撮影:MIKIKO
履正社高校女子野球部のグラウンド(大阪府箕面市)を訪ねると、敷地に入る前から部員たちの歓声が聞こえてきた。
練習も試合も、とにかく「盛り上がる」のが履正社流だ。選手たちはノックやボール回しの間も「キャーキャー、ヒューヒュー」。男子野球部の練習で響く重低音とは、だいぶ趣が異なる。
内野手がショートバウンドの難しいボールをさばけば、選手みんなが「キャーッ!」。失敗しても「あわてんな~!」「オーケーオーケー」と声を掛け、次のプレーが成功したらやっぱり「キャーッ!」。
「苦しそうにしていたら応援したくない」
「全国優勝経験もある女子野球の強豪校」という前評判から、辛く厳しい練習風景を想像していた。だが、選手たちから溢れ出すあまりにもポジティブな雰囲気に驚く。
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監督の橘田恵(39)が何よりも重視するのが「野球を楽しむこと」だ。
「いやいや苦しそうに野球していたら、応援なんてしたくないでしょう。選手自身がプレーを楽しみ、それを周囲へ表現することが大事。選手たちの笑顔を見てより多くのファンが生まれ、そのファンがさらに周りへ『女子野球って楽しいよ』と伝えてくれると思うのです」
少年野球では、負けているチームのコーチが選手に「声を出せ!」「楽しめ!」と「叱咤」する場面を見ることがしばしばある。橘田は「人に言われて盛り上がるのではなく、自分たちで盛り上がれるチームを作りたい」という。
練習中には、橘田がノックを中断して選手を諭し、全員が帽子を取って神妙に聞く場面もあった。しかし選手は、「分かった?」という橘田の問いかけに声をそろえて「ハイ!」と答えた後、すぐにまた大きな声を出し始めた。
試合でエラーが続き、チームがしょんぼりすることもある。副主将の日野美羽(2年)によると、そんな時は週1回のミーティングで「こういう時、ミスが続いたね」「でもミスした人をフォローしないと、悪い流れを止められないよね」などと話し合うのだという。
日野は「そんな経験を積み重ねるうちに、楽しむことでうまくなる、だから自分たちで楽しい雰囲気を作ろう、と自然に考えるようになりました」と話した。
道具を駆使。遊びの要素を取り入れる
主将で2年生の真砂寧々は、自分の独特のバッティングスタイルに悩んできた。それを励ましたのは橘田の言葉と指導への姿勢だった。
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この日、橘田が練習に持ち出したのはバランスボール。選手たちはボールの上に横になり、うつぶせからあおむけへとごろごろ回転する。橘田がボディメイクの動画を参考に、背骨周りの筋肉を緩めて可動域を広げるために導入したのだという。選手が転がり落ちると、周囲から笑い声が上がる。橘田自身も選手に混じって試し、見事に落ちた。
「監督は道具をいろいろ試します」と話すのは、主将で2年生の真砂寧々。
身体能力を高めるための基礎トレーニングは、どんな競技でも不可欠だが、筋トレやランニングなど、退屈でつらいイメージが強い。橘田はバランスボールだけでなく、手元が膨らんだ木製バットや4色に光るボタンなど、目新しい道具を駆使して選手を飽きさせない。「トレーニングには遊びの要素も必要」と、橘田は言う。
「地面に光るボタンを置いて、タッチした回数を競うトレーニングなど、部員たちはゲーム感覚で喜んでやっていますよ」
道具以外にも、外部講師を招いたメンタルトレーニングやフォームの動作を解析するモーションキャプチャ、準備体操代わりのエアロビクス……。新たなテクノロジーや野球以外のトレーニングも、積極的に取り入れている。
橘田は「他人と同じことをしても面白くない」という考えの持ち主だ。
「優れた指導者や男子野球の素晴らしい部分を取り入れつつも、自分なりにかみ砕いて選手に伝えようと、努力しています」
真砂もこうした橘田の考え方に、勇気づけられたことがあるという。
「自分はバッティングもプレースタイルも人と違って独特ですが、監督に『周りの人と同じ世界ではなく、自分の世界を自分で作れ』と言われて、違っていていいんだと思えるようになりました」
