提供:PFN
「AI」(人工知能)と言えば、将棋のプロ棋士にも勝利するAIや、画像を判別するAI、さらには特定の事業の作業効率を向上させたり、何らかの仕組みの最適化を図ったりするAIなど、さまざまな分野で開発が進められています。
実はいま、サイエンスの研究現場でも、AIはなくてはならないものになりつつあります。
そこで注目したいのが、深層学習というAIに関する技術を駆使して研究開発を進める、国内トップのユニコーン企業、Preferred Networks(以下、PFN)です。
PFNは、2017年から始まった日本経済新聞の「NEXTユニコーン調査」で5年連続1位をひた走る、知る人ぞ知るユニコーン企業です。2021年12月に発表された最新の調査では、企業価値が3561億円にものぼると推定されています。
「現実社会の課題をコンピューターの力で解決すること」を掲げるPFN。その技術力の高さも相まって、創業した2014年からNTTとの資本業務提携やトヨタとの共同研究など、名だたる大企業とも協働しています。
2021年、PFNはAIを駆使し、世界でいまだに猛威をふるい続けている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への治療薬候補の発見や、材料科学の研究開発を大きく促進する可能性を秘めた技術を提供開始するなど、アカデミアの世界に対しても、非常に大きなインパクトを残しました。
ビジネスの現場で数々の大企業と協業を進めながら、さらにアカデミアの世界へも進出しているPFN。なぜPFNは、これほど幅広い分野へとその活動領域を広げることが可能なのでしょうか。
2022年1月の「サイエンス思考」では、PFNの共同研究の実例を紹介しながら、研究現場にAIが導入されたことで起きる変化、そして、高度な専門知識が求められる幅広い分野でPFNが存在感を発揮できる理由を探っていきます。
各大学でPFNと共同研究している関係者や、PFNの共同創業者であり、最高研究責任者の岡野原大輔氏に話を聞きました。
「こんなん思いつかへん」AI創薬の衝撃
Business Insider Japanの取材に応じる、京都薬科大学の赤路健一教授。
取材時の画面をキャプチャ
「(AIを使うことで)新しい薬の『種』を見つけることができると思います。専門家には専門家のバイアスがかかっていますが、AIにはそれがありません。AIを使うことで、『こんなん思いつかへんわ』という化学物質が薬の候補として出てくるんです」
こう語るのは、京都薬科大学の赤路健一教授です。
赤路教授は、PFNとの共同研究によって、2021年9月にCOVID-19の治療薬の候補となる7つの化合物を発見したことを発表しました。
赤路教授の研究グループでは、2003年のSARS流行時からコロナウイルスが増殖する際に作られる「酵素」(タンパク質の一種)に着目し、治療薬の候補物質を探していました。COVID-19の原因となるコロナウイルスがSARSのウイルスとよく似ていることから、新型コロナウイルスの増殖時にも作られる同様の機能を持つ「酵素」の活動を邪魔することで、ウイルスの増殖を食い止められるというわけです。
酵素の活動を邪魔する化学物質(タンパク質やペプチド)を探す上で重要になるのは、酵素の「構造」です。
しかし、単純に酵素の構造にマッチしたタンパク質やペプチドを作るだけでは、うまくウイルスの増殖を抑えることができません。体内に取り込んだ際に、タンパク質などが胃で分解されてしまい、薬としてうまく働かないのです。
薬を開発するには、酵素のどの部位の構造が最も重要なのかを見定めた上で、製造しやすく、さらに飲み薬として摂取してもうまく機能する化学物質を選定しなければなりません。
「化学物質のどの構造が一番大事で、どこを残したらいいのか。そして除いた構造の代わりにどんな構造を入れたらいいのかを考えるわけです。考えられる構造の数は膨大です」(赤路教授)
通常、薬を開発する際には、製薬会社が保有する何千、何万という候補物質を手当たり次第に調べ、有力な物質を絞り込んでいきます。しかしこれはかなり地道な作業です。
効果がありそうな化学物質が見つかったとしても、どのような仕組みで効果が現れるのかを調べなければならず、さらにそこから実際に薬として使える構造をブラッシュアップしなければなりません。臨床試験に回すのはその後です。また、仮に臨床試験にまで到達できたとしても、実際に薬になるのはそのごく一部です。
だからこそ、創薬には非常に長い時間がかかるとされています。
薬の候補物質を自動生成するAI
(画像はイメージです)
Shutterstock/sdecoret
赤路教授は、PFNと共同で新型コロナウイルスの増殖に関わる酵素を邪魔する上で重要となる構造や、薬として機能させる上での条件などを学習させたAIを構築。そのAIに薬の候補となる多数の化学物質を生成させました。
