撮影:MIKIKO
女子野球部の部員たちには「野球を楽しんでほしい」と願う橘田恵(39)だが、自分の高校時代、「あの子たちみたいに『好き』で野球をやっていたかというと、難しい」と苦笑する。
橘田は地元兵庫県の公立高校に進学したが、野球部は女子の入部に難色を示した。父親が学校に掛け合い、「練習生」扱いでようやく参加できるようになったものの、内野ノックは「危ないからダメ」と禁止。「実践的な練習はさせてもらえず、部員と一緒にできるのは、しんどい筋トレとランニングだけ」だった。
男子部員の実践練習中は、ずっと壁に向かってボールを投げ続けるばかり。見かねた英語の先生が、キャッチボールの相手をしてくれることもあったという。
週末は、中学生の硬式野球チームに参加させてもらった。チームは強豪で、のちにプロ野球選手となる西武の栗山巧や、ヤクルトの坂口智隆も在籍していた。
「栗山君の打球をセカンドで受けて『はやっ!』と思いました。チームのレベルも高校並みに高かったので『入れてもらったんだから、邪魔したらあかん』と必死でついていきました」
週末の実践練習は橘田にとって、他人の打ったボールを捕れる数少ない機会だった。
「1つのプレーからとにかく何か得よう、少しでもうまくなろうと思ってグラウンドに立っていたので、男の子たちとは集中力が違ったと思います」
海外でプレーする。新聞記事で開けた道
50人以上に及ぶ選手たちにノックを出す橘田。グラウンドには歓声が飛び交い、とにかく賑やかだ。
撮影:MIKIKO
とはいえどちらのチームでも、公式戦の出場資格すらない毎日は、やはり「精神的にきつかった」。入部を掛け合ってくれた父親や、受け入れてくれた監督らのことを考えて、「やめたら申し訳ないから、区切りがつくところまでやろう」という気持ちでいた時期もある。
しかし高1の時、「こんなん出てたで」と母親が新聞記事を見せてくれた。アメリカで女子プロ野球リーグが開幕し、当時フロリダのチームでプレーしていた鈴木慶子ら日本選手2人が参加する、という内容だ。
海外チームでプレーする! そんな選択肢があるんだ!
橘田は行く手が大きく開けたように感じた。後に橘田は鈴木が立ち上げた、女子硬式野球の海外遠征プログラムにも参加している。
「人生の要所要所で、将来を決める大事な『出会い』がありました。新聞記事もその一つだし、実際に鈴木さんとも会えて、履正社という学校との出合いもあった。私はものすごく強運だと思います」
野球へのモチベーションを取り戻した橘田は仙台大学に進学し、男性に混じって野球部に加入。女性野手として初めて公式戦に出場した。日本女子代表のトライアウトにも挑戦し、大学3年の時は最終選考まで残ったが、代表にはあと一歩及ばなかった。
トライアウトを見た野球関係者に「海外でプレーしてはどうか」と勧められたこともあり、数カ月後、大学に在学したままオーストラリアへ渡る。女子と男子の計2チームに所属し、平日は週2日練習、主に土曜は女子チームの、日曜は男子チームの試合に出る生活が始まった。
野球はみんなで楽しむもの
オーストラリアでのホームステイ先は、のちに2018年のW杯で「女性監督対決」となるシモン氏の自宅だった。
提供:橘田恵
日本で試合に恵まれなかった橘田は、オーストラリアで「生まれて初めて、こんなにたくさん試合をさせてもらった」という。
オーストラリアでの体験は、後の指導者人生にも大きな影響を与えている。かの地で選手たちは、「ワイワイ楽しそうに」野球をしていた。週末の試合も、選手だけでなく応援に来た家族も含めて「楽しもう」という雰囲気でいっぱいだった。チーム内の上下関係や礼儀作法も全く違い、フランクだった。
日本の野球文化で育った橘田は当初、監督に礼をしないことに抵抗があり、帽子を取って「グッドモーニング」と一礼していた。「あいさつをやめたら?」と言われた翌朝、現地流に「ハーイ」と言ってみると、監督は「よよ」と泣きまねをして、「メグミは日本人の心を忘れてしまったのか」。「いや、あんたが『やめたら?』て言うたやん」と心の中で突っ込みを入れつつ、橘田は「笑いって大事だな」と思った。
こうした橘田の意向を反映し、履正社女子野球部も他校に比べて序列が緩やかだ。
「相手と冗談を言い合える関係性を作っておくと、真剣なことを言われてもすっと心に入ります。私も今、練習後などは、部員となるべくたわいない話をするようにしています」
