2021年3月に行われたH3 試験機1号機の試験。試験用のエンジンを搭載して推進剤注入のリハーサルが行われた。
撮影:秋山文野
2022年1月21日、JAXAは、2021年度中としていた基幹ロケット「H3」試験機1号機の打上げを見合わせると発表した。
H3の打ち上げ延期は2020年9月に次いで2度目。延期の理由は、第一段のエンジン「LE-9」の技術的課題解決に時間を要しているためだとしている。
新型ロケットの開発に時間を要することは珍しくなく、フランスの「Ariane 6」、米国の「SLS」、「Valcan」なども初号機の打ち上げ延期を繰り返している状況だ。
ただ、H3の1号機は試験機(TF1)でありながら、最初からJAXAの地球観測衛星「だいち3号(ALOS-3)」を搭載する計画だった。
打ち上げ予定は現在「調整中」で、見通しが発表されていないとなると、衛星側のミッションが足踏みを強いられることになる。
この打ち上げ延期によって、どの程度の衛星の打ち上げに影響が及びそうなのか、整理していこう。
ロケット開発遅延の「リスク」
H3、1号機の機体はすでに完成し組み立てられている。
出典:JAXA
日本の政府系衛星の計画は、内閣府が発表する「宇宙基本計画」の工程表に記載されている。
最新の工程表は2021年末に改定されたもので、現在のH-IIAからH3の移行期間にも多数の衛星の打ち上げが予定されている。
H3で打ち上げ予定の衛星(令和3年度改定)
- 令和3年度/2021年度:ALOS-3
- 令和4年度/2022年度:ALOS-4、HTV-X1号機、Xバンド防衛通信衛星3号機、
- 令和5年度/2023年度:準天頂衛星5・6・7号機、技術試験衛星9号機、月極域探査機、HTV-X2号機
- 令和6年度/2024年度:火星衛星探査機計画(MMX)、HTV-X3号機
このうち、直近ではH3試験機1号機で予定されている「だいち3号(ALOS-3)」、試験機2号機(TF2)で予定されている「だいち4号(ALOS-4)」が最も影響を受けることは間違いない。
ALOS-3は、2014年に打ち上げられたレーダーを用いて観測する衛星「ALOS-2(だいち2号、JAXAが現在運用中)」とは異なり、人間の眼で見たままの様子を捉える「光学地球観測衛星」だ。
日本の基盤となる地図作成や防災分野への活用が見込まれ、衛星そのものは2021年夏にほぼ完成している。ただ、現在は打ち上げを待つしかない状況だ。
地球観測衛星「だいち3号」。
出典:JAXA
さくらインターネットが運用する衛星データプラットフォーム「Tellus」は、ALOS-3のデータを配布する計画だが、衛星が打ち上げられなければ当然ながら配布するデータも降りてこない。
光学地球観測衛星は農林水産業、都市基盤整備、環境保全などの幅広いビジネスへの活用が期待されていたが、日本の衛星が利用できなければ海外の衛星の利用が進むだけだ。
ALOS-3の打ち上げが2022年度にずれ込んだ場合、当然2022年度中に打ち上げを予定していたALOS-4にも影響が出る。
ALOS-4は、ALOS-2と同様にレーダーで国土の変化を観測する衛星だ。ALOS-2がまだ現役であるため、レーダー観測そのものができなくなるわけではないが、それでも防災時の観測体制は手薄になる。
さかのぼれば2011年3月の東日本大震災の際、地球観測衛星「だいち1号」は光学、レーダーの両方で日本各地の被災地の観測を担い、力尽きるように5月に運用を終了。
同年8月末に発生した台風12号による紀伊半島大水害においては、国土を観測して災害時のデータを提供する衛星が日本にはなかった。
そのため日本の防災関係者は、ドイツの衛星データを購入して河道閉塞(土砂ダム)の発生などの情報を入手せざるを得なかったという経緯がある。
日本と海外の衛星では、観測を要求する際のルールなどに違いがあり、緊急観測の際に関係者の負担を増やすことになりかねない。政府系の地球観測衛星の空白にはそうしたリスクがある。
見えない打ち上げ予定。影響長期化の懸念
出典:「宇宙基本計画」の工程表より引用
1月21日のJAXAの記者説明会で、岡田匡史プロジェクトマネージャはH3の開発スケジュールについて「できるだけ早く情報を共有したい」としながらも詳細は述べなかった。
また、ALOS-3をはじめ搭載衛星側のチームとの具体的な調整内容については明言を避けた。もちろん調整していないということは考えにくいが、打ち上げ延期の影響が長期化した場合にどうなるのか、不透明である様子はうかがえる。