そこから手作業で薬として不適当なものなどを除外し、現実的に薬になりそうな化合物の中から順に13個の候補物質を実際に合成。新型コロナウイルスの増殖に関わる酵素の働きを邪魔できるかどうかを調べました。
その結果、13個中7個の候補物質で、試験管の中で行われた実験ではあるものの、酵素の働きを邪魔することが確認されました。しかもその多くが、赤路教授が予想もしていなかったような物質であったというのだから驚きです。
「もちろん、ここから薬にしていかなければならないのですが、13個中7個で反応が見られたということは、私は非常に大きい成果だと思います。この手法だと、小さな研究室でも治療薬の候補を探すことができるので、研究する上では非常にありがたい」(赤路教授)
もちろん、実際に薬にするまでには臨床試験などをさらに積み重ねなければなりません。しかし、長い時間のかかる創薬の工程を大きく短縮できるポテンシャルを秘めた技術だと言えるでしょう。
これほど精度高く候補物質を見出すことができた理由について、赤路教授は、それまでの基礎研究によって、AIに学習させる際に重要になるポイントをあらかじめ押さえていた点を挙げています。そして、その知識をPFN側が理解して実装してくれたことが重要だったと指摘しています。
「研究者だけでも、データサイエンティストだけでも、このような成果は実現できなかったと思います。2つの領域にいる人たちの知識をかけ合わせることで、うまくやることができた。PFNさんも、製薬にある程度知識があるデータサイエンスの方を派遣してくださったと思っています」(赤路教授)
新材料の探索「研究者のあり方が変わる」
取材に応じる、古山通久教授。
取材時の画面をキャプチャ
「研究のやり方が変わってしまいます」
PFNとENEOSが共同開発した汎用原子レベルシミュレータ「Matlantis」を活用して研究する信州大学先鋭材料研究所の古山通久教授は、その凄さをこう表現します。
Matlantisの活用が進むことで、新しい物質の開発や、未知の材料探索の研究が劇的に加速するかもしれません。
材料科学の分野では、以前から物理法則をベースに新しい材料の物性(=物質の持つ性質)をシミュレーションする取り組みがなされてきました。しかし、従来の方法では、たとえスーパーコンピューターを使ったとしても、1つの計算に非常に時間がかかっていたため、シミュレーションできる数には限りがありました。
Matlantisでは、物理シミュレーションによって得られた原子配列や分子配列のエネルギーに関する膨大なデータセットをAIの学習データとして使用することで、これまでにない速度での計算を可能にしています。従来の原子レベルシミュレータだと数週間〜数カ月かかっていた計算を、数秒もかからず実現できるようになったのです。
「例えば、ある計算では、スーパーコンピューターを使って原子3000個分の計算に2カ月かかっていました。それが、0.3秒でできるんです」(古山教授)
触媒の表面のシミュレーションの例。
提供:PFN
このスピードアップによって、実験が加速するのはもちろんのこと「従来なら挑戦できなかったものに挑戦できる価値が生まれてきます」と古山教授は指摘します。
例えば、複数の元素から作られる「合金」。
銅と亜鉛や、鉄と炭素のように、世の中の合金はせいぜい2種類程度の元素から作られるのが一般的です。金属元素の数を60個とすると、元素を2種類選ぶだけでも数千通りの組み合わせがあります。
元素の数が3種類、4種類と増えていくと、組み合わせの数は数万、数千万通りと一気に増加します。
従来のシミュレーションの速度では、その中から使える材料を見つけ出すことはかなり骨の折れる作業となり、現実的とはいえません。しかし、シミュレーションの速度が大幅に向上したことで、こういった膨大な計算が必要な材料の中から、魅力的な材料を探し出すことも実現可能になるわけです。
Matlantisでシミュレーションする様子。
提供:PFN
また、シミュレーションの高速化によって、これまで計算量の都合で実現できなかった「リアルな条件下」での計算が可能になるといいます。
例えば、触媒の反応では、触媒の「基板」が耐久性や反応に影響を与えることがあります。しかし、従来の方法では、基板を含んだ広範囲の環境をシミュレーションすることは困難でした。
Matlantisでは、場合によってこういった実際の環境に近い状況のシミュレーションも可能だといいます。
「いろんな試行錯誤ができるということ自体が、非常にありがたい。今は、シミュレーション結果がたくさん出てきて、処理が追いついていない状態です」(古山教授)