大切なのは「ものごとを切り拓く力」
自分で考えて行動することで周囲が変わる経験をさせたい、と橘田は語る。
撮影:MIKIKO
「新兵器」を次々と繰り出す橘田だが、選手たちに事細かく使い方を指示することは、あまりない。
前述した手元が膨らんだバットは、選手が体の近くからバットを出すようスイングを矯正する道具だ。しかし重心の場所を説明しただけで、使うか使わないかは、部員たちに任せている。
練習中こんなこともあった。橘田がグラウンドを走る1人の選手を見て、主将の真砂を呼び、こう伝えたのだ。
「あかんかったと思ってるからって、ずっと走るのも反省の仕方としては違うと思うで」
指摘された選手は、少し前に注意を受けてから走り続けていた。しかし橘田は言う。
「考えて行動できるようになることが、スポーツに取り組む目的の一つ。選手には道具をどう使うか、空いた時間をどう過ごすか、反省したらどう振る舞うべきかなど、全て自分の頭で考えてほしい」
選手の背番号を決める時も部員に投票させ、理由も書いてもらう。自分や仲間の力を客観的に捉え、言葉にする力を身につけてほしい、と考えているからだ。しかし2021年夏の全国大会では、投票のやり直しが行われた。
「ベンチ入りできる25番まで、ずらっと3年生が並んだんです。見事な年功序列の忖度でした」
橘田は部員たちに「これで本当に戦えると思ってるんですか」と問いかけた。2度目の投票では、2年生も含め実力が反映されたメンバーになった。
「部員には3年間で、得意なこと、苦手なことを言語化する力、意見を周囲に伝え、実現する力を身につけてほしい。その後の人生でも、社会の中で自分の『所在地』を把握し、周囲とコミュニケーションを取りながら、ものごとを切り拓く力は必要でしょう」
自分の立ち位置が分かってこそ、目標までの距離が明確になり、到達するための手段や費用をどう工面するか、という具体的な「プラン」も立てられるようになる、と橘田は考える。
「『履正社の女子野球部に入ったら、生きる力がつくよ』と言われるようになりたいですね」
「監督が一番野球好き」
練習の進め方を橘田と相談する主将・真砂。全てを監督が決め、選手が絶対服従という形は履正社ではあり得ない。
撮影:MIKIKO
履正社の女子野球部には全国から集まった、55人の野球女子が所属する。中には仕事のある父親を自宅に残し、母親と姉、そして本人が神奈川県から大阪府内に転居してきた「猛者」もいる。
主将の真砂は小豆島出身。中学時代は女子野球のクラブチームと部活の両方に所属していた。部活では男子と一緒にプレーし、足の速さを生かしてバントなどで活躍していたという。
真砂と日野に「野球は好きですか?」と聞いてみた。
2人とも「好きです」と即答。さらに「部員みんなで集まって、チームで練習するのが一番楽しい」とも、口をそろえて語った。
「コロナのせいで、1年の時は集まって練習できる機会が少なかったので、とにかくグランドに立てて、みんなで野球できることが嬉しくて仕方ない」と、日野。真砂は「素振りなどの自主練も必要で、楽しいことばかりではないですが、結果を出すためには頑張ろうと思う」と表情を引き締めた。
2014年の創部以来、退部者はゼロ。「みんな本当に練習を休まないです」と、橘田は言う。
「女子は野球を続けること自体に苦労がある分、野球ができるだけで嬉しい、野球が好きという純粋な気持ちが前に出やすい。それを表現するための方法を教えること、表現できる環境を作ることが、私たち指導者の仕事だと思います」
「ただ」と、真砂と日野はこれも異口同音に、同じことを言った。
「監督がこの中で一番、野球が好きです」
練習中、橘田が声を荒らげる場面は全くなかった。しかし創部当初の部員には「一番厳しく接した」と振り返る。部員わずか5人で発足した女子野球部が、3年後に全国制覇を果たすまでの、橘田自身と選手たちの成長を追った。
(敬称略・第4回に続く)
(第1回はこちら▼)
(文・有馬知子、写真・MIKIKO)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。