撮影:伊藤圭
医師になりたい。期待を膨らませて進学したのは、鹿児島県の名門ラ・サール高校。地元の大分県日田市を離れ、学生寮での生活が始まる。キラキラした3年間を送るはずだった。
だが、葦苅晟矢(28)は、自身の高校時代をこう振り返る。
「負の3年間だったというか、あまりいい思い出は正直ないんです。天才に囲まれて、自分は学力も個性も含めて常に平凡以下になってしまった。個が強い人たちがギラギラしていて、どちらかといえばおとなしめの自分は、個性を出すのに苦しみました」
模擬国連で「バイブル」と出合うも…
「模擬国連 早稲田研究会」での葦苅。この時はチームを作り、パキスタンの大使になった想定で、地雷問題の解決について提言している。
提供:エコロギー
成績は伸び悩み、いつしか医師への夢は諦め文系に転向。一浪して早稲田大学へ入学した。商学部に進学したのは、「複数の学部を受験して、唯一受かったから」で、初めから起業を意識していたわけではなかった。
ところが大学生活で思わぬ経験から起業の道に踏み出していく。きっかけを作ったのが、入学と同時に入部した「模擬国連 早稲田研究会」のインカレサークルでの経験だ。模擬国連とは、実際の国連の会議を真似て、学生が国際問題を一国の大使になりきってディスカッションするという活動だ。葦苅にはこのサークルが水に合い、「大学時代の居場所になった」。
大学2年の時の模擬国連で、食糧をテーマにしたことがあった。その前年、2013年に国連食糧農業機関(FAO)が「食用昆虫類:未来の食糧と飼料への展望」という全201ページに及ぶ報告書を公表していた。
将来的に牛、鶏、豚など、タンパク源としての家畜が不足することから、「栄養価が高く」「環境への負荷も少ない」昆虫を人が食べること、もしくは魚粉の代わりに昆虫食を家畜用飼料に使用することを推奨していたのだ。後に葦苅が昆虫食のスタートアップ「エコロギー」を学生起業するにあたり、このFAOの報告書こそがビジネスの種になり、後に彼のバイブルになる。
サークル活動を通じてこの報告書をほぼリアルタイムに目にしており、昆虫食の可能性を知った時期は早かった。ただし、「その頃、特段『意識が高い人』というわけではなかった」という葦苅は、「せっかく昆虫食のことを知っても、へー面白いと読み流して、そのまま塩漬けにしていました」。
一人だけゼミ不合格で「崖っぷち」
大学3年次の葦苅は、20年近く開催されている無料の起業家養成講座「アントレプレナーシップ論講座」に飛び込んだ。
「アントレプレナーシップ論講座」公式サイトよりキャプチャ
多くの学生は、大学3年生から就職活動を見据えて自分の学部のゼミに入る。模擬国連のサークルで副幹事長を務めていた葦苅は、活動に打ち込みすぎたのか成績が届かず、希望していた商学部のゼミはいずれも不合格になった。しかも所属していたサークルは、大学2年の12月に引退する倣いだ。
「サークルの仲間は学部こそ違えど、みんな看板ゼミに入って、就職への道一直線という雰囲気でした。なのに、僕は宙ぶらりん状態になってしまった。このままいったら自分は就職もできないし、やることもなくなると、正直焦りました。崖っぷちに立ち、自分の中にようやくハングリー精神が生まれたんです」
こうなったら、大学の学部を飛び出した場所で何とか実績を作ろう—— 。必死に探索すると、「アントレプレナーシップ論講座」という文京区の区民会議室で開催されていた学生向けの無料の起業家養成講座を見つけた。もともとは東京大学の大学院生向けに開かれていた知財専攻の講座だったが、当時からすでに他大学の学生も受け入れていた。
2015年、大学3年の時に一念発起してこの講座を履修した。主催者は、東大工学系研究科の元特任教授/非常勤講師で元日立製作所のエンジニアの柴田英寿だ。受講した卒業生からは、ゲノム医療をシステム面で支援する「Xcoo(テンクー)」、AIやスマートロボットに強みを持つ「Cyber Robotics」など多数のスタートアップを輩出している。