最終的にやりたいのは、シミュレーション結果から材料の物性を予測したり、実際に材料を合成して計算通りの物性が現れるのかを確かめたりすることです。しかし、現状ではシミュレーションの結果が瞬く間に蓄積されてしまうため、作業する研究者側の時間が不足している状況だと言います。
「従来の方法では、1週間計算をしている間に研究者が何をやっていたかというと、関連する論文を調べたり、勉強したりするわけです。修士の学生の場合はそうやって2年間過ごして、修士論文をまとめます」(古山教授)
こういった世界観が、Matlantisの登場によって劇的に変わってしまうのです。
「2年間で修士論文が書けるくらいのデータ量が出てきていたのが、例えば1週間で出てきてしまう。翌週には、さらに別の学生が2年間で出す量のデータが出てくる。計算している人間の勉強時間も足りなくなってきます。ですので、研究のあり方も、研究者自体の役割も変えてしまうのではないかと思っています」(古山教授)
AIの実装に必要な「知識の多様性」
PFN・最高研究責任者の岡野原大輔氏。
撮影:三ツ村崇志
AIを使った創薬に、材料科学への貢献。
PFNでは、こういったアカデミアとの共同研究以外にも、ロボティクス分野や、プラントの自動化、病気の診断、エンターテインメントへの応用など、幅広い分野で技術開発を進めています。
これほど多岐にわたる分野で存在感を発揮できる理由の一つとして、PFNの基盤技術である「深層学習」が、非常に広範囲の問題にアプローチできる技術であるということが挙げられます。
ただし、特定の分野の問題をAIで解決するには、エンジニアとしての技術を持っているだけではなく、技術がその分野の問題にどう合致するのかを見極めるセンス・専門的な知識も必要です。
PFNの共同創業者で、現在は同社の最高研究責任者を務める岡野原氏は、PFNがこれだけ幅広い分野で技術開発ができる秘訣について、
「実際にいろいろな分野に深層学習を適用しようと思った場合に、AIだけでは解決できないドメイン知識や、ビジネスを成功させるための業界の慣習などを知る必要があります。会社のメンバーが、かなりアグレッシブにどんどん学習していくことをいとわない『Learn or Die』(死ぬ気で学べ)という会社のバリューがかなり影響しているのは確かだと思います」
と、貪欲に知識を求める会社風土が理由の一つだと語ります。
実際、ENEOSとMatlantisの共同開発を始めた際には、岡野原氏自身も大学時代に学んで以来、材料科学をまったく勉強していなかった状態だったといいます。
「ただ、非常に重要なテーマだということで、私もそこから学習し始めました。今では、ある程度研究の話にもついていけるぐらいにはなったと思っています。私のような人がPFNでは全然特殊ではないんです」(岡野原氏)
またPFNには、特定の分野で博士号を取るほどの専門知識を持っている人がエンジニアとして在籍しており、さらに別の分野の専門知識を得ながら活躍しているといいます。知識の多様性が豊富なのです。
「何かを『学ぶ』という行為が定常化していて、さらにお互い持っている知識や技術を教え合う文化が、(いろいろな分野に対応できる要因として)非常に大きいのではないでしょうか」(岡野原氏)
そこまで学びに貪欲になれる理由は、PFNが「深層学習を使って企業の課題を解決する企業」としてだけではなく、研究開発によって社会に「新しい価値」を生み出す企業になることを目指しているからこそでしょう。
「材料科学に関する領域をやっているのも、脱炭素などのテーマと結びついて、社会に対するインパクトが出せそうだということが分かってきたことが理由の一つです。自分としても興味も持っているし、やりがいもある。
そういった社会課題を捉えて、そこに対する研究開発を進めていくことは重要なことだと思います」(岡野原氏)
AIが科学に新たな「直感」を与える
将棋の世界では、AI将棋で指し手を研究する人もいるという。
Shutterstock/Alexander Ortega
岡野原氏は、これから先、AIが実社会の課題を解くために利用されるケースが増えていくと指摘します。それはアカデミアの世界でも同様です。
「実際もう使われている領域ではありますが、『宇宙物理学』や『生物学』はAIを活用できる可能性があると思います。高次元の世界であったり、ものすごいミクロ・マクロな領域だったり、そうした世界では人間の直感は働きにくいものです」(岡野原氏)
そういった分野では、古山教授が指摘していたように、人間がAIをうまく使いこなしながら研究を進めていくことが増えていくのかもしれません。
岡野原氏は、将棋の世界で起きている変化は非常に分かりやすい例だと指摘します。
「プロ棋士の方々はAI将棋で研究をしていて、AIが指している盤面評価や指し方を言語化して、人間が指せる形に持っていく能力が強い人が、強くなっていますよね。それと同じような現象が、他の分野でも起きるのかもしれません」
(文・三ツ村崇志)