちは昆虫を常食としていて、屋台で普通にコオロギとかタガメ、バッタなんかを売っています。日本でも最近は、グロテスクな虫の形状を残すスナック菓子などが時々話題になりますが、まだ、昆虫食はキワモノやエンタメのコンテンツの域を越えておらず、パーティグッズなんですよね。私たちは『社会課題のど真ん中』のところを見据えて、健康に、エコに、おいしい栄養補助食品としての昆虫食のバリューを伝えていこうと思っています」(葦苅)
今回のインタビューは、葦苅の帰国に合わせ、2021年12月上旬に東京で行った。顔や腕がうっすら小麦色に焼けていた理由を尋ねると、葦苅は「残念ながら、リゾート焼けではないですね」と相好を崩し、カンボジアでの暮らしぶりに触れた。
「僕は普段、首都プノンペンに住んでいるんですが、お世話になっている農家のおっちゃんやおかあちゃんたちがいるタケオ市まで車で2時間かけて通っているので、日常生活での日焼けでしょう。『もう、これ以上足を突っ込んだら、もはや都会の日常に戻れないんじゃないか』と思うぐらい現地の人とがっつり語らい、ウェットな人間関係がある現地の社会にも溶け込んでいますよ」
家畜より圧倒的にエコに飼育
カンボジアでエコロギーが契約するコオロギ農家。葦苅は1軒1軒を自ら巡り、現地相場よりも高値でコオロギを買い取る。
提供:エコロギー
「社会課題のど真ん中」を狙うエコロギーの真髄は、“エコなコオロギ”という社名のダジャレに込められている。コオロギによるビジネスで、食糧問題と環境問題両方の解決を目指している。
そもそも昆虫は、少ない餌と水で「エコに」生産できる。昆虫食の研究でよく引き合いに出される数値を挙げると、1キロの牛肉を生産するのに22トンもの水と、11キロものエサが必要なのに対して、1キロのコオロギの生産には水は4リットル(牛肉の0.01%)、エサは1.7キロ(同15%)使うだけで済む。
さらに昆虫は、極小のスペースで効率的に生産できることから、生産の過程で排出される温室効果ガスが桁違いに少ない。温室効果ガスの排出量を比べると、牛肉1キロの生産あたり2.8キロなのに対して、コオロギ(同社の粉末)は0.1キロ(わずか4%)しか排出されない。
葦苅と話していると、ガツガツした印象は全くない。なのに、取り組む事業スタイルは、実に野心的だ。目指すところは、究極のサーキュラーフードの構築。あえて、サプライチェーンの上流である生産に挑戦した。コオロギが持つエコな側面を生かしつつ、コオロギ生産の担い手発掘のため、途上国の農村を巡る。エコロギーが関与することで地域経済も回り、生産する人の輪も循環する。
2025年までに年間3000トンのタンパク質創出
撮影:伊藤圭
だからこそ葦苅はこの3年間、カンボジアで一人暮らしをしながら、現地の農家を1軒ずつ訪ねて生産者のネットワークを作ってきた。資金的に苦しい時は、大勢が共同で生活するドミトリールームに長期滞在し、1日の宿代を300円に抑えてしのいでいた。
ただし、現地の人との交渉が最初からうまくいったわけではない。葦苅が農村地帯のタケオ市に分け入った頃は、外国人というだけでよそ者扱いされたという。
「最初は日本人自体を知らないところから始まりますよね。農家さんと酒を飲んだりしながら、まず信頼してもらわなければならなかった。僕は、『こいつはコオロギのこと、詳しいんだ』と見てもらえるようになるまで、2年もかかってしまいました」
今ではエコロギーは約50軒の現地農家と連携。彼らに技術的なノウハウを提供しながら副業としてコオロギの生産を委託し、同社が生産物を買い取り、彼らの所得向上にも努めている。同社はこうした分散型、かつ循環型の手法を用いて2025年までに年間3000トンのタンパク質を昆虫から創出すると宣言している。
葦苅は、泥臭い試行錯誤を経て培った生産農家との信頼関係が、今後はビジネスを優位にする武器になると考えている。品質の高い昆虫食を量産できる生産体制の構築こそが、このビジネスの肝だからだ。
最近では大手食品メーカーも昆虫食ビジネスに関心を寄せ、社員を現地に送り込むケースも見受けられる。だが、多くの人がカンボジアでの生活環境の厳しさに音をあげ、生産拠点を築く前に引き揚げてしまうのだと葦苅は言う。
「少なくとも、現時点でカンボジアの農家に食い込んで、分散型で大規模なコオロギの生産拠点を築けた日系食品メーカーは、僕が見る限り我が社の他にないと思います」
年84トンのフードロスが飼料に
ビール醸造工場では、麦芽の残りかすが大量に廃棄されている。エコロギーはコオロギの餌の供給源の一つとして目をつけた(画像はイメージです)。
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葦苅が昆虫食の中でも、あえてコオロギを対象に選んだのは、「桑の葉を食べる蚕みたいに美食家ではなく、雑食だから」だという。コオロギは食品工場から出る不良品や農家が廃棄した野菜くずなどの非収穫部、ビール工場で排出される麦芽の残りかすなど、何でも食べる。エコロギーでは、コオロギの飼料として年間84トンのフードロスを活用。さらに5年後には、カンボジアの首都プノンペン市の廃棄物の約3%に当たる、5.2万トンのフードロスを活用していく考えだ。
食糧、健康、環境、地域経済……と全方位に持続可能性を追求する葦苅に、私は一つの質問をぶつけてみた。
地球規模のディープイシューの解決は、将来、世界にインパクトをもたらす貢献ができるかもしれない。その半面、長期戦を強いられる。高い志を維持し続けられるのはなぜなのか?と。
「結局、コオロギがつないでくれた『生命資源と人とのつながり』に、僕はこのビジネスの良さを見出していったわけですね。最初は東京のワンルームマンションで僕がコオロギを飼って、そのおかげで人の循環がどんどん広がって僕は起業家にまでなった。カンボジアで農家の方々とも会えたし、日本では醤油屋さんとも会えたし。僕にとっては、全てコオロギのおかげなんです」(葦苅)
私はこの言葉を聞いて、目の前に立ち現れる状況や人の縁を感受し、苦労さえも「良さ」に昇華してしまう彼の器の大きさを感じた。
もともとは、没個性で自分の色を出せずに苦しんでいたタイプなのだという。そんな葦苅が、なぜコオロギを飼い出したのか? 起業家マインドに火をつけたのは、何だったのか? 事業化の過程で、どんな縁を手繰り寄せてきたのか? 次回以降、生い立ちからビジネスを構想、着地するまでの人生模様について詳しく述べる。
(敬称略・続く)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。