「東南アジア離れが止まらない」アパレル生産拠点が国内回帰している理由【音声付・入山章栄】

今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。

アパレル大手のワールドやTSIホールディングスなどが国内への生産回帰を進めています。このように中国や東南アジア中心の調達網に変化が出てきたのはなぜでしょう。入山先生は、1つは人件費がそれほど変わらなくなったこと、そしてもう1つ重要な点は、経営学の視点から読み解けると言います。

【音声版の試聴はこちら】(再生時間:10分58秒)※クリックすると音声が流れます


いまや東南アジアより、日本の人件費のほうが安い

こんにちは、入山章栄です。今週も気になるニュースについて、一緒に考えていきましょう。


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BIJ編集部・常盤

入山先生、こんな気になるニュースがありました。日本経済新聞の記事によれば、アパレル大手のワールドが、東南アジアに置いていた生産拠点を、部分的にですが国内に移すそうです。


このところアパレルは生産拠点を人件費の安い東南アジアに置くのが当たり前になっていましたが、近頃は海外でも国内でも、それほど変わらなくなってきたそうです。

もちろん人件費を単純に比較すれば、国内のほうがまだ割高かもしれませんが、製品を移送する費用や時間を考えると、国内で製造してもあまり変わらない。そこで今回、製造ラインのいくつかを国内に戻すことにしたのだとか。


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BIJ編集部・常盤

私たちはどうしても東南アジアのほうが人件費が安いと思ってしまいますが、最近はそうとも言えなくなりつつあるのでしょうか?


そうだと思いますね。人件費でいうと明確にそうです。日本はたいへん残念ながら、賃金が上がらず、相対的に貧しくなっている。

さらに、そこに円安が加わっています。そもそも日本の人件費が高くなったのは、1985年のプラザ合意以降、一気に円高が進んだから。もともと人件費が高かったところへ、円高でさらに割高になった。

それを回避するために多くの製造業が、安い人件費を求めて東南アジアや、少し遅れて中国に進出していったわけです。

僕ははっきり言うと、これから逆のことが起きると思います。つまり東南アジアや中国の企業が、安い人件費を求めて日本に工場を持つ時代が来る。というより、もう来ています。


ayuko-tokiwa

BIJ編集部・常盤

そういう事例もあるのですか?


いちばん分かりやすいのは、台湾の半導体メーカーのTSMC(台湾積体電路製造)が、ソニーグループと合弁で熊本に工場をつくると発表したこと

九州はもともとシリコンバレーにならい、「九州シリコンアイランド」といって半導体メーカーを集積させようという動きがあった。しかしその後は廃れていたのですが、TSMCによって復活することになったわけです。

半導体の製造に必要なのは「水」と「人」。製造工程で洗浄のための水を大量に使うからです。その点、水が豊富で人件費が安い九州は条件に適っている。

TSMCが製造する半導体は、最先端の技術を使った高価な半導体ではなく、ロジックLSIという少し古い技術を使った安価な半導体です。こちらにも需要があるんですね。

これを製造するなら、水が豊富で人件費が安いほうがいい。これがTSMCが九州に生産拠点をつくった理由の一つ、というのが僕の理解です。


ayuko-tokiwa

BIJ編集部・常盤

半導体といえば、アメリカも国内で半導体をつくろうという流れになっているようですね。Business Insiderにもそんな記事が載っていました。


アメリカの場合は、安全保障戦略が目的だと思います。アメリカは人件費が高いから国内で半導体を製造するのは高くつくけれど、これからの世界は何が起こるか分からない。

もし半導体が輸入できなくなったときのために、国内で生産できるようにしておこうということでしょう。食べ物と、半導体と、薬と、武器。安全保障を考えると、この4つだけは、本当は自国で生産したほうがいいんですよ。

「取引コスト」を考慮すると、国内生産のほうがいい

さて、ここまでは日本が貧しくなったというネガティブな話ですが、実は「ワールド」の国内回帰には、もう一つ理由があると思います。ここからは久しぶりに経営理論を使った話です(笑)。

コストというものを考えるとき、普通は人件費や材料費など物質的なコストを思い浮かべますね。でもそれだけでなく、もう一つ費用があるんです。それが「取引コスト(取引費用)」と呼ばれるものです。

これは何かというと、市場と市場とか、離れた地点にある会社と会社が、取引をすることで発生するコストのことです。契約や交渉など、取引のプロセスで余分にかかるコストともいえます。

普段われわれは、この費用をあまり意識しません。契約のコストなんて、目に見える数字として出てきませんからね。でも商売をしていると、取引先と揉めたり、トラブルになることも少なくない。

トラブルに対応するのもコストですし、トラブルを避けるために、時間をかけて慎重に交渉したり、分厚い契約書を作成したりするのもコストです。これを「取引費用」とか「取引コスト」といいます。

ちなみにこの理論でシカゴ大学のロナルド・コースが1991年に、カリフォルニア大学バークレー校のオリバー・ウィリアムソンが2009年に、ノーベル経済学賞をとっています。詳しくは僕の世界標準の経営理論を読んでみてください。

こんなふうに、取引には実は目に見えないコストがかかっているのですが、いまはデジタルの時代です。デジタル技術を使えば、交渉や契約のコストが下がるのは分かるでしょう。

しかしデジタル化でコストが下がるなら、別のどこかで上がるコストもあるはずだと考えるべきです。僕は上がったコストが、少なくとも2つあると思います。

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