撮影:MIKIKO
2021年夏、甲子園。まばゆい照明灯の下で行われた決勝戦。
最後の打球がレフトのグラブに収まると、キャッチャーがマウンドに駆け上がり、笑顔でピッチャーと抱き合った。そこに駆け寄る他の選手たち—— 。高校球児たちが毎年繰り返す、感動の場面だ。
だが前年までと決定的に違うのは、グラウンドの選手が全員、女子だということだ。史上初めて甲子園が、全国高校女子硬式野球選手権決勝の舞台となった、歴史的な瞬間だった。
公式戦の参加資格は「男子生徒」
練習中、生徒にアドバイスをする橘田。その声は明るく、威圧的なものは感じない。
撮影:MIKIKO
女子野球の強豪校、履正社高校(大阪府豊中市)の女子野球部監督、橘田(きった)恵(39)は、これまで「女性初」の記録を打ち立て、女子野球の新たな歴史を切り拓き続けてきた。
高校では女子初の硬式野球部員となり、仙台大学では、女性野手として初の公式戦出場を果たした。
野球ができる舞台を求めてオーストラリアに渡り2シーズン、硬式野球のリーグで活躍。指導者に転じて2014年、履正社高校女子野球部の監督となり、創部3年でチームを全国優勝に導いた。2017~18年には日本代表「侍ジャパン女子(マドンナジャパン)」初の女性監督となり、ワールドカップ優勝も果たした。
2018年、橘田は女子野球日本代表初の女性監督として、チームをワールドカップ優勝に導いた。
提供:橘田恵
橘田は言う。
「女子の場合、少し前までは野球を続ける子は中学でまず減り、高校でさらに減りと、進学のたびに減っていました」
橘田は兵庫県三木市出身。小1の時、姉が加入していた地元の女子野球チームに入ったのが、野球を始めたきっかけだ。めきめき実力をつけて小6の時はキャプテンを務め、「自分はプロ野球に行ける、と思っていた」。しかし中学に入ると、ソフトボールに転向した。
男子なら、ごく無造作に「オレ、野球続けるわ」と言える。しかし女子の場合、成長とともに男子との体格差は広がる。「女子が男子と気持ちよく真剣勝負できるのは、強いチームの場合、中1の冬か中2の春くらいまでではないか」とも、橘田は言う。
女子野球のチームに入ろうと思っても、地方在住だと近くにチームがない場合もある。橘田の場合も、近隣に女子野球のクラブチームはなかった。姉も中学でソフトに転じており、「女子はソフトに行く」という風潮も、当時は強かった。
近年は中学の野球部にも、女子の姿がかなり見られるようになった。履正社の女子野球部にも中学時代、野球部で男子と一緒に試合に出場し、活躍していた部員は少なくない。ただ男子メインの活動に参加することで、着替える場所やトイレの問題などさまざまな不便も生じる。
たとえ中学で野球を続けても、高校の野球部には高い壁が立ちはだかっている。日本高校野球連盟(高野連)は、公式戦の参加資格を次のように定めているからだ。
「その学校に在学する男子生徒」
女子高生が野球を続けようと思ったら、試合への出場を諦めて男子主体の部活に参加するか、女子のクラブチームに入るか、女子野球部のある高校に進学するか、くらいしか選択肢がなくなってしまうのだ。
履正社の女子野球部には今、55人の部員がいる(2022年2月現在)。「うちの部員たちも、野球を続けるというだけでいろんな苦労があったでしょう」と、橘田は語った。
「時代の変化に立ち会えた」感慨
2021年、夏の大会後の履正社高校女子野球部と保護者たち。甲子園初の女子公式戦は、女性アスリートが活躍できる場が広がったと注目を集めた。
提供:橘田恵
こうした状況を見て、「もっと女子の競技人口が多いスポーツの方が、我が子の活躍の余地はあるんじゃないか」と考える親も少なくない。娘たちが部活を選ぶ時、親が口にするのは、例えばこんなセリフだ。
「野球じゃなくてもいいんじゃない? 女の子が甲子園に行けるわけでもなし……」
しかし2021年夏、甲子園が女子決勝の舞台となり、この言葉が覆された。橘田はこう期待する。
「親が小中学生に『野球を続けて、甲子園目指したら?』と勧めるようになれば、野球をやめずに高校まで続けてくれる子が増えるのでは」
もちろん選手自身が「甲子園を目指しています」と夢を語れるようになったことも、大きな変化だ。2021年夏、履正社の体験入部に訪れた女子中学生の中には、小学生の時野球をしていたが、中学で別の競技に移った、という子がいた。やはり野球に戻りたいと、早々に履正社への入部を決めた。
