撮影:伊藤圭
コオロギの生産・加工・販売を行う大学発スタートアップ「エコロギー」CEOの葦苅晟矢(28)が、起業した2017年当初に苦しんでいたのは、量産化の壁だった。
既存の牛、豚、鳥などのタンパク源を代替する昆虫食の実現には、安価で安定的に供給できる生産体制の構築が欠かせない。量産化こそが最初にクリアしなければならない課題のはずだった。
だが、1000匹を超えると、自宅など身近なスペースでは飼えなくなる。生産拠点を大型の施設に移す際、安定的な生産を阻んだのは、日本の冬の寒さだった。葦苅にとっては苦々しい経験だ。
「コオロギは本来、省スペースで飼育しやすいんです。でも増えてくると、廃校や空き工場を借りて生産することになる。ところが、寒いとコオロギは育たなくなる。必然的に『冬になったら、暖房を付けるんですか?』というジレンマが生まれてしまうわけです。コスト高になるし、そもそもエコな生産を謳うエコロギーが暖房をガンガンに焚いて生産したら、意味がないよねという結論に至りました」
葦苅は「思わず手を貸したくなる人」
カンボジアのコオロギ飼育の現場に訪れるエコロギーCOOの池田健介。池田はもともと早大時代の模擬国連サークルの先輩だった。
提供:エコロギー
2017年9月に早稲田大学商学部から理転し、同大学院先進理工学研究科に進学。同時にエコロギーを設立した。経営者としても、研究者の卵としても結果が求められていた。にもかかわらず、それから冬にかけての半年間、量産化の課題に対しては打つ手がなく、もがき苦しんだ。
葦苅は藁にもすがる思いで、学部時代に所属していた模擬国連のインカレサークルの先輩である、池田健介(29、エコロギー現COO)に泣きついた。当時、池田は富士通総研で新規事業開発を支援するコンサルだった。池田は、「自分の場合、コオロギはちょっと育てられないけど、ボランティアで悩み相談ぐらいなら」とプロボノのように頻度高く話を聞くようになった。
「飲み会で葦苅が『昆虫で世界を変えたい』と言っていても、初めは『あいつが起業なんて』と酒の肴程度にしか話を聞いていなかった。彼は口下手だし、学部時代は印象が薄かったし。やがて彼は、各種のビジネスコンテストで賞を総なめにしていく。彼が生んだコオロギ食というビジネスが世の中で注目されていく。しかも、ビジョンが一貫していて、言っていることにブレがない。『実はすごいヤツだったんだ』と私も見る目が変わっていきまして。気づいたら、私もビジネスパートナーになっていたんです(笑)」(池田)
葦苅について「経営者としては危なっかしい」と率直に語る池田だが、2017年からコンサル業の傍らで徐々にエコロギーの事業に参画し始め、2020年初頭からは富士通を退職して専業で現職に就く。
「母性じゃないんだけど、思わず手を貸したくなる人なんですよ」と池田は目を細めながら言う。
Facebookを頼りにコオロギ農家と対面
コオロギ農家の元を訪れる葦苅。先輩の一言が、葦苅の運命を変えることになる。
提供:エコロギー
翌2018年、葦苅に朗報が入る。母校、鹿児島県ラ・サール高校のOBで構成される「ラサールベンチャー会」が定期的に東京で開かれており、新参経営者の葦苅も顔を出した。そこで、出会った東南アジアでビジネスを展開している先輩に悩みを相談すると、先輩は「ああ、カンボジアだったら、昆虫は食べられているし、飼っている農家は普通にいるよ」と気軽に話した。追い詰められていた葦苅にとっては、救いの手のような情報だった。
暖かい東南アジアで虫を飼えば暖房はいらないから、コオロギも育てられるかもしれない。そうだ!カンボジアに行こう—— 。
ラサールOBの情報を手がかりに、葦苅がネットで検索すると、カンボジアやタイにはコオロギを生産する「コオロギ農家」が多数いることを突き止める。とはいえ、どこに誰がいるかは皆目わからず、雲を掴むような状況ではあった。
葦苅は、コオロギ農家の人と直接会って話すことをミッションとする視察の旅を計画し、航空券を先に押さえた。出国2週間ほど前になり、「なけなしのお金で航空券代を払って現地入りするならば、手ぶらで帰るわけにはいかない」と考えた。池田に相談し、池田とともに、一軒でもアポを取ってから現地入りしたいと、可能性のありそうな人には片っ端からメッセージを送っていった。