葦苅は、視野を広げマーケティング的な思考力を身につけるなど、「とにかく何でもいいから実績を積み上げること」を重視していた。内心、就職に少しでも有利になれば、とも思っていた。
「入ってから気付いたんですけど、それが起業を考えている人には打ってつけの、バリバリ実践型の起業塾だったんです。講座名をみれば当たり前ですよね」
「君は本当にそれがやりたいのか」
実践レベルでのビジネスプランの発表がゴールであり、ハードにアウトプットを求められた。毎週プレゼンテーションを繰り返す。プレゼンが終われば、また次のプレゼンに向けて準備に追われる。学生にはそれぞれメンターがついて、メーリングリストでのやり取りを通じて毎晩夜中まで議論する。メンターが投げた問いに必死に応答する。
「まるでテニスの『壁打ち』のように事業プランを練り上げていった」と葦苅は振り返る。それまでの葦苅なら、少人数で双方向にコミュニケーションとアクションが求められる講座は「なるべく避けていた」というが、この時は背に腹を変えられなかったのだという。
撮影:伊藤圭
「メンターには常に『それは実現可能なのか』『君は本当にそれがやりたいのか』と問われる。『本当の自分は何をやりたいんだっけ?』と内面に向き合う。毎日が挑戦でしたね。『プレゼンはスキルではなく練習だから、25回繰り返す!』と言われたら、本当に四六時中ブツクサ呟きながら25回実行していました(笑)」
当時、葦苅のメンターを務めたのが、この講座の卒業生で東大の特任助教だった浜松翔平(37、現・成蹊大学経営学部准教授)だ。経営学を研究テーマとしており、普段の教員の仕事とは別に、この講座のメンター役を手伝っていた。
浜松は、学生時代の葦苅の印象をこう話す。
「最初のころは、自分のことをアピールするタイプではなくて、内なるものを秘めている内向的な人だなという印象でした。ただ、私と1対1でやり取りしてみると、問いを投げればすぐに打ち返してくる。仕事ぶりは真面目で、真摯に課題に向き合っている人だと分かった」
世界最大のビジコン日本大会でいきなり優勝
実は、昆虫食の事業は、葦苅にとってバックアップのプランだった。メインで出していたプランは、検討を重ねるうちにビジネスになりづらいことが明らかになっていった。模擬国連の経験からが葦苅が捻り出してきたアイデアが、「昆虫食」と「地域おこし」とを同時に実現する事業プランだった。
「同じチームの学生が1人抜け、2人抜け、最後は葦苅君だけになった。それでも彼だけは必死に食らい付いてきて、検証を重ねながらプランをどんどん更新し続けていったんです。地域のフードロスをコオロギの餌に活かせば地域おこしにもつながると、実際自分でコオロギを飼って実証しました。
そのうえ大分県にある魚の養殖業者を訪ねて、昆虫が魚粉の代替の栄養源として有力であることを確認してきた。地球の水産資源が限られる中、魚粉の使用率を下げることは、世界的な課題になっていますから」(浜松)
葦苅がたどり着いたビジネスプランは、コオロギを養魚飼料として活用すると同時に、食用としても需要を喚起するというものだ。アイデアの斬新さと実現性、社会貢献度の高さで評価を得た。その講座内の発表にとどまらず、同年秋に世界最大のリーンスタートアップ式ビジネスプランコンテスト「インターナショナル・ビジネスモデル・コンペティション」の日本大会に出場。いきなり優勝を果たした。
「壁打ちの過程で、輸送ビジネスなどいろんなビジネスのアイデアはあった。けれど、『自分が手がけている感』が打ち出せたのは、唯一昆虫食のプランだった。僕はようやく、自分の色を出せて、自分が汗かいて取り組めるライフワークを見つけられたんです」(葦苅)
波に乗った葦苅は大学院入学のタイミングで創業する。だが創業前も創業後も、次々に大きな壁が待ち受けていた。
(敬称略・第3回に続く)
(第1回はこちら)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。