工程表をみると、宇宙ステーション補給機「HTV(こうのとり)」に代わって国際宇宙ステーション(ISS)への補給を担うHTV-X1、2号機の打ち上げへの影響も懸念される。
つまり、ISSへの物資補給スケジュールが影響を受けることになる。
補給物資や実験機材の輸送ではアメリカの輸送機「ドラゴン」や「シグナス」があるため、ISSにいる宇宙飛行士の生活がままならないという危機的状況になることは考えにくいが、実験機材の輸送が遅れれば、その分、日本の実験が遅れる状況もありうる。
記者会見で説明する岡田プロジェクトマネージャ。
記者会見の画面をキャプチャ
また、2023年にH3での打ち上げを予定していた技術試験衛星9号機は、2006年打ち上げの「きく8号」以来17年ぶりとなる技術試験衛星だ。
全電化衛星技術や国産の電気推進技術の一種「ホールスラスタ」などの実証を目的としている。
開発の背景には、
「我が国の通信衛星の国際競争力を確保するためには、市場競争力の指標とされている1M$/Gbpsを実現するために、200Gbpsの通信容量を有し、通信速度当たりの価格での競争力を有するとともに通信サービスのフレキシビリティを備えた次世代静止通信衛星を時期を逸することなく実現することが必要」(2021年6月28日 JAXA『技術試験衛星9号機の開発状況について』より)
という目標があった。
日本はそもそも通信衛星の輸出では米欧に先行しているとは言い難い状況であり、実証の遅れは「時期を逸することなく」という目標の掛け声倒れにつながる可能性がある。
火星探査計画への影響も
JAXAの火星衛星探査計画(MMX)の探査機のイメージ。
出典:JAXA
H3で打ち上げを予定している衛星の中で、遅れが許されないことがはっきりしている筆頭が「火星衛星探査機計画(MMX)」だ。
火星の衛星「フォボス」、「ダイモス」を観測し、小惑星探査機「はやぶさ2」のようにフォボスから表面物質のサンプルを持ち帰ることを目的としている。
火星圏への航行のタイミングはおよそ2年に1回であることから、2024年中の打ち上げを逃せば次の機会は2026年以降。帰還は2030年代にずれ込むことになる。
フォボスの表面には、火星への隕石衝突の際に巻き上げられた火星の物質が混ざっている可能性が高く、予定通り2024年に打ち上げ、2029年に地球帰還を果たすことができれば、世界で最初の火星圏からのサンプルリターンを日本が実現することになる。
注目度やプロジェクトへの支持を考えれば、この遅延は避けたいところだろう。
工程表に載っていない、三菱重工業側のビジネスとしての側面では、イギリスの通信衛星事業社インマルサットの通信衛星打ち上げがある。2018年に合意が発表され、2022年度以降の打ち上げを目指している。
実現しなければ、三菱重工業はH3による海外からの「衛星打ち上げビジネス」の実現において、足踏みを強いられることになる。
H3ロケット、開発遅延の原因は?
出典:JAXA1月21日の記者会見資料より引用
1月21日のJAXAの記者説明会では、H3の打ち上げ延期の原因は、2020年5月に見つかった第1段エンジン「LE-9」の不具合によるものだと説明があった。
JAXAでは、2020年9月に最初の打ち上げ延期を発表した後、「エンジンの燃焼室内で高熱により穴が開く問題」や「燃料を送り込むターボポンプ内で共振が起こり、タービンブレードにクラックが発生する問題」の解決に取り組んでいた。
燃焼室内に穴が生じる問題に対しては、高熱の負荷がかからないように冷却を増やすことで対応。ほぼ解決に近づいている状況だ。
しかし、もう一方のターボポンプの問題は解決が難しそうだ。
2020年から2021年にかけて、タービンを再設計・再製造して対策をしたが、当初見つかった共振の問題のほか、別に振動の問題が見つかった。まるで「もぐら叩き」のように、新たな問題が生じている状況だ。開発チームが時間のかかる対策に手を焼いている様子もある。
とはいえ、打ち上げを待っている衛星プロジェクトへの説明やケアがどのようになっているのか不透明な点は気になる。
メディアへの説明が後回しになる程度ならばまだ良いが、衛星側が同様に状況を見通せないまま待たされているのだとすれば、日本の宇宙計画の行方が懸念される事態と言えるだろう。
(文・秋山文野)