今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
日立製作所が今年7月にも全社員を対象に、事前に職務の内容を明確化し、それに沿う人材を起用する「ジョブ型雇用」に移行することになりました。日本企業でジョブ型雇用が広がると、私たちの働き方にはどのような影響が出るのでしょうか。入山先生は「キャリアの重ね方やMBAや教育まで変わってくる」と解説します。
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こんにちは、入山章栄です。今週も気になるニュースについて、一緒に考えていきましょう。
BIJ編集部・小倉
入山先生、1月上旬に、日立製作所が全社員をジョブ型雇用にするという発表がありました。これまでもジョブ型雇用についてはさんざん騒がれてきましたが、いよいよ始まるわけですね。
日本企業にジョブ型が普及するとなると、これから私たちはどのようにキャリアを重ねていったらいいでしょうか?
日立製作所は川村隆さんが社長だったころから、じわじわと改革を進めていましたが、ついにジョブ型雇用に手をつけましたね。ここがいちばん大変なところだと思います。
ご存知のようにジョブ型雇用というのは、「あなたはこの仕事をしてください」と仕事の内容をはっきり規定する雇用形態をいいます。仕事に合わせて人を採用する方式ですね。だからその仕事が必要なくなったら、解雇されることもある。
一方、これまで多くの日本企業はメンバーシップ型雇用でした。いったんメンバーとして採用したら、定年まで終身雇用を約束する代わり、仕事内容は曖昧で決まっていない。だから会社に異動を命じられれば、財務の次に営業、営業の次は人事、人事の次は企画、という人生もありうるわけです。
それに対してジョブ型雇用は、求められる仕事のスキルや範囲が「ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)」に明記されている。
だからその職種の専門家としていろんな会社を渡り歩いてもいいし、一社にずっといてもいい。
とにかくその分野の専門家になると決めたら、自分のジョブ・ディスクリプションを充実させてキャリアを築いていくことを目指す。欧米、特にアメリカは完全にそういう働き方です。
ジョブ型とメンバーシップ型のどちらがいいかは、簡単に言えることではありませんが、僕はこれから日本でもジョブ型がかなり増えると思います。なぜならジョブ型にしないとやっていけないから。
その理由はいくつもありますが、大まかにいうと次の2つです。
1つめはコロナがきっかけでリモートワークが定着したこと。
リモートワークになれば、何時間働いたかではなく、成果で評価するしかありません。そして成果を正しく評価するには、職務内容をきちんと規定しておく必要があります。ということはジョブ型雇用にならざるを得ない。
そうなるといままで日本の大企業にいた、仕事らしい仕事をせず、ただ会社にいるだけで謎の「存在感」を放ち、高額な報酬を得ていたおじさんたちは消滅する可能性が高い(ちなみにそういう人を某大手総合商社では、窓際で年収を2000万円もらっている「Windows2000」と呼んでいるそうです)。
ジョブ型雇用が進む理由の2つめは、この連載でも申し上げたように、これから大転職時代が始まることです。特にベンチャーへの転職が増えるでしょう。
いままでベンチャーは「貧乏だけどやりがいや夢がある」というものでした。でもいまはベンチャーの資金調達が容易になっているので、立ち上げたばかりの会社でも大企業以上に高額な給料を払えるところも出てきている。
したがって大企業からベンチャーへの転職が増えることは間違いない。しかしベンチャーは即戦力を求めるので、「いままでどういう仕事をしてきたんですか」「あなたは何の専門家ですか?」と、専門性を求められるようになるというわけです。
日本版ジョブ型雇用とは? 各企業の模索が続く
しかし実際には、ジョブ型雇用を日本でどう運用していくかについては、まだ解がありません。ジョブ型は雇用の流動性が高い社会に適した制度ですが、日本は雇用の流動性がまだそこまで高くない。
そこで終身雇用をある程度キープしたまま、ジョブ型への移行を目指すことにしたのがグリコです。この方針を打ち出したのが、江崎グリコの人事のトップである南和気さん。
彼は世界的な人事制度改革で知られるSAPの人事のトップでしたが、日本ではある程度雇用を保障したほうが心理的安全性が高くモチベーションも上がるという考えです。
このように、これからしばらくは各企業の試行錯誤が続くでしょう。分かりやすくup or out(昇進するか、もしくは退社か)を打ち出すジョブ型もあれば、グリコのように従来の日本企業とジョブ型の折衷型など、いろいろなパターンが出てくるのではないでしょうか。
専門家とは「幅広い知見」を持った人のこと
BIJ編集部・小倉
会社側はそういうふうに変化するわけですね。一方会社員からすると、自分に専門性がないと厳しい時代になってしまうような気がします。
ポイントはそこですよね。それについて、南さんがすごくいいことを言っていました。
