REUTERS/Kim White
2022年1月3日に時価総額が一時3兆ドル(約340兆円)を超えたアップル(Apple)。前回は、そのアップルの財務状況の中でも特に「有利子負債が増えている」「利益は出ているのに純資産が減っている」という点に注目して分析を行ってきました。
その結果分かったのは、アップルは十分なキャッシュを持っているにもかかわらず、わざわざ借入をしてレバレッジをかけることで株主の投資リターンを効率的に高めているという事実でした。
では、アップルは実際のところ、どれほど効率的に資金を運用しながら利益を出しているのでしょうか? 本稿ではまずこの点から分析を進めていきましょう。
アップルのROEは驚異の150%
アップルがどれだけ効率的に純資産を運用しているかを確かめるために、当期純利益÷純資産で計算されるROE(Return on Equity:自己資本利益率)を見てみましょう。
図表1をご覧ください。GAFAMの5社で比較すれば一目瞭然、アップルのROEはなんと150%と、文字通りケタ違いの水準です。
(出所)各社のQuarterly Earnings Reports等をもとにLast Twelve monthsの当期純利益と直近の純資産より筆者計算。
ちなみに、日本の上場企業の多くは「ROE8%」という水準をひとつの目標としています(※1)。これと比較すれば、アップルが実現しているROE150%という数字がいかに異次元かがお分かりいただけるでしょう。
さらに一歩踏み込んで、こんな分析をしてみましょう。
この連載の第4回では、企業の財務を「生産性」という観点から分析するのに役立つ、図表2のような等式をご紹介しました。
(注)図中、白字はROEの分母と分子。
筆者作成
これは「デュポン分析」と呼ばれるもので、ROEを3つの式に分解することで、どんな種類の「生産性」を実現しているのかを調べることができます。
- 図中(1)資本の生産性⇒財務レバレッジ:資本をどれだけ効率的に使えているか
- 図中(2)資産の生産性⇒総資産回転率:資産からどれだけ効率的に売上高に転換できているか
- 図中(3)売上の生産性⇒売上高当期純利益率:売上高からどれだけ効率的に利益を得られているか
このデュポン分析を使って、実際にGAFAMの生産性を調べてみたのが図表3です。アップルは5社の中でも「レバレッジ」が突出して高いことがお分かりいただけるでしょう。
(出所)各社のQuarterly Earnings Reports等を用いてLast Twelve monthsの売上高および当期純利益ならびに直近の総資産および純資産より筆者計算。
なお、総資産回転率ではアマゾンがトップになっています。アマゾンは、保有する資産を使って効率的に売上を挙げることにかけてはGAFAMの中で一番優れているということです。
また、売上高当期純利益率ではマイクロソフトがトップ。こちらは、売上高からできるだけ効率的に利益を出すことに長けていることを意味します。
一口にGAFAMと言っても、その経営スタイルは各社各様であることがよく分かりますね。
さて、このようにアップルはレバレッジが際立って高い、つまりそれだけ負債が多いということが確認できました。その証拠に、GAFAMの自己資本比率(※2)を比較してみると、アップルはご覧のとおり他社よりはるかに低い水準です(図表4)。
(出所)各社のQuarterly Earnings Reports等を用いて直近の総資産および純資産より筆者計算。
……と、ここでファイナンスに詳しい方ならこんな疑問が湧いたかもしれません。「こんなに自己資本比率が低くては、アップルの財務状態は健全とは言えないのでは?」と。
中小企業庁の「平成30年中小企業実態基本調査」によれば、日本の製造業の黒字企業の自己資本比率は平均45.5%。アップルは日本の中小メーカーよりも自己資本比率が低いことになってしまいますが、これでも本当に経営状態は大丈夫と言えるのでしょうか?
アップルの財務状態は健全と言えるのか?