突破口を開いたのは、Facebookだった。プロフィールや投稿内容から、「どうもコオロギ農家らしい」と見定めた10人ほどに英語で丁寧なメッセージをメッセンジャー経由で送ってみた。すると、そのうちの一人から返事を受け取った。このたった1本つながった細い縁を手がかりに、同年6月、葦苅はカンボジアへ飛び立った。
「切羽詰まっていただけで、行動力なんかじゃないですよ。当時の僕は、旅慣れてもいないし、航空券一つを取るのにもドキドキ。アポが取れた勢いのまま単身で現地入りしたわけです。東南アジアに1人で行くのも初めてで、内心は怖かったんですが……」(葦苅)
現地移住で出会ったCSO
CSO(最高戦略責任者)の髙虎男も早大OBで、2008年からカンボジアを拠点に起業していた。
提供:エコロギー
カンボジアの首都プノンペンから南へ車を走らせること、2時間。事前にネットを介してつながったコオロギ農家は、田園が広がる山村地域タケオ市に在住だった。ようやく会えた「リアルなコオロギ農家」との対面の瞬間だ。
彼らは高床式の家の軒下にレンガで枠を作り、そこに大きなボックスを置いてコオロギを飼育していた。「うじゃうじゃいるコオロギ」の光景は鮮烈だった。
「自分が自宅のワンルームで虫かごとか衣装ケースで1000匹育てるのに苦労したのを、彼らはこんなにうじゃうじゃ、数万匹だって簡単に育てているじゃないか!と。ローテクだけど、温暖な気候は理にかなっている。こうした農家をネットワークすれば、量産化は容易いと思いました」(葦苅)
この初回の視察でうまく交渉がまとまり帰国した葦苅は、2カ月後に出直した。念願の量産化を実現すべく、今度は本格的にカンボジアに住み始めたのだ。その際に出会ったのが、現エコロギーCSOの髙虎男(47)である。
髙も早稲田大学OBで、カンボジアでは農業事業を起業していた。池田が「助さん」なら、髙は「格さん」だ。葦苅が事業を応援する知人から借りた数十万円程度の所持金を頼りにカンボジアで暮らし始め、「コオロギで食糧問題を解決していく」と意気揚々と話すコンセプトに髙は共感した。
だが、話をよくよく聞いていくと、「この男、1人で大丈夫なのか」と不安になった。「ちょっと手伝うよ」と約束した経緯は、池田と酷似している。いつしか髙も、経営陣の一角を占める立場になっていた。
「葦苅は最初から地図を持たない経営者」
カンボジアの人たちと膝を突き合わせ、酒を酌み交わしながらエコロギーを形づくってきた葦苅。しかし今の展開も、最初から計画していた訳ではない。
提供:エコロギー
起業を学ぶ過程で重要なメンター役を務めた浜松翔平(37、成蹊大学経営学部准教授)は、専門であるアントレプレナーシップの理論から、葦苅を「最初から地図を持たないタイプの経営者」だと形容する。
「エフェクチェーションといって、成功したシリアルアントレプレナー(連続起業家)に多いタイプなんですが、一直線にこれだと目指すゴールを最初から明確に定めなくても起業できるという考え方がありまして。まさに葦苅君は、そういう起業スタイル。手持ちの手段やできることから始めて、迷い道を歩くうち事業のヒントに出くわす。さまざまな出会いの中で、コミットしてくれる人のリソースを得る。ゴールも自ずと定まっていく」
このタイプの起業家は、明確にゴールが見えていない状況であっても、出会った人の縁を大事にし、自分ができることをとことん真剣にやることによって、周りからも機会を引き寄せることができるのだという。集まった仲間や知識、資金などのリソースが事業を太らせ、発展させていくようなイメージだ。
浜松は起業家としての葦苅の未来を、こう見ている。
「食糧問題は息が長い課題。人が昆虫食を既存のタンパク源の代替として食べる習慣は、そう簡単にはできないと思うんです。葦苅君は多分、今のようなスタイルで今後10年、20年と時間をかけて、大勢の仲間たちとともに食を軸とした一つの基幹産業を作っていくような、そういうタイプの起業家なのではないかなと思います」
そんな葦苅が、飛び込んだカンボジアの地で掴んだチャンスとは何だったのか、どんな将来ビジョンを掲げているのかは、最終回の次回に譲る。
(敬称略・第5回に続く)
(第1回はこちら)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。