撮影:伊藤圭
早稲田大学3年生の時、東大大学院の講座を前身とする「アントレプレナーシップ論」講座の門戸を叩いた葦苅晟矢(28)は、いつしかビジネスプランの磨き上げに夢中になっていた。
その過程で、葦苅がコオロギを飼い始めた動機は単純だ。講座の学生チームそれぞれに複数付くメンターたちとの間で交わされる議論の中で、「コオロギは本当に飼育しやすいのか?」と問われたからだ。
葦苅は、すぐさま自宅のワンルームでコオロギを飼い始めた。かつて、自身が所属していた模擬国連のサークル活動で読んだ食糧農業機関(FAO)の分厚い報告書を引っ張り出して読み返す。すると、コオロギは雑食と明記されている。差し当たり野菜くずなどを与え、手探りで育てていった。コオロギが増え、虫かごがいっぱいになったら、透明の大きな衣装ケースに移し替えた。数百匹レベルならば、ごく簡単に増やすことができた。
「コオロギが雑食で飼育面積を取らずに生産できるとFAOの報告書に書かれていたけれど、本当に狭い場所で大丈夫だし、育てやすいなと。ただ、友達が遊びにきた時はケースごと押し入れに突っ込んで、飼っているのがバレないようにしていましたけれど(笑)」
海洋資源の食い荒らしを止める
水産養殖は、餌として大量の海洋資源を必要とし、餌の調達の難しさや環境への負担が問題視されている(写真はイメージです)。
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コオロギが将来の有力な代替タンパク源になりうるとはいえ、世界中で常食となるには時間がかかる。葦苅が、コオロギを養魚飼料として活用する方向性を示したのは、いくらコオロギを増やせても、マーケットがなければビジネスにはならないからだ。
2015年の8月、マーケット探索のため、葦苅の地元である大分県の養魚業者を訪ねた。当時ニュースにもなっていたように、養魚の主要な餌である魚粉の高騰で養魚業者が困っているという実態は確かにあった。さらに、業者へのインタビューを通じて、そもそも地球環境の観点から、代替タンパク源への移行が急務であると葦苅は実感したのだった。
「ペルーなどの漁場に出て行って小魚をガバっと獲ってきて、日本の近海でおいしいタイとかブリを育てている。僕が強く感じたのは、有限な海洋資源である小魚を餌にして私たちが食べる魚を育てる水産養殖の構造自体がいびつだということ。このままでは地球環境は成り立たないよなと思ったわけです」
コオロギを飼う体験と養魚業者探訪による検証結果をプレゼンに盛り込むと、聞く側が前のめりで自分のプレゼンに耳を傾けてくるのがわかった。
「虫かご入りのコオロギをドーンと置いて『飼育が簡単でこんなに増える。自由度も高くて、これが魚の新しいエサになり、いずれは人間のタンパク源にもなりうる』と伝えると、手応えが違った。自分のアイデアが初めて認められているという充足感はありましたね。だからこそ、このビジネスを心からやりたいという思いが高まっていったんです」
葦苅のメンターを務めていた浜松翔平(37、現成蹊大学経営学部准教授)は、彼のプレゼンがめきめき上達するのを目の当たりにした。
「おとなしめだったのに、こんなに面白いプレゼンができるようになるんだという驚きがありましたね。そう思わせたのは、実際に葦苅君自身がコオロギを飼ったり、養魚業者を訪ねたりする行動力が大きいでしょう。実体験で分かったことを、率直な言葉でプレゼンに盛り込んでいた。やっぱり説得力が全然違うんですよ」(浜松)
コオロギ片手にビジコンで続々優勝
「アントレプレナーシップ論」講座では、飼育するコオロギの虫かごを持ち込んでプレゼンした。
撮影:伊藤圭
葦苅の情熱に呼応するように、浜松は物資でも惜しみなく支援をした。愛知県の農協から野菜をどっさり調達して、葦苅の自宅に手配したという。浜松は、当時を振り返る。
「葦苅君自身も食べないとどうしようもないぐらい大量の野菜を送っていましたね。キャベツ1箱分とか、コオロギだと相当量飼っていないと消費できなかったんじゃないかな(笑)」(浜松)
人間の飽食のために、魚に大量の魚を食べさせるのはおかしい。海洋資源の循環を壊すほどの食い荒らしを止めるために、新しい循環を作り出したい。その課題を解決できる昆虫食が循環型のビジネスである点を認識させるために、どんなネーミングをすればよいか—— 。