橘田は州代表として全豪大会に出場し、MVPの座も掴み取った。
提供:橘田恵
オーストラリアではまた、「ボールを打つ楽しさ」も教わったという。
橘田は四球(フォアボール)やセーフティバントで出塁し、足で稼ぐタイプの選手だった。最初のうちは、四球で出塁すると「グッドアイ!」と褒められたが、そのうち監督に言われた。
「この国では、四球の多さは必ずしも称賛の対象ではない。打てる球はボール球でも、全部振りなさい」
走者も自分も生きる「名人芸」のようなバンドは会場を沸かせる。選球眼も、足を使った野球も必要だ。しかし観客はやはり、胸のすくようなヒッティングを待っている。橘田自身も「野球は打ってなんぼだし、その方が楽しい」と実感できたという。
勝利至上主義が「面白くない」野球を生む
男子を中心とした日本の野球教育は、監督や先輩との厳しい上下関係で知られている。
撮影:MIKIKO
連載第1回で述べたように、男子を中心とした日本の野球人口は、減少の一途をたどっている。橘田は「減るには減るだけの理由がある」と話す。
「日本は子どもの野球でも、監督が『待て、待て、待て』とサインを出し、四球を選んで歩かせる。いつもそんな勝利至上主義でいては、野球は面白くなくなってしまう。プレーする方が楽しまなければ、人を楽しませることはできません」
今は学童野球にも、守備側の監督の申告によって、投球なしで打者を塁に出す「申告敬遠」が認められている。だが橘田は「申告敬遠など、大人にだって必要ない」ときっぱり。勝負するかどうかは、「投手に聞く」という。
「サインが間に合わなかったら、冗談交じりに大声で『送るか~?』と確認します。本人が勝負するなら、さしたらいい。試合で監督が選手にやりたくないことをやらせても、しょうがないでしょう」
監督の指示には絶対服従、という「スポ根」のイメージが根強いことも、競技人口の減少と無関係ではない。橘田も、男子と一緒にプレーしていた時代は「走れと言われたら走るだけで、自分で納得して行動した記憶はあまりない」と振り返る。
しかし指導者としては、選手に理由を説明し、納得してもらうことを重視している。
「うちの部員は今、私に説明もなしにいきなり『走れ』と言われたら、怒り出すでしょうね」
伝統を尊重し歴史を残すことも大事だ、と橘田は言う。しかし一方で、
「今の子どもたちには多くの選択肢があり、野球ならではのおもしろさやメリットを感じられなければ、他の競技に行ってしまう。指導者もそれを意識して、変えるべきものはどんどん変えるべきです」
とも、強調する。
だからこそ、少年野球の指導者には「チームにいる選手、全員を育てようとしてほしい」と要望した。
「大きい大会で、全ての選手を使うのは無理でしょう。ただ少なくとも子どもたち全員を、人として本気で応援してほしい。失敗してもただベンチに下げるのではなく、次にどう生かすか学ぶ機会を与えてあげてほしいです」
背番号は全員に渡す
橘田は、できるだけ多くの部員がチャンスを得ることができる環境を目指す。
提供:橘田恵
ベンチ入り選手だけに背番号を渡す学校もある中、橘田は部員全員に背番号を渡す。保護者から「全員に順番をつけると、背番号が最後の選手が傷つくのでは」という「ご意見」を頂くこともあったという。
しかし女子野球のルール上、背番号を付けていなければ、ベンチ入りの可能性はなくなってしまう。選手として苦労続きだった橘田には、部員たちのチャンスをなるべく奪いたくない、という思いがある。また「けがをした、部のルールに反したなど、背番号が後ろになった理由を説明し、理解してもらうことが大事」だとも話す。
それに、と笑った。
「私、高校時代に背番号を与えられたことがなかったので、ユニフォームに背番号を縫い付けた経験すらないんです。私も縫ってみたかった。レギュラーの選手だけでなく、みんなで一緒に背番号を縫える方が、いいじゃないですか」
履正社高校女子野球部は、2014年の創部以来退部者ゼロだという。「野球を好きでいてほしい、楽しんでほしい」という橘田の思いが詰まった同部の練習とは、どのような内容だろうか。
(敬称略・第3回に続く▼)
(第1回はこちら▼)
(文・有馬知子、写真・MIKIKO)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。