たしかに一般的には、借入金が増えれば増えるほど財務の健全性は損なわれ、倒産確率も高まると考えられています。
実際、ファイナンスの世界では「負債(デット)と純資産(エクイティ)の割合はどのくらいが望ましいのか」という議論があります(これを「最適資本構成の理論」と言います)。
この理論に則れば、負債の割合を増やすことで、負債の節税効果によって企業価値は高まっていくとされます(※3)。借入を行う→利子が発生→利子が増えて利益を圧縮→税金が減る→投資家(※4)に渡るキャッシュが増える→企業価値が高まる、という流れですね(※5)。
とはいえ、負債があまりに大きくなれば経営が傾くおそれが出てきます。つまり負債比率がある一定を超えると、企業価値は上がるどころか毀損する可能性があるのです(図表5)。
(出所)リチャード・ブリーリーほか『コーポレート・ファイナンス 第10版〈上〉』(日経BP、2014年)およびグロービス知見録「最適資本構成: 無借金経営が望ましくない理由は?」を参考に筆者作成。
でもご安心を。このような自己資本比率の“常識”は、アップルには当てはまりません。なぜか。
一般的に、自己資本比率が低く倒産のおそれがあるパターンというのは、例えば「負債が多く、弁済期日が来ても十分なキャッシュを持っていない」や「負債を返済できるほど十分なキャッシュを生み出せる事業がない」というようなケースです。
しかしアップルは、営業CFだけで1040億(約11.8兆円、2021年度)ドルと、有利子負債(同、1247億ドル)に匹敵するキャッシュを本業で生み出しています。手元のキャッシュは349億ドル(約4兆円)と月商の約1.1カ月分しか持っておらず、アップルの会社規模にしては少なめですが、これはあくまで資本効率を考えて株主還元に注ぎ込んでいるため。いざキャッシュが必要になれば、株主還元を減らせばいいだけの話です。
付け加えるなら、アップルは「自己資本比率が低い」とは言っても、それは「負債が多い」というより、自社株買いのせいで「純資産が異常に少ない(少なくしている)だけ」と表現するほうが適切なのです。
つまり「負債比率が高まると健全性が損なわれる」というのは一般論としてはそのとおりなのですが、たとえ自己資本比率はGAFAM中最低であっても、これだけのキャッシュを生み出せるアップルならまったくリスクにならないということです。
たとえ負債比率を高めても健全性はまったく損なわれないどころか、企業価値だけが上がっていく——アップルが世界で初めて時価総額3兆ドルを超えた背景には、アップルのこうした巧みな財務戦略があることは間違いないでしょう。
ジョブズからクックへ。アップルの財務はどう変化したか
アップルの創業者でありカリスマ経営者でもあったスティーブ・ジョブズに代わり、ティム・クックがCEOに就いたのは2011年のこと。おそらく世界でこれ以上ないというくらいの大役と重責でしょう。
交代当初は、ティム・クックの経営手腕を疑問視する声も多くありました。ですが、トップ交代時である2011年と2021年のアップルの財務状況を比較すれば、クックがアップルをこれまでにないほどの成長軌道に乗せてきたことは一目瞭然です(図表6)。
いかがでしょうか。時価総額はこの10年間で8.7倍、売上高は5.7倍、当期純利益は3.7倍。時価総額のこの伸びはスタートアップ企業やメガベンチャーと見紛うほどですし、売上高も、経済学で言う「収穫逓減の法則」(生産量が増えるほど増加率は減少していく、という法則)を無視するような成長ぶりです。
2011年時点の「自己資本比率66%、ROE34%、利益率40%」という数字も、製造業であることを踏まえれば圧倒的な数字でしたが、前回と本稿でこれまで見てきたように、クック率いるアップルはこの10年で財務レバレッジを巧みに活用することで「エクセレントカンパニー」から「スーパーエクセレントカンパニー」へと昇華した感があります。それができるのも、日本円にして10兆円近くのキャッシュを創出するビジネスがあればこそです。
ジョブズからクックへとトップが代わったことで、アップルはイノベーションを生む力が以前と比べて減ったなどと言われることもあります(※6)。イノベーティブな製品を世に送り出し続けることはたしかに難しいことですが、ファイナンスの視点から言えば、企業を成長させ続けていくこともそれと同じかそれ以上に難しいことです。この偉業を10年間でやってのけたのは、まさにクックの経営手腕の真骨頂と言えるでしょう。
クックらしい経営手腕が色濃く現れ始めたのは、2012年3月に自社株買いを発表した頃です。このときクックは次のように述べています。
「当社は、研究開発、買収、直営店の新規開店、当社のサプライチェーンにおける戦略的前払いおよび資本支出、そして当社のインフラ構築などを通じて、事業に有意義な投資を行うために手元キャッシュの一部を使ってきました。今後、これらをさらに推し進めていく所存です。
これらの投資を行ってもなお、当社は戦略的な機会のための軍資金を充分に維持でき、また当社の事業を行っていくための十分なキャッシュを持っています。そこで配当と自社株買いを始めることにいたしました」(※7)
クックはこの発言を通じて、株式市場にどんなメッセージを送ったのか読み取れますか?
