ソニーは今後の成長領域として「ライフサイエンス事業」に力を入れている。
同社は1月26日、同社は同分野向けの新製品「CGX10」を発表した。この機器は「セルアイソレーションシステム」と呼ばれるもので、がんや自己免疫疾患などで有望視されている「細胞免疫治療法」を広げる重要な製品だ。
ソニーのライフサイエンス事業部が開発した、セルアイソレーションシステム「GCX10」。新しいがん治療「細胞免疫治療法」に必須の機器だ。
撮影:西田宗千佳
ソニーが考える、このビジネスでの「勝ち筋と可能性」について、事業責任者に聞いた。
細胞免疫治療の「産業化」でビジネス規模が急拡大
冒頭のとおり、今回発表された「CGX10」は「セルアイソレーションシステム」と呼ばれる機器だ。
この装置は、多彩な細胞が含まれた液体の中から、条件に合う細胞を1つずつ選別し、集めることができる。この作業を「分取」という。
今回の新製品「CGX10」は、特にこの「分取」に特化した新しいシステムだ。
「ライフサイエンスは、エレクトロニクスに比べても、非常に高い成長が見込める領域です。特にCGX10は、『研究』領域から『免疫治療・創薬』の領域へと拡大することで、市場がさらに拡大します。なんとか『2025年より前』というタイミングに間に合わせることができました」
ソニーでライフサイエンス事業部を統括する、メディカルビジネスグループ・ライフサイエンス事業部の川崎泰介事業部長は自信を込めてこう語る。
ソニー・メディカルビジネスグループ ライフサイエンス事業部の川崎泰介 事業部長(右)と、同・メディカル設計部門 商品設計2課の古木基裕 統括部長(左)。
撮影:西田宗千佳
川崎氏のいう「治療・創薬への市場拡大」とは、細胞免疫治療法の実用化を指している。
一般にがん治療では、「手術」「抗がん剤」「放射線」といった3つの選択肢が考えられるが、細胞免疫治療法は、それに加え「第4の選択肢」と言われている。
細胞免疫治療法は、体内にある免疫細胞を取り出し、積極的にがん細胞を攻撃するような改変を加えて患者の体内に戻す治療法だ(※)。がん以外にも、リウマチなどの自己免疫疾患への応用が研究されている。
※現時点で効果が認められ、保険診療となっている細胞免疫治療法は限られている。自由診療で実施されている免疫療法は、効果が証明されておらず、医療として確立されていない。
細胞免疫治療法におけるCGX10の使用例。血液中から特定の免疫細胞を取得、遺伝子の改変や増殖を行った上で患者に投与し、治療を目指す。
これまで、細胞免疫治療法は多くが「研究」のフェーズだった。ソニーのライフサイエンス機器も「研究」に使われる前提で、さまざまな研究機関向けに販売されていた。
だが、これからは治験を経て、製薬会社によって細胞免疫治療法を使った「創薬」のフェーズに入ると、川崎氏は言う。承認を受けて本格的な医薬品製造の段階に入るのが「2025年」とみられている。が、細胞免疫治療向けの創薬・医薬品製造にも、当然ながら、体液から求める免疫細胞を分取する仕組みが必須だ。
そのため、2025年以降は、製薬会社を含めた新規需要が爆発する、と川崎氏。
細胞免疫治療の市場は2025年を境に、医薬品製造向けを含めた「産業化」によって急拡大すると予想されている。
今回の製品は、細胞免疫治療法という「最先端のがん治療」に重要な製品であると同時に、ソニーにとっては、もうすぐやってくる市場に対応するための「戦略商品」でもある。
ブルーレイからの「技術応用」が産んだ新事業
ソニーは2010年に「分取」と「解析」を行う、「フローサイトメーター」と呼ばれる機器の市場に参入、2012年には初の自社開発製品「SH800」を発売している。以来10年にわたり、ライフサイエンスの中でも「細胞の分取と解析」というジャンルに特化してビジネスをしてきた。
ソニーのライフサイエンス事業のあゆみ。2010年に米・iCyt社を買収して市場参入ののち、2012年より独自開発のフローサイトメーターを販売している。
きっかけとなったのは、2008年頃にスタートした新規事業開発の試みだ。
CGX10の開発も担当し、当時から事業に関わるメディカル設計部門 商品設計2課の古木基裕統括部長は経緯を次のように説明する。
「元々は、ブルーレイに使われている技術を応用する分野はないか、ということで始まったものです。細胞を1つ1つ流す流路を作るためには、ブルーレイのディスク製造に使う、ポリカーボネートの微細加工技術を使っていますし、細胞を分取するところでも、レーザーを制御し、照射することで違いを見分けています」