「野球を好きで諦めきれないという気持ちに加えて、『甲子園』という大きな目標ができたことで、野球に取り組む意味が一つ増えたのではないでしょうか」
と、橘田は推測する。
2021年夏の全国大会で、履正社は3回戦で敗れ、甲子園の土を踏むことはかなわなかった。しかし大会は大きな注目を集め、橘田も「指導者をやってきてこの夏ほど、多くの応援をもらった大会はない」と振り返る。小・中学生の野球少女たちもこぞって「高校は強豪校に入って、甲子園に行く」と言い出した。
橘田が高校生の頃から「女子野球の決勝を甲子園で」という話は、ちらほら出ていたという。しかし「実現する頃、私生きてるかなあ」と思うほど、遠い話に感じられた。
「まさか私が監督の時に実現して、選手と一緒に甲子園を目指せるとは思わなかった。時代の変化に立ち会えた、という感慨が深いです」
野球人口、男子は減り女子は増加
男子硬式野球部の部員数は年々減少の一途を辿る半面、女子は増え続けている(写真はイメージです)。
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橘田は中学時代、ソフトボールでも有望選手として注目されたが、リードを取っての盗塁など、ソフトボールではルール上できない野球ならではのプレーに魅力を感じ続けていた。
地元の公立高に進学し、男子ばかりの野球部に入った。しかし高野連の規定もあり、女子は試合ではベンチ入りすらできなかった。悔しさを知っているからこそ「出られない人の気持ちはよく分かるので、状況が許す限り、なるべく選手全員を試合に出すようにしている」と話す。
高野連によると硬式野球部の部員数は、2014年の17万人超から2021年に13万4000人と急減している。一方、全日本女子野球連盟によると2016年、約1万5000人だった女子の競技人口は、2019年には約2万1000人に達した。2013年には小学生女子の全国大会「NPBガールズトーナメント」も始まり、すそ野も広がっている。
履正社の副主将、日野美羽(2年)は女子野球の見どころを、次のように説明する。
「力で打球を持っていくパワーやスピード感は、男子にはかなわない。でも女子はパワーが劣る分、バントなど足を使った細かい野球をして、違った良さを出せると思います」
2020年以降、プロ野球の西武や阪神が公認の女子チームを立ち上げ、巨人も2021年12月、女子硬式野球チーム創設を発表した。
「『甲子園』をはじめとした女子野球への追い風を、これから選手や私たち関係者がどう生かせるかが、普及のカギを握っていると思います」
と、橘田は力を込める。
女子野球の未来は自分で変えられる
撮影:MIKIKO
「今の女子野球は、未来ばっかりですよ」
橘田は、選手たちが声を上げながらノックを受けるグラウンドに目を向けた。
選手と指導者、スタッフ一人ひとりが努力するほど競技のレベルは上がり、社会的な地位も高まる。選手たちが「自分は女子野球の未来をつくっている」という誇りを持ち、何より野球が好きだという気持ちを前に出してプレーするほど、楽しさが伝わりファンも増える—— 。橘田は指導を通じて、そんな好循環を生み出そうとしている。
「女子野球の運営組織は新しく、伝統やしがらみに縛られることもない。競技人口が少なく歴史も浅い分、選手一人ひとりの頑張りに、競技自体の未来を変える力があります。自分の頑張り次第で世の中を変えられるという体験は、ほかのことではなかなかできません」
そんな橘田の思いを、部員たちも感じ取っている。日野は話した。
「野球をやっている小中学生の女の子たちに、ぜひ履正社の野球を見に来てほしい。そうすればきっと、高校生になっても楽しく野球を続けられることが、分かってもらえると思います」
「楽しむ野球」を目指す橘田だが、現役時代は性別の壁に阻まれて実戦練習すら満足にできず「やめ時」を探した時期もあった。そんな橘田の行く手を開いたのが、「海外でプレーする」という新たな選択肢だった。
(敬称略・続く▼)
(文・有馬知子、写真・MIKIKO、デザイン・星野美緒)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。