よく僕は「知の探索」という話をします。人間は知見を広げて、いろんなものを幅広く見なければいけないという話ですが、これを曲解される方がいて、「入山先生のおっしゃることは、わが意を得たりです。当社は社内ローテーション人事をしているんです」と言われることがあります。
BIJ編集部・小倉
2~3年ごとにいろいろな部署を異動する仕組みですね。
そうです。しかし、残念ながら社内ローテーション人事は、知の探索とは違います。
なぜなら小さな会社の中でグルグル回ったところで、その会社に詳しい「会社の専門家」になるだけだから。僕が言う「遠く」とは会社を離れた遠くの世界のことです。
その点、南さんはジョブ型になったら、みんながスペシャリストになるという。
つまりスペシャリストとは何かというと、その分野において幅広い知見を持った人のことです。
僕から言わせると、スペシャリストが増えることが「知の探索」です。例えば人事のスペシャリストならば、世界の人事動向や世界の評価システムにも興味を持って、徹底的に外の世界を見に行き、それを自社の人事に生かすでしょう。
人事といっても本当は幅広いですからね。人材育成、評価、組織開発、採用、さまざまな分野で世界トップクラスになることもできます。だから僕はそういう意味では、ジョブ型のほうが「知の探索」になると思います。
BIJ編集部・小倉
大企業からベンチャーに移るなどもそうですよね。
そうですね。例えばファイナンスの専門家として大企業を経験して、ベンチャーを経験したあと、中小企業も経験すれば、圧倒的に経験が厚くなるでしょう。
Business Insider Japanの読者の方も、ファイナンスでも人事でも営業でも何でもいいけれど、そのジョブで超スペシャリストになることを目指したほうがいいのではないでしょうか。
大学や大学院の位置づけが変わる
BIJ編集部・常盤
入山先生、お話を聞いていて思ったのですが、もしこの先、ほとんどの採用がジョブ型になってしまうと、新卒の人たちはどうなるのでしょう。まだ何もスペシャリティがないわけですから、強みがあると言えませんよね。
ということは、これから大学の役割も変わっていくのでしょうか?
たいへんいいポイントです。これからジョブ型が主流になると、大学や大学院の位置づけが変わってくると思います。それには現在のMBAの位置づけを考えると分かりやすいでしょう。
僕はアメリカに10年いましたが、一時期アメリカではMBAが非常に注目されていて、MBAホルダーはいまだにそれなりに市場価値がある。なぜあんなにMBAの人気があったかというと僕の理解は簡単で、それはアメリカがジョブ型社会だからです。
つまり大学を出たばかりの人や、転職したい仕事の経験がない人は、ジョブチェンジができない。実はこれがジョブ型社会の最大の難点です。
そこでジョブチェンジのためにあるのがMBAです。アメリカでは比較的若い世代がMBAを取得しに経営大学院に行きますが、それは転職のためなんですね。
いったん就職したけれど、「何か違う」と思い、違う職種や業界に行きたいと思った人は、大学や大学院に行く。銀行員がジャーナリストになりたいと思ったら、ジャーナリズムを学べる大学に行く。
ファイナンスの仕事をしてきた人が、これからマーケティングの仕事をしたいと思ったら、MBAで徹底的にマーケティングの勉強をする。
そうすると一応その分野の専門家と見なされてジョブチェンジができるというわけです。
日本でもジョブ型社会になると、ジョブチェンジのための仕組みとして、MBAや各種の学校が注目されるようになるかもしれません。
一人が複数の専門分野を持つ時代
大学や大学院で学び直しをするのが普通になれば、一人が複数の専門を持つこともできるようになるでしょう。
例えば僕と仲のいいダイヤモンド社の『ハーバード・ビジネス・レビュー』の編集長の小島健志さん。彼はずっと新聞社や出版社にいましたが、30歳を過ぎてから学校に通ってプログラミングや統計を学んだ。だから編集業務に加えて、社内のデータ分析なども小島さんが引き受けていると聞いたことがあります。
BIJ編集部・小倉
それはすごいですね。
僕も一応、3つの柱を持っているんですよ。1つは学者。2つめはこの連載もそうですが、メディアに出て話をしたり、原稿を書いたりすること。3つめが複数の会社の社外取締役を務めること。
ヤフーの安宅和人さんもそうですね。彼はもともとマッキンゼーでマーケティングの専門家だった。イェール大学で神経科学の博士号もとった。
そしていま、人工知能といえば安宅さんでしょう。僕なんかよりもはるかにすごい3つの柱を持っていて、3つともジョブ・ディスクリプションを書ける。
ここまで難しいことでなくてもいいから、これからは一人で2つとか3つの専門性を持つといい時代だと思います。これぞ僕がよくいう、個人が多様性を持つ「イントラパーソナル・ダイバーシティ」なのだと思います。
BIJ編集部・常盤
読者のみなさん、どうやらポイントは「学び直し」にありそうです。今回のお話を聞いて、私もやる気に火がつきました。
一緒にがんばって学び直しをしていきましょう。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。