細胞分取の仕組み。1つ1つの点が細胞。それらを1つずつ経路に流し、さらにレーザーを当てて種類を見分け、「分取」する。
実際に「分取」するチップ。この部分の製造には、ブルーレイディスク生産のノウハウが生きている。
撮影:西田宗千佳
「この種の機器は、実際に分取を始めるまでの設定や操作が難しいもの。しかし、弊社の製品はとにかく簡単にすることにこだわりました。ブルーレイを入れれば誰でも再生できますが、そんな感覚にしたかった」(古木氏)
ブルーレイディスクを「入れてすぐ再生する」には、非常に高度な制御技術が隠れている。
微細な部分に、正確にレーザーが当たるようにしないといけないからだ。人がラフな手つきでディスクを入れると、毎回若干のずれが生まれる。そのずれを補正する技術が必要になってくる。
ブルーレイで培った技術は、細胞1つ1つにレーザーを当てる前の補正を自動化するために使われている。結果として、ソニーのフローサイトメーターは「使うのが簡単で、手間がかからない」ことを特徴としている。
これは自社技術の強みを活かした流れではあるが、同時に、専門家からの要望に基づくものでもあった。結果としてソニーは参入以降、「簡単に使える」「素早く研究に入れる」ことを軸として、欧米の医療機器メーカーとの差別化を進め、シェアを拡大してきた。
「滅菌」「精度向上」「簡単さ」のための使い捨て構造
「簡単」という要素は、新製品のCGX10でさらに追求される。細胞を分取しようとした時、大きな課題となるのが「スピードと精度」、そして「細胞の生存率」だ。
これらを高い水準で実現するには、他の細胞や細菌・ウィルスなどが混入しない環境を作れることが求められる。
もちろん、この種の機器はいわゆる「無菌室」で、適切な滅菌処理をした衣服を着用して使うものではある。だが、混入の危険性はさらに低い方が良い。特に今後は、研究者だけが機器を扱うのではなく、もう少し専門性の低い「オペレーター」的な人々が扱う可能性も高い。
そこでCGX10では、体液を入れて分取し、不要な部分を「廃液」としてまとめるまで全ての工程を「1度しか使わない交換式」にした。結果として、分取する工程は滅菌され、外気にも一切触れない。 また、キット装着前の設定から装着も含め、合計20分程度で準備は終了する。あとは、だいたい6時間かかる作業を待つだけだ。
交換式の分取キット。これ全体が1つの箱に入り、滅菌された形で提供される。
撮影:西田宗千佳
撮影:西田宗千佳
模擬的にキットを設置してもらった。付け方もごくシンプルで、誰にでもできそうだ。
撮影:西田宗千佳
この簡便さこそ、今後「産業化」していく上でのさらなる武器になる、と開発側は考えた。
高速かつ正確な分取を、クローズドな使い捨て環境によって目指そう……。そんな狙いから、開発コード名は「クローズ」と名付けられた。
CGX10は結果として、1秒あたり1万5000個の分析処理速度での細胞分取において、約97%の純度を実現している。
極秘裏に進んだプロジェクト
細胞免疫治療の「産業化」は、もうすでに見えている。
今後は製薬会社に直接機器を納入するのではなく、「製薬・創薬をサポートする企業」への納入も考えられる。半導体メーカーなどのクリーンルームのノウハウをもつ企業が、新たに医療用のファシリティを作り、そこに機器を導入した上で、製薬会社に貸し与える「水平分業」が進むと考えられているからだ。そうした点も含め、産業化による機器ニーズの拡大は明白だ。
一方、フローサイトメーターの技術も何が必要か、すでに可視化されている。開発は決して簡単なものではないが、安心はできない。拡大する市場を狙い、後発企業が価格を武器に市場を脅かす可能性もある。
この点を川崎氏に問うと、「確かにその可能性はあり、過去には他社が参入を検討していた形跡もある」と認める。
「だから、CGX10のプロジェクトは(今日に至るまで)かなり極秘裏に進めてきました。これから我々は、知見・産業化のフェーズでデファクト化を目指します。浸透してしまえば、商品の性質上、乗り換え需要は小さいと思われます。我々は先行の有利を活かせると思っていますが、逆に言えば、これ以上遅れると産業化フェーズに乗り遅れるところでもありました」(川崎氏)
医療機器の開発には、専門的な知見を持つ人々からのフィードバックが欠かせない。実際のところ、ソニーは10年前から本格的にスタートすることで、なんとかこのタイミングに間に合った。
このタイミングも含め、2008年に「新規事業を検討する」判断をしたことが、新しい事業成長の可能性を生み出した元だったのである。
(文・西田宗千佳)