最終プレゼンを目前に控えた時期に、葦苅は浜松とランチの場で話し合った。「エコロジーに役立つコオロギだから、エコオロギ?」などとダジャレを言い合ううち、「エコロギー」という名称のアイデアが2人の議論の中で生まれた。浜松からは、「エコロギーか。ソーシャルなビジネスとして成立するし、葦苅だからこそできる事業だね」と太鼓判も押された。
「浜松先生は、半年間の講座を僕に併走してくれた恩師であり、会社の名付けの瞬間も共有した、生みの親みたいな存在です」(葦苅)
飼育が簡単で安価なコオロギを水産養殖業の魚粉に代わる新たな餌とするビジネスモデル「昆虫飼料活用による食糧循環型システムの確立」を打ち出した葦苅は、この「アントレプレナーシップ論」講座で最優秀賞を射止める。
2015年秋には、早稲田大学ビジネスプランコンテストでも優勝し、5000チーム以上が応募した、ハーバード大学やスタンフォード大学などの主催によるビジネスプランコンテスト「インターナショナル・ビジネスモデル・コンペティション」の日本大会決勝への出場権を得る。葦苅はなんと、この大会でも優勝を果たした。
これにより翌2016年4月、大学4年生の時に、米国シアトルのマイクロソフト本社で開催された世界大会に日本代表として出場を果たした。
ライバルたちは理系の修士たち。頭は真っ白に
シアトルで開催される「インターナショナル・ビジネスモデル・コンペティション」に日本代表としてやってきた葦苅だったが、評価は日本とは一転した。
撮影:伊藤圭
葦苅は、世界の檜舞台に立つにあたり英語のプレゼンに磨きをかけた。ところが、準々決勝からの参戦でいきなり敗退。歯が立たず、現地の学生とレベルの違いに圧倒された。
「日本では皆に評価されていたけれど、世界では通用しないという事実を突きつけられました。僕は話し下手だけど、日本で評価されて自信をつけて参戦したつもりでした。でも、自分は『とりあえずコオロギを飼ってみた』レベルにすぎなかったと思い知らされたんです」
そもそもビジコンに出場するような海外の学生は、大学発ベンチャーを作るのが標準コース。審査員から「ゲノム編集はどう考えているか?」などと専門的な質問を矢継ぎ早に浴びて、文系の葦苅は単語一つも分からず、頭が真っ白になったという。
「『あれ?自分は場違いなところに来たかもしれない』とさえ思いました。そもそも現地の学生は、バックグラウンドが理系の修士じゃないかと。彼らの発表には、自身の研究成果がデータとして反映されていて、問題の見つけ方や仮説検証の巧みさに圧倒されました」
しかも、その年に優勝したのは、養豚にIoTを組み込むビジネスのアイデアだった。世界の食糧問題の解消をテーマとしている点では葦苅も同じだったが、彼らは何歩も先に進んでいると感じた。先端領域における食のビジネスはバイオを制して初めて成立するような世界であり、一次産業というよりはディープテックのビジネス領域なのだ気づかされた。葦苅は落ち込みもしたが、むしろ刺激を受け、起業へと気持ちが傾いていく。
「一瞬挫折というか、僕は日本に帰ってどうするんだ? このままじゃやばいぞと。それともう一つ、自分のアイデアをビジネスにするなら、自分一人じゃ無理だと痛感した。アメリカでの体験を機に、本気で仲間を見つけないといけないと視座がグンと上がりました」
コオロギを食の資源として利活用するための実証研究に取り組みたいと、帰国後に大学院進学を決意。理転して、同大学院先進理工学研究科の朝日透研究室の門を叩く。2017年9月、大学院入学と同時にビジコンの助成金を元手に「エコロギー」を設立した。
朝日は生物物性科学が専門で、昆虫学の指導教員は神戸大学大学院農学研究科名誉教授の竹田真木生が担当した。その後、東京農工大学准教授の鈴木丈詞にもつながるなど研究ネットワークが広がり、現在、エコロギーの昆虫食にまつわる研究は、早稲田大学、東京農工大、長浜バイオ大学、お茶の水女子大学の4つの大学のチーム体制で推進している。
ところが、起業後に待ち受けていたのは、コオロギの量産1000匹の壁だった。研究目標に掲げていた「1000匹を超す飼育法」が、どんなに試行錯誤を重ねても構築できなかったのだ。
(敬称略・第4回に続く)
(第1回はこちら)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。