余剰資金を自社株買いに費やすと手元資金が減るため、将来投資を行う際に新たに資金調達をする必要が出てきます。このとき、質が低い企業だとなかなか資金調達ができなかったり、できたとしても資金調達コストが高くついてしまうおそれがあります。これではせっかくの投資機会を失ってしまうかもしれません。
しかしこれが質の高い企業なら、たとえ自社株買いをしても、投資機会があれば簡単に資金を調達できます。
つまりクックは、これからはキャッシュを従来の使い途に加えて自社株買いにも使うと宣言することで、「我が社はそれだけ質が高い企業ですよ」というシグナルを市場に対して発したのです(これを自社株買いにおける「シグナリング仮説」と言います)。
実際、アップルは2012年以降は常にフリーキャッシュフロー(FCF)がプラスですから(前回参照)、株主還元を行ったとしても資金には十分な余裕があります。いざとなればマーケットから調達することも容易でしょう。
それに、手元にキャッシュが余っていると企業は過大な投資を行いがちです。すべての資金を有望な投資先に振り分けられればよいですが、必ずしも企業価値につながらない投資が行われるおそれも出てきます。
そうならないよう、アップルは十分に投資を行ったうえで、余剰なキャッシュは無駄遣いせずに株主還元に回す。このような行動を市場は評価し、それがひいては株価の上昇にもつながるわけです。
クックのESG経営
ジョブズの時代はどちらかというと、「最高のプロダクトやサービスを生み出す」ことに重きが置かれていました。実際、ジョブズは慈善寄付を避け、サステナビリティを気にかける様子はほとんど見せず、社会問題について語ることもめったにありませんでした。
アップルを長年にわたりウォッチしてきたジャーナリストのリーアンダー・ケイニーは、クックの経営スタイルを評した著書『ティム・クック——アップルをさらなる高みへと押し上げた天才』の中で、ジョブズはイノベーティブな製品を世に送り出すことこそが「世界に貢献すること」だと信じていたように見える、と述べています。
しかしそれから10年以上の歳月が経ち、アップルをとりまく経営環境も、私たちが生きる社会も大きく様変わりしました。
クックがCEO就任以降に行ってきた経営スタイルや改革の数々を見ていると、クックは「いかに効率的に資金を使うか」をより重視し、アップルを「善行を促進(※8)」する存在へと導いてきたように感じます。
教育等を含め慈善寄付を大幅に増やし、再生可能エネルギーを積極的に活用する企業の先駆けともなりました。また、自社製品をより毒性が少なく、リサイクル可能なものにすることも追求しています。加えて、サプライチェーンをより安全で搾取のない環境にするために働きかけたり、アップルをより包括的で多様性のある職場にするための取り組みも積極的に行ってきました(※9)。
このことを端的に表しているのが、2017年に発表されたアップルの6つのコアバリューです。
- アクセシビリティ:アップルは、アクセシビリティを基本的人権ととらえ、テクノロジーはすべての人に利用可能なものであるべきだと考える。
- 教育:アップルは、教育を基本的人権ととらえ、質の高い教育を誰でも受けられるようにすべきだと考える。
- 環境:アップルは、製品のデザインと製造過程において、環境に対する責任を果たす。
- インクルージョンとダイバーシティ:アップルは、多様性のあるチームが革新を可能にすると考える。
- プライバシーと安全性:アップルは、プライバシーを基本的人権と捉え、すべてのアップル製品は、顧客のプライバシーと安全性を徹底的に保護するためにデザインされている。
- サプライヤー責任:アップルは、サプライチェーンで働く人々を教育し、その成長を支援し、最も貴重な環境資源の保護に取り組んでいく。
お気づきでしょうか、この6つのコアバリューはまさに、いま多くの企業が志向し始めた「ESG経営」そのものです。サプライチェーンの変革や再生可能エネルギーの活用を通じて環境(Environment)に配慮し、教育やダイバーシティやプライバシー保護などを通して社会(Social)の課題にも取り組む。もちろん、手段としての株主還元をはじめガバナンス(Governance)への取り組みも積極的に行っています。
図表7をご覧ください。これは、P/LとB/Sの各項目が、企業をとりまくステークホルダーとどう関係しているかを示したものです。
顧客や株主のほうばかり向いた経営の仕方は過去のものとなり、いまではESGそれぞれの課題に積極的に取り組みながら、仕入先、取引先、工場、従業員、地域社会など、全方位のステークホルダーを重視する経営姿勢が必要不可欠になっています。
これができていなければ消費者に支持されなくなり、売上が上がらなければ株価は下落してやがて資金調達も難しくなるでしょう。それぐらい、企業がESG課題に取り組む意義は大きいのです。
アップルが世界で最初に時価総額3兆ドルという金字塔を打ち立てたのは、ROEの高さが物語る経営効率のよさだけでなく、今の時代に求められるESG経営が評価された結果と見ることもできます。
ジョブズというカリスマが去った後も、いまだに進化を止めないアップル。アップルがこれからも世に送り出し続けるであろう革新的な製品だけでなく、その経営のあり方にも注目していきたいですね。
※1 この「ROE8%」という水準は、2014年に経済産業省の「『持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~』プロジェクト」の最終報告書(通称「伊藤レポート」)で提言されたもので、現在では日本企業の間でベンチマークとなっています。
※2 自己資本比率とは、総資本(負債+純資産)における自己資本(返済の必要がない資本)の比率を表します。
※3 資本構成が変化しても企業価値には影響を与えないことを「モディリアーニ=ミラーの第一命題」と言います。一方、負債の節税メリットが存在する場合には、資本構成によって企業価値は変化することになります。このことは「モディリアーニ=ミラーの修正第一命題」と呼ばれています。
※4 ここでの「投資家」には、デット投資家とエクイティ投資家の双方を含みます。
※5 利子を支払うぶんお金が外へ出ていってしまうのではと思うかもしれませんが、この利子は投資家(銀行)に支払うものです。仮に銀行がいなければもっと多くの要求利回りを投資家から求められていたものが、銀行に利子を払うことで効率的にキャッシュを株主に渡せるようになり、かつ節税メリットも享受できるのです。
※6 リーアンダー・ケイニー『ティム・クック——アップルをさらなる高みへと押し上げた天才』(SBクリエイティブ、2019年)を参照。
※7 アップル「Apple、配当および自社株買いの開始計画を発表」2012年3月20日。
※8 リーアンダー・ケイニー『ティム・クック——アップルをさらなる高みへと押し上げた天才』(SBクリエイティブ、2019年)を参照。
※9 リーアンダー・ケイニー『ティム・クック——アップルをさらなる高みへと押し上げた天才』(SBクリエイティブ、2019年)を参照。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。著書に『決算書ナゾトキトレーニング』(PHP研